三月大歌舞伎 公演情報 松竹「三月大歌舞伎」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    「珍品二題」

     各部珍しい狂言立で印象深かった。

     3月10日に観た第三部「髑髏尼」は大正6(1917)年に市村座で六代目梅幸、六代目菊五郎が初演した吉井勇の新歌舞伎。戦後では昭和37(1962)年に歌舞伎座で六代目歌右衛門、十七代目勘三郎で武智鉄二の補綴により上演されて以来じつに61年ぶりの上演である。今回主演の髑髏尼を演じ今井豊茂とともに演出も兼ねた玉三郎がパンフレットに寄せた言葉によれば、前回上演よりもより原作に近い形での上演を目論んだという。

    ネタバレBOX

     源平合戦後の京都では源氏方が平家の反撃を恐れ街中の幼い子どもを次々に手に掛け親たちの悲鳴で溢れかえっている。海の向こうの戦争を想起させるこの幕開けはなかなかに重い。平重盛の上臈であった新中納言局(玉三郎)は忘れ形見の壽王丸を源氏の武士に殺され、亡き息子の髑髏を傍らに奈良の尼寺に入り、いつしか髑髏尼と呼ばれるようになる。彼女が堂内で蛇やトカゲ、サソリやヤモリの油を愛息の髑髏に注ぐというグロテスクな儀式をすると、そこになんと重衡の亡霊(愛之助)が現れる。つかの間重衡は彼岸へと還っていくのだが、この時舞台後方の幕が上がり数多の平家の武将の亡霊たちが浮かび上がる演出がなんとも荘厳で空恐ろしい。

     寺の鐘楼守の七兵衛(福之助)は髑髏尼をひと目見て以来恋い焦がれているが、顔に大きな瘤があり他の尼から毛嫌いされている。髑髏尼のいる堂内に忍び込んだ七兵衛は髑髏尼に一生の願いだから俺と一緒になってくれと迫る。激しく抵抗する髑髏尼をやがて七兵衛は手にかけてしまう場面で幕切れである。国立国会図書館に収蔵されている初演の上演台本と比較すると、後半部分が若干補綴されていることがわかる。

     まるで「ハムレット」「マクベス」「ノートルダム・ド・パリ」が合わさったかのような不思議な感触の物語だが、戦争の悲惨さやルッキズムゆえのコンプレックスが起こす悲劇など、現代に通じるテーマが幾重にも織り込まれていて見応えのある一幕であった。玉三郎の髑髏尼が剃髪してからも艶めかしい外見と、重衡の亡霊を呼び起こす場面で見せた怨念の対比を見せ、大抜擢の福之助が見せた七兵衛の未熟さ、狂気に走る若い男の悪が忘れがたい。脇では京の都の惨状を嘆く阿証坊印西を演じた鴈治郎が重厚で、都の烏は平家の血で生きているとせせら笑う烏男を演じた男女蔵の気味の悪い道化ぶりが目についた。

     千穐楽に観た第二部の忠臣蔵「十段目」は通しではまず外されるうえに見取りでの上演も極めて稀である。廻船問屋の天川屋義平が赤穂浪士の討ち入りのために調達した武具を追手から隠し通し、妻を離縁し子どもを手にかけようとしてまでも守ろうとしたその覚悟を見た大星由良之助が義平を認めるという筋立てである。

     芝翫の義平はその出から描線が太く、武具を隠した長持ちの上に鎮座し「天川屋義平は男でござる」と両手を広げて他を圧する名台詞をたっぷり聞かせていい。特に中盤で本来は味方であるはずの4人の追手たちとともに見せた立ち回りは緊迫感があり一番の見応えがした。女房おその(孝太郎)を強い調子で追い出しながらも心では泣いているという芝居を見せて、義平の心情がより立体的に感じられた。

     忠臣蔵の物語の要諦を成しているともいえる大曲「九段目」と、討ち入りを描いた「十一段目」の間の「十段目」は、忠義に尽くす庶民の覚悟を描いた物語といえるだろう。奇しくも今月南座で右近ら若手中心の「五段目」「六段目」を観たため、勘平の悲劇とシンメトリーになっているとも感じた。

     都合がつかず「リチャード三世」に着想を得たという宇野信夫作「花の御所始末」(第一部)が観られなかったことは至極残念。いつも出る古典も大切だが上演が稀な作品が出ることは観客として喜ばしい。再演が続き新しい観客が増えることで、また新たな伝承が続いていくことを願う。

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    2024/04/03 20:28

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