せんがわ劇場×桐朋学園芸術短期大学自主上演実習公演 公演情報 桐朋学園芸術短期大学「せんがわ劇場×桐朋学園芸術短期大学自主上演実習公演」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    有名な戯曲2編「父と暮せば」(井上ひさし)・「2020」(上田岳弘)、と言っても後者は観たことがない。前者は現実をリアルに描いた反戦劇、後者は抽象的というか観念的な創造劇。その違いを続けて観ることで、演劇の幅広さ奥深さを改めて感じさせる。上演演目の選択は勿論、その並べ方(上演順)も上手い。

    ネタバレBOX

    〇「父と暮せば」(作:井上ひさし)
    板敷の上に畳、中央奥は台所/流し場、上手に襖 傍に卓袱台。屋外には隙間のある板壁が見える。シンプルな造作だが、戦後のあばら家と思えば納得できる。登場人物は父と娘の2人。当日配布されたチラシによれば役者2人は同い年。それを父・娘を演じることの違和感を危惧したが…。設定では亡父だが、亡くなったのが兄で 親心といった面持ちで観ても泣ける。

    物語は、戦後3年経った夏の広島が舞台。美津江は「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」と固い決意。原爆で多くの愛する者を失った美津江は、1人だけ生き残った負い目を持っている。最近 勤めている図書館に通ってくる青年に好意を抱くが、恋のトキめきからも身を引こうとする。 そんな娘を思いやるあまり「恋の応援団長」として現れるのが父・竹造。実はもはやこの世の人ではない。共通パンフには「死者と生者、父と娘それぞれの抱える思いが交錯しながら紡がれていく日々」とあり「いまを生きるあなたに届けたい物語」と結んでいる。

    父と娘、その年齢差をあまり感じさせない演技力。全編 広島弁、その臨場感も相まってシーンとした場面では、至る所ですすり泣きが聞こえる。第二の故郷が広島であり、聞き慣れた広島弁に違和感は感じられなかった。それだけ方言指導と演技が確かということ。
    気になったのは、すべって尻もちを搗き苦笑いする美津江。転んだのが気になったのではなく(⇦良くはない)、真剣に演技しているから真顔、その表情が硬く(特に目が据わっているようで)怖い。転んだ(アクシデント?)後の苦笑いだが、何となく柔和になったように思う。真剣に演じている表情だが、例えば亡くなったとは言え、父が幽霊となって現れる。それだけでも嬉しいと思うのだが…。真剣になればなるほど硬い表情・演技になる難しさ。因みに、美津江役の東春那さんは翌日 ブランケットの貸出をしていたが、その時の笑顔は優しい。

    舞台技術は、冒頭の雷鳴や雨音、そして朝・夕を表す照明の諧調が実に効果的だ。特に原爆投下を表す目つぶし照明は 強烈な印象付け。また美津江の衣裳は白ブラウス&もんぺ、父の普段着も時代感覚に合っており、戦後間もない頃の様子を窺い知ることが出来る。

    〇「2020」(作:上田岳弘)
    舞台美術は横長テーブルを菱形に配置し、その角に額縁枠だけの小物を置いたシンプルなもの。正面奥に映像を映し出す。登場人物は男1人…約60分間の一人芝居でその台詞量は膨大だ。

    物語は時代を往還するかのように、その時々の情景や状況を表す。「2020」というタイトルだが、描かれている時代・世界は現在の視点のよう。共通パンフによれば、疫病があっという間に世界を覆い、まさしくコロナによるパンデミックを連想させ、東京オリンピックを起点に はるか昔、人類の誕生からはるか先の世界の終わりまでを語る。まさしく<語る>のだが、それは独白のようでもあり、演者の精神・肉体から発する声のようなもの。それをしっかり伝え届けることが出来るのか否かが、この物語の面白いところ。

    物語に関連があるのか、先のパンフによれば「クロマニヨン人」「赤ちゃん工場の工場主」「太陽の錬金術師」そして「最後の人間」などが語られている。また断片的な台詞で世相の象徴的なことを表し、時代を行き来するタイムトラベルまたは宇宙飛行を思わせるような映像、その舞台技術の駆使が印象的だ。照明ライトを浴び、その中に浮かぶキャストのシルエット…腕を天に向かって伸ばす姿が神々しい。全体的に観(魅)せるを意図しているよう。
    また、具体的な事件等も映し虚実綯交ぜといった観せ方だ。語り続ける男、その本意をどこまで理解出来たかは解らない。

    言えるのは、男が客席通路を駆け上がったり、横長テーブルに上り熱く語る姿。それが熱演といえるかどうか?だた永い人類史に絡めた人間心理と社会世相、それを額縁枠から覗く様は俯瞰的であり客観的に自身を語っている、とは感じられた。
    次回公演も楽しみにしております。

    0

    2024/07/15 09:22

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大