実演鑑賞
大勢が出演するうずめ舞台は粗くなる傾向があるが、今回は特色ある配役(燐光群猪熊氏や何と言っても黒テント服部氏..ペーター・ゲスナー氏の恐らくリスペクトが反映してると思しい)もありとても楽しみに劇場へ向かった。
もっと狭い劇場で観たい「パフォーマンス」であった(もっとも大勢の場面は板の上に乗らないだろうが)。些か癖のある性格(コミュ障併発)とぶっ飛んだ空想癖の主人公、小学生の奈月は、年一度田舎のお祖母ちゃんちでお盆に会う従兄の由宇と健気な恋を育み(どちらかと言えば奈月の一方的な)、二度目の夏に二人だけの結婚をする。誓約事項は奈月の方からの要求、他の女の子と手を繋がない、等だったが、問われた由宇は少し考えて「来年の夏まで生き抜くこと」と加えた。それが予言でもあるかのように、奈月は小六にして塾講師(大学生)から性的玩具とされて行く。始めは「ごっくん遊びをしよう」と声かけられる。警戒するも巧妙に誘導され、親のいない講師の実家に通う内、ついに口がけがされる。そして「あそこ」=本番の時も時間の問題と感じた奈月は、由宇にセックスをしようと持ち掛ける。ここへ至る経緯も、小学生でしかも病弱(だが性格は悪い)姉の都合優先な家庭では田舎へ行けるかも危うく、紆余曲折して3度目の夏を迎える。挿入までの経過の描写も子どもらしく細かいが、それが親戚中の者に知られ、さらし者となる。以来、実家には戻れず由宇とも会えない思春期を過ごして23年後。休憩を挟んで後半となる。この時点で1時間余が経過したが、配役が変っての二幕が約二時間。こちらが更にぶっ飛んでいた。
幼少の生い立ちゆえに、セックスが出来ず、味覚もない女性となった奈月が、別の男と夫婦になっている。だがこの夫とは特殊な関係で、夫も人と接触できない性質を持ち、仕事は長続きしないがそれを独特の解釈で必然と悟っている。実に際物でお似合いのカップルとして奇妙な同居生活が紹介される。彼らは自分たちが独自の原則で生きている、と捉えていて、彼ら以外の外界は「外部」と呼ぶ。家族からの干渉は相変わらずで、いつしか二人が奈月の田舎に行こうと思い始める。家族には内緒で。そして叔父さんの手引きでお祖母ちゃんの家屋を紹介され、逗留する事に。そしてそこには由宇もいた。彼も過去がしこりとなり普通の生活でないようだ。三人が次第にこの場所での生活の中に意義を見出し始めると共に、彼らは「外部とは異なる行き方」を模索し始めるのだが・・。
ここから先の展開が生物学的にぶっ飛んでおり、体質まで変わって行くグロテスクな彼らの様態は滑稽でもあり、崇高でもある。作者は、演出は、それを狙ったのに違いない。そしてある程度は成功したが、かなりの無理もある。芸劇というおしゃれな空間で、これをやるのか・・。汗が出たし最後まで涼やかさは訪れなかった。祝祭性のためには色々と犠牲にしており、哲学的な掘り下げのためには喜劇性が勝っている。
近年の芥川作家の作品の舞台化と言えばオフィス3○○の「私の恋人」もぶっ飛んだ世界であったが、今回の挑戦もあまりにもな挑戦である。