零れ落ちて、朝 公演情報 世界劇団「零れ落ちて、朝」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    グリム童話の『青ひげ』を下敷きに、「戦時中に医学の進歩のために行われた生体解剖」という医者の功罪に着目し、生命倫理と人間の尊厳を問う意欲作。主宰で現役医師である本坊由華子ならではの着眼点や提題が忍ばされた代表作の一つである。

    ネタバレBOX

    俳優の身体に多くのことが託された本作において、その強度を確かなものにするためには相当な思考と鍛錬が必要であったと想像ができる。リフレインされる台詞やシーンが回を増すごとにより鮮明な風景として立ち上がり、同じ言葉を同じ言葉に聞こえさせぬ、同じ風景を同じ風景として見せぬ俳優の表現力と演出の工夫に引き込まれた。そうしたリフレインはやがて、同じ悲劇を繰り返してしまう人間の愚かさや、今もまさに世界で続いている暴力や戦争、その功罪を握らせていく。同時に、それらメッセージを「再演」というある種のリフレイン的試みを通じて、社会や世界に広く伝えようとする姿勢にも意気込みが感じられる作品だった。

    医師としての功績を確かなものにしようと、患者を「人」ではなく「材料」として扱う青山(本田椋)の横顔には人命を救う医師の矜持のかけらも残されておらず、むしろ人命を奪うことで自身の地位や名声を挙げようとする独裁者の執心が色濃く滲む。しかし、それでいて平静を保っていられない彼の振る舞いには(肯定こそできないが)ある種の人間らしさが残る。「罪の意識が皆無ではない」ということが加害の生々しさをより詳らかにしていくように感じたのだ。そうした後ろめたさや不都合な真実を無効化するかのように、青山は妻(小林冴季子)に城の床を清く白く保つようにと命じる。青山のそばに罪をけし掛ける大佐(本坊由華子)という存在がいることもまたリアルな構図であり、こうした罪に手を染めた人間が決して一人ではなかったという医学界の世相、歴史の闇を切々と物語っているようでもあった。

    劇中で、俳優の身体よりもその影が舞台側面で大きく映写される演出があり、私はその瞬間に最も引き込まれた。実体の見えないもの、つまり隠された罪をいくらなかったことにしようとしても、それらには必ず影が付き纏う。光の加減によって人物そのものよりも大きなものとして現れる影は、戦争犯罪の罪深さを、ひいてはこの世界に起き、今もまさに隠されているかもしれないあらゆる加害とその大きさを象徴しているように思えてならない。それらが「演劇」でこそ表現できる光と音、そして俳優の身体を駆使した風景として浮かび上がってくる様に私は本作の強度を感じ取った。他にも舞台上に侵食していく水や、頭上から降ってくる砂といった「片付けることの困難なもの」、「痕跡を拭い去ることが容易ではないもの」が多用されていた点も興味深かった。水に濡れた体はすぐには乾かないし、砂のついた身体からその粒子を全て取り除くのは難しい。「見えにくい罪」、そして、「語られにくい罪」を詳らかにするという意味で効果的な演出が随所に忍ばされていたところにも演劇の力を感じた。

    一方で、言葉なくして鮮烈な感触を伝える俳優の身体の説得力が長けていただけに、発せられる台詞が時として宙ぶらりんになる瞬間があったようにも感じられた。観客に場や時の緊迫を伝播するフィジカルの力が強まる反面、詩的なモノローグや言葉遊びなどのテキストの魅力がもう一歩届きづらい構図になっている節があった。言葉と身体のバランスが首尾良く整理されていることによって見やすくはなっているのだが、多少ぐちゃっとしていても、言葉の飛距離が想像を越える様を見たかった、という気持ちになったのである。とはいえ、真っ先に言及したように本作の最たる挑戦はおそらく身体表現によって見えないものを浮かび上がらせる点にある。そうしたフィジカルシアターに「言葉の力」を過度に求めること自体が果たして正しいかわからない。その葛藤を前置きした上で、言葉が意味するところをつい追いかけてしまったことを観客の一人の実感として記録しておきたい。

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    2025/06/30 03:04

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