視点 vol.1 Re:TRANS(MU×ミナモザ×鵺的) 満員御礼、審査発表をblogにて公開しました! 公演情報 視点「視点 vol.1 Re:TRANS(MU×ミナモザ×鵺的) 満員御礼、審査発表をblogにて公開しました!」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    三様それぞれ
    各劇団の表現力と思考が違えばこその個性溢れる舞台だった。とにかく面白い。テーマは「トランス」ということだけれど、どの劇団にも通じる「精神の屈折」の表現具合が絶妙だった。

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    患者の肋骨を折っていた看護士を描く『スプリー』(ミナモザ)では左手しか動かない患者の虫のような蠢きが面白かったし、患者の動作に対してただただ、「イラっとした」という理由で患者の肋骨を折ろうと企み、ついでに不倫相手にもこうして、あてつけを兼ねる行為をする看護士。一方で患者の担当医ことカサイは厄介な不倫相手と切れようと看護士の人格障害をネタに理由をコネル。笑)
    序盤では骨を折られまいと看護士を宥めたりすかしたりしていた患者はバイク事故での相手を殺してしまった告白をすると、「全ての事は意味がある。これは罰だ。生きているものは全て塊で大いなる物の部分に過ぎない。全ての出来事は繋がっている。君の痛みは僕の痛みだ」などと講釈して、看護士に「それじゃあ、私は私の肋骨を折るわ。」と仕向けてしまう。とんだ展開!笑


    セクシュアル・マイノリティを連想させるキーワードを含む『クィアK』(鵺的)の描写は相変わらずの屈折さ。この劇団の特徴は卑怯なほどの屈折さが売りだと思っている。笑
    ゲイを自称して20年。身体も精神も女が駄目だと思って疑わなかった木谷は女を知ってしまった日から「この女が居ないと生きていけない。」という身体になってしまう。近藤の前では女を奴隷のように扱っていながら、実は木谷の身体は女の奴隷になってしまった。という女に目覚めたゲイのお話。卑屈なほどに女を奴隷扱いしておきながら、終盤の真逆の展開があまりにもお見事!いつも思うことだけれど、平山寛人って「カイジ」に似てる!笑


    臨死体験で感じた光を確かめ合う『無い光』(MU)では「光」を信じて三途の川を渡ろうとしている右手が不能になってしまったイラストレーター・理英を死なせまいと足掻く同級生の男たちを描写する。ここでの最大の問題は同情と単なる組み合わせや配分の誤りによって生じているような気がする。後藤と修造は理英が好きで後藤を好きなのは朝子だ。修造と理英が付き合っていると勘違いした後藤は中学生の頃に自殺を試みた。好きな相手が自分を好きではない。というちょっとした組み合わせの違いでぐちゃぐちゃになってしまう。考えてみればこの世界の問題の多くは配分の誤りによって生まれていると言っても過言ではないような気がする。ただの不均衡で。笑
    更につきつめると、人は断りもなく自分として生まれさせられ、断りもなくその自分を奪われてしまう。だとしたら自殺するなんて回収の手間が省けるだけ向こうの思う壺だ、と思う。



    以上、3つの物語だったが爆発的な屈折さが面白い。短編なので長編ほどの重みはないがそれぞれの嗜好を楽しめると思う。



    0

    2010/09/22 22:37

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大