公演情報
劇団チョコレートケーキ「ガマ」の観てきた!クチコミとコメント
実演鑑賞
満足度★★★★
実演の劇団チョコレートケーキ、久々に拝んだ気がする(二つ前の「白き山」が久々であったが「戻って来た」感はやはり今作のような骨太社会派劇である)。戦争六篇の内「ガマ」は沖縄を扱った新作という事で、これだけでも観たかったが叶わなかったのでこの度の再演は朗報。一も二も無く観に行った。
脚本、演出とも優れた舞台であった事は(幸なことに)言うまでもなかった。沖縄の戦争や戦後史を扱った舞台は数あれど、実際の「ガマ」(洞窟)を舞台にした芝居は寡聞にして知らず、新鮮であった。
沖縄本島中部辺にあると思しい洞窟に、熾烈な戦場となった南部から逃げ延びた者たちが入って来る。ひめゆり女子挺身隊の生き残り(清水緑)、負傷した大尉クラスの軍人(岡本篤)、後に脱走兵と判る二人(浅井伸治・青木柳葉魚)、沖縄人の教員(西尾友樹)、その土地に明るい老人(大和田獏)。時系列的には覚えていないが、時折爆撃音が聞えるが基本皆はずっと洞窟の中で、会話を繋いで行く。それぞれがこの場所を係留地と考え、それぞれの目的とする所へ向おうとしているが、閉塞した場所での対話はその切迫した状況の中で一つに収斂していく。彼らの中で「投降」という選択肢が浮上し、幾つものやり取りを経てどうやら白旗を揚げても米兵は恐らく自分らをなぶり殺しにしたりも陵辱したりもしない、という説が現実味を帯びる。そして彼らの中の最も若い女子挺身隊員の「死」への執着を取り払い、「生きてもらう事」が他の男らの言動の目的となる。「沖縄人が立派な日本人である事を証明した」挺身隊員たちの死に自分も倣いたいと言い、「でなければ何のために彼女らは死んで行ったのか」と、泣き崩れる女性に現地の老人が、「その答えを見つけるために生きるのだ」と繰り返す。
その前段、部隊を破滅へ追いやった責任を一人自決という形で取ろうと考えている(事が明白である)負傷大尉に対し、誰かが釘を刺す。お前一人死んだ所で何もならない、責任をとるとはそういう事ではない・・。
またその前段、教員もまた己が軍国教育を施し、生徒らを戦争に送った事の責任をひめゆりの子を見るたびに感じ、せめて彼女を生かそうと考えている。大尉が治癒し、絶望的な南部戦線の部隊へ戻るのに対し、彼女はそれに同行しようとしていた。
あるいは脱走兵の片割れは、爆撃音が轟いて来た今、部隊とは逆の北部へと一日も早く逃れようとしており、もう一人はそこまでの度胸はなく、相方を止めようとしている。
それが終盤では一つの選択肢のみが彼らの希望となる。
大尉の杖に、ボロ布を広げて結わえ付ける。ひめゆるの子が「自分が先頭に立つのが最も安全だ」と、旗持ちを買って出る。肩を寄せ合う一群が、ガマの入口へと向かい、カットアウト。終幕である。
日本兵によって「死」に追いやられた沖縄人が居る、という史実は疑いを挟む余地はない、と思っていたが、未だ沖縄は矛盾の極みを体現している。
関東大震災での朝鮮人虐殺は豊富な資料の存在から否定し得ない史実(公式にも認定)であるにも関わらず、それを否定したい市民を「支持者」と認ずる現都知事はその存在を認めない、という選択をしている。
「認めたら不都合」な事実を認めず、やがては事実を別の事実へと改変して行くのが「国のため」「市民のため」と公言しているのに等しい。そういう公人を戴く私ら現代日本人にとって、こういう芝居の需要は当面無くならないだろう。