セツアンの善人 公演情報 世田谷パブリックシアター「セツアンの善人」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    娼婦のシェン・タから、いとこの男シュイ・タにかわる葵わかなの一人二役が面白い。仮面をし、衣装もルーズでパステルなシェン・タから、びしっとスマートなシュイ・タと違いが際立ち、めりはりがついた。
    テキストレジーのせいか、冗長さはなくテンポよくすすんだ。
    脇役もよかったが、とにかく葵わかながきらきら光っていた。

    ネタバレBOX

    先日の俳優座の「セチュアン」は、社会主義参加がいまはぴんと来ないと大きく変えていた。今回はセリフはほぼそのままである(歌が省かれたり短くはなっていた)。それで見ると、資本主義批判・社会主義参加という社会批判より、この世の中で善人であることは、どこまでいられるのかもつのか、という生き方の問いに収れんされると思う。

    最後の裁判場面の中身が意外と印象うすい。最後だけは有名。「この世で善人では生きられません。助けてください」というシェン・テの願いに、神さまは「シュイ・タでいることを段々減らすのじゃ」というだけで、シュイ・タを全否定はしない。最後に老人役の小林勝也が、客席に「皆さんで考えてください。良い結末を、よい結末を」と呼びかけて終わる。

    ただ、この劇の善人とは「他人に慈悲を施すこと」「困った人を助けること」に矮小化されている。俳優座の、いとこのシュイ・タを合理的な資本家として描いた芝居を見た後のせいか、この芝居の善人性がただのお人よしにみえてしまって、共感しきれない。「地獄への道は善意で敷き詰められている」とは社会主義者レーニンの言葉である。

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    2024/10/30 12:47

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