実演鑑賞
満足度★★★★
デーア・ローアー戯曲と聞いて予想される範疇であり、中々重層的で重厚であったが、「ヤマモトさん」という固有名詞から想像した「一つの物語」という想念を消し、違う人物が出てきたら違う物語、くらいに割り切ってエピソード集として最初から観るのが良い、と思った。前の場面とどう関連があるのか、という注意で見ているとその注意に引っ掛からないので脳内での整理が(コンディションが悪いと尚更)追いつかなくなり、睡魔となる(今回は短時間襲われた程度で乗り切った)。
理解が及ばない場面もあったが(パンフにあるキャストのコメントからして「台詞が指示する具体を探っている」とある位で)、かくありたい生を示唆し想起させる「言葉」それ自体が脳内に投げ込まれ、明滅を起こす。現実の皮相さの中での、人の緩やかな繋がりが匂って来るような。
現代か近未来チックなユニークな音楽は、何と池辺晋一郎(音程が明確な旋律ではあるが(楽譜には落せそうだ)、コード展開がなく打楽器音的に響かせている)。
出演者の数は多く、パンフには所属が書かれていないが客演俳優も結構居たのでは(私が認識できたのはOn7の宮山女史。彼女はシヅマがやった同作者の「最後の炎」に出演していた)。
高い壁で仕切られた四つの空間を反時計回りに盆を回して場面転換をするが、同じ方向へ、淡々と為されるのが段々とシステマチックに見えてしまったのは私の集中力のせいか。様々な人物たちがいて、多方向に想像力を稼働するから、並列に存在している各組が持つ特徴、というか性格付けの+αが欲しい気がした。
詩人が二つ目の詩を読む終盤に、それがヤマモトさんに向けたものだとは認識出来なかった(指示する何かを見過ごしたのだろう)。具体的なヤマモトさんを通じて、あるいはそこに居ない誰かを介して繋がっている人々の群像を作者はやはり見せたかったに違いない。
詩を読む時間、その詩には書かれていないか、読まれずに終わるテキストが、背後に流れる。その流れて行く言葉が、いや、たとえ表れずとも青年の中でこうした言葉が反芻され推敲されただろう事実が、胸に迫って来る。
それだけに「誰に向けた言葉か」「その人との関係は」を知りたくなる。だが、誰であろうと成立するでしょうに、という作者のチクリ指摘が聞こえる気がしなくもない。