【ご来場ありがとうございました!】蜻蛉玉遊戯 公演情報 趣向「【ご来場ありがとうございました!】蜻蛉玉遊戯」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    趣向ワカヌの残酷メルヘン。
    胸に秘めた想いを守りつづけたいと願う普遍的な気持ちと幸いを壊したくなる衝動、こころのなかに棲みつく魔物と根拠のない善とが「生きたい」という根源的な欲求を重心にせめぎ合い、交わり合い、嘔吐する、壮絶な争いを繰り広げていた。
    人間のドロリとした醜い業がぶちまけられたような舞台だったのになぜだろう。
    うつくしくてひかりかがやくおとぎの国にまどろみながらおさんぽしてきた気分になった。

    ネタバレBOX

    『キョウダイ』
    こころとからだ、血でつながっているふたりでひとつの『わたしたちきょうだい』が、だんだん大きくなるにつれ、わたしとあなたが違うことを自覚しはじめ、大人になって離ればなれになってしまったことを、遠い記憶から遡りモノローグ形式で綴っていく・・・。

    戯曲のファイルがブログからリンクしてあったので、事前に読んでから観劇しました。活字で目にした時は、おかっぱ頭で目のぱっちりしたうりふたつの無表情な女の子たちが手を繋いでるイメージを抱いたのですが、実際作品を観てみると、白いふんわりとしたワンピースをきた女の子たちが、自由にそこいら中を駆け回っていて、まるできょうだいが共にいきることを祝福しあっているような、躍動感に満ちていて、それは彼女たちの根源的な生命力を意味しているようにもおもえました。
    細胞レベルで繋がりあっている、彼女たちが、くっついたり離れたりしながら自我を確立し、互いから逃れたいと葛藤し、離ればなれになっていく様相は身体面ではよくつたわってきたのですが、台詞からは、それが伝わりにくかったようにおもえた場面もありました。私があらかじめ、戯曲を読んでいたからかもしれませんが・・・。実はこの戯曲を読んだ時に、ふたりが共にすごした時間が水のような透明感と響きを持ってさらさらと流れて行くような印象を持って。それが頭のなかに残っていたので、台詞が、1センテンスとして耳に入ってはくるのですが、音としてなかなか耳に響いてこなかったのです。
    たとえば、『わたし』という単語が3音に分解(分節)されて『わ・た・・し』と発音されたり、更に『わたしたち』と台詞を重なったりズレたりしていれば、もうすこし違った感覚で観れたかもしれません。また、きょうだいがはなればなれになって、今では互いの安否すらわからないという場面で、物語が立ち止まり、沈黙する瞬間があれば、もっと切ない気持ちになったかなぁ・・・と。
    ただこの辺りのことは、この作品の次に拝見した『天葬』では色濃く反映されていましたので、作品ごとに差異を出すために躍動感に絞った演出を意図されたのかもしれませんが。

    役者のふたりは、純真無垢な感じがよく出ていてよかったとおもいます。
    ただ、緊張していたのか、若干演技が固いような気もしましたが、後半はふたりの演技に引き込まれました。

    『天葬』
    天葬とは別名鳥葬と呼ばれ、その名の通り鳥が死体を食べるというチベットで行われるポピュラーな葬儀のことである。
    この方法で自身の葬儀を行うことを望んでいた父親がチベットで死に絶え、葬儀が行われたとの一報を受けた妻の嶺子、娘の美月、息子の陽司。3人のそれぞれの想いが静かに語られていく。

    家族には、家族だから言えること、家族だから言えないことがあるものだとおもうのですが、この家族たちは、その善し悪しを判断することはできるけれども、自身の出したアンサーを胸のなかにしまいこみ、他者に何かを問うことを遠慮してしまうひとたちなのだとおもえました。
    そして、時には自分の出したこたえが正しいと自らに暗示をかけてしまう。
    たとえば、天文学が得意な娘を、そういうのとは関係のない普通の大学に入れて普通な結婚をさせることが幸せだと思いこむ母の嶺子、姉や母と話すのが面倒くさくてひとり暮らしをはじめる陽司、仕事で世界中飛び回る夫に「戻ってきて」のひとことがいえない妻・・・。

    父の訃報を機に家族がひとつに纏まるというのは何とも皮肉。
    けれどもなかなかあと一歩踏み込めない彼らのけなげな強引さはとてももどかしく、微笑ましい気持ちにもなるのでした。

    『カーニヴァル』
    とある町で馬の頭を掻っ切って捌いて売ってる肉屋の女と一緒に暮らすひとりの少女。彼女の母はカーニヴァルの歌い手で、忙しくて面倒をみていられないから、女が預かっているのだという。もうすぐカーニヴァルがやってくる。果たして、ほんとうのお母さんは迎えにくるのだろうか・・・?

    『オルゴール箱』を開くとはじまる華やかなカーニヴァル。されど永遠には続かないカーニヴァルは、少女のみる夢も女のみた夢もすっかりシビアな現実としてひとまとめにしてしまって。

    ふたりとも、血のつながった母と娘であることを憎み、恨んでいるからこそ、
    他人同士のフリをする。
    それでも、少女が家を出たいと言うものなら、苦し紛れに『もうすぐほんとうのお母さんはやってくる。』と女は嘘をつく。
    だが、自分自身をだませないと悟った時、どちらかを殺さなければならないと悟る。
    とても恐ろしい人間の業がほとばしるような作品であったのに、片時も目が離せなかった。
    真っ赤な血を流しているのに、それが甘くて美味しいイチゴジャムにでも見えるような残酷だけどスウィートな世界。3作品みたなかでこのおはなしが一番わたしは好きだったかな。

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    2010/09/05 09:51

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