セツアンの善人 公演情報 セツアンの善人」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
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  • 実演鑑賞

    満足度★★

    白井晃さんの作品が好きで見てきました。
    正直、ちょっと物足りなかった。主人公のシェンテの葵さんが歌は上手いのだけど、なんか魅力がない。主人公シェンテの持っている良い人オーラが感じられない。「セツアン」はこんな安っぽいミュージカルではないと感じてしまいました。好きなのは3人の神様がなんとも言えない魅力があって、好きです。

    ネタバレBOX

    最近の白井さんにありがちな、劇場見せます的な、舞台上のバトンや照明が降りてくるのも大して魅力的ではない。綺麗なカプセルホテルのようなセットも、面白いのは冒頭くらいであとは使えてない。客席の登退場もただの通路扱いだし。終始マイクで拾われてる声も役者の声を信用していない感じ。音楽がでかいからマイクなのか?とにかく押し付けがましい音な気がする。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    貧困、犯罪、詐欺、堕落の限りにある地区セツアンで神からも認められた唯一の「善人」にして
    身体を売らないと生活できないシェン・テ、という人物設定がすごく皮肉めいている(善い人が
    貧民街で一層下の地位にある)のと、

    シュイ・タって現代的にいうとシェン・テの“裏アカ”だよね。シェン・テが決して表立ってできないこと、
    言えないことを代わりにやってのけることでそのストレスや抱える負担を減らしてるわけだから。
    80年前の舞台と聞いたけどイヤにリアルな人物描写といい、まったく古さを感じさせなかったのが凄い。

    ネタバレBOX

    自らが作った世界にいる「善人」を見つけるべく、長い長い旅に出ている神さま3人組。
    自分たちに冷たいセツアンの人々を見て肩を落とすも、唯一宿を与えてくれたシェン・テを
    「善人」と認定し、お礼にお金を与えてくれた……

    のだが、シェン・テがそのお金で新しい店を開いたところ、セツアンの人々がおんぶにだっこで
    自分に「寄生」するため、たまりかねたシェン・テは冷徹かつ感情に揺さぶられない企業人にして
    いとこのシュイ・タへと成り代わり、やがては大きなたばこ工場の企業主として辣腕を振るうことになるが……

    ブレヒトは生前、アメリカや西ドイツを離れて東ドイツで終生暮した、筋金入りの共産主義者にして左翼
    なんだけど、シェン・テやセツアンの人々を社会の底の「犠牲者」「殉教者」として描き切らないのが
    いいなと。

    セツアンの人々はいい意味でも悪い意味でも考えなしで無邪気でその日暮らしでやっている、善人とみれば
    利用することしか考えない性質の人々だし、シェン・テもそうした人に悪態はつくし、「人に施すのは
    気持ちいい」と告白することからして汚れなき本心から善行をやっているのとは違って、いかにも現代的な
    「承認欲求」が見え隠れする単純じゃない人物だなぁと。

    さっき“裏アカ”の話したけど、誰かに貢いじゃって気持ち良くなるタイプの現代人にも通じるキャラ造形なのよな
    シェン・テって。そういえば「夢語る系」だけど金の工面も手に汗かいて仕事もできない、ただのパイロット
    志望なヒモ男のヤン・スンにハマってる姿とか、お金全然ないソープ嬢や女子大生あたりがホスト狂いする構図と
    全然変わらなくって怖い……。現代が80年前と実は同じ、ってことでもあるのだけど。

    それでいうと、シュイ・タが仕切ったたばこ工場、使われてる人にとってすれば「搾取」かもだけど、舞台から離れて一連を観察しているこちらからすると、セツアンの人たちもヤン・スンも働く前よりよっぽど生き生きしててどっちがいいのやら、と正直思った。おそらくだけど、8割の人がそう感じたんじゃないかな……?

    ブレヒトの批判的な目は、善人を善人のまま生かそうとしない神さま(宗教)、ひいては社会に向けられていて。
    神さまや社会は、人々のためを思って善行の限りを尽くす善人を口を極めて称賛するけど、相手が苦しいと知るや
    「善人は試練によってさらに磨かれるのじゃ」「手を差し伸べることはびた一文えできないのじゃ」といって
    無力な存在を装う。そうした態度をブレヒトは、「何なんコイツら、世界を創造したはずなのに口だけ回って何も
    できない連中なんじゃん、そんなの尊重する意味ってあります?」と嘲笑しているようにも思えました。

    また、神の調停ですべてが最後に解決する古代ギリシアの演劇と違って、神は「セツアンの善人」でただ舞台を去っていく
    存在に過ぎず、シェン・テはじめ街の人たちの問題はノータッチで宙ぶらりんにされる。これは、「神なんてもう
    この世界には存在しないも同然なんだよ(=問題解決の最終手段ではない)」という左翼的なメッセージとともに、

    「あらゆる問題はこの舞台に立つ自分たちが誰よりも何とかしなきゃいけないのであり、“いい結末”は自分たちの選択と
    振る舞いで全部決まるんだよ」という、広くみれば「選挙の一票」にも通じる息の長い「政治劇」だとも感じました。

    コインランドリーの乾燥機をデカくしたような舞台装置、いざ暮らすにはせまっ苦しくてこの舞台には合ってる気がした。
    そしてヤン・スンは気持ち悪さと痛々しさで本作のMVPといえるなぁと。とにかく男がそろってヤバいやつしかいない(唯一
    水売りだけが相対的にマトモ)あたり、ブレヒトが男性なのも併せて考え込んでしまう……。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    娼婦のシェン・タから、いとこの男シュイ・タにかわる葵わかなの一人二役が面白い。仮面をし、衣装もルーズでパステルなシェン・タから、びしっとスマートなシュイ・タと違いが際立ち、めりはりがついた。
    テキストレジーのせいか、冗長さはなくテンポよくすすんだ。
    脇役もよかったが、とにかく葵わかながきらきら光っていた。

    ネタバレBOX

    先日の俳優座の「セチュアン」は、社会主義参加がいまはぴんと来ないと大きく変えていた。今回はセリフはほぼそのままである(歌が省かれたり短くはなっていた)。それで見ると、資本主義批判・社会主義参加という社会批判より、この世の中で善人であることは、どこまでいられるのかもつのか、という生き方の問いに収れんされると思う。

    最後の裁判場面の中身が意外と印象うすい。最後だけは有名。「この世で善人では生きられません。助けてください」というシェン・テの願いに、神さまは「シュイ・タでいることを段々減らすのじゃ」というだけで、シュイ・タを全否定はしない。最後に老人役の小林勝也が、客席に「皆さんで考えてください。良い結末を、よい結末を」と呼びかけて終わる。

    ただ、この劇の善人とは「他人に慈悲を施すこと」「困った人を助けること」に矮小化されている。俳優座の、いとこのシュイ・タを合理的な資本家として描いた芝居を見た後のせいか、この芝居の善人性がただのお人よしにみえてしまって、共感しきれない。「地獄への道は善意で敷き詰められている」とは社会主義者レーニンの言葉である。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    この演劇は主役で決まると言っても過言ではないと思います。
    主役は一人二役で終始舞台に立ち、歌う。
    その主役、葵わかなさんの演技が素晴らしいので、この舞台は
    素晴らしものとなっています。

    世田谷パブリックセンターは奥行きがあり、演出家冥利につきる劇場だと思います。
    前回、倉持裕さん演出の「お勢断行」を観てしまったら、今回の演出はもう少しな
    印象です。

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