元気で行こう絶望するな、では失敬。 公演情報 パラドックス定数「元気で行こう絶望するな、では失敬。」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    野木さんの本音の読み解き方次第で…
    たぶん、アンケートに書いたことと相当主旨の異なる感想になりそうです。
    と、言うのは、【あそこまであんなに秀逸だったのだから、ここをもう少し工夫したら、完璧だったのでは】と思わされた点が、実は、野木さんは、百も承知の上で、あえてそういう手法を使われたのかも…と、帰る道すがら、考えたから。
    野木さんて、観客よりも、更に、一枚も二枚も上手なのではないかと感じたのです。

    この芝居、その点が、もし私の深読みなら、星4つ、読みが的中なら、星5つでも足りないと思います。

    さて、どちらなんでしょう?

    とにかく、どちらにしたところで、この作品、脚本、演出、キャスト、スタッフワーク、全てにおいて、ハイクオリティであることは、疑う余地なし。
    本当に、スゴイ芝居を見せて頂いたことだけは、間違いありません。

    20人の生徒が、実に、生き生きと、キャラクターまで、見事に、描き分けられているのですが、如何せん、すぐには、この人があれをした人とピンと来ない年齢になってしまったので、よりこの作品を深く感じるために、もう2~3回は、見直して、すぐに、これは誰と認識できるまでになりたいなあと思わされました。
    良い本は何度も読み返したくなるように、この舞台は、何度も観て理解を深めたくなる魅力に満ちていました。
    そういう意味でも、長く愛され読み続けられる、太宰をモチーフにした芝居の本領発揮を証明しているのかもしれません。

    何となく、野木版「春のめざめ」と言うか「いまを生きる」と言うか、そんな風情の、青春時代の切ない思いが去来する、胸に痛いながら、どこか懐かしい香りのする作品でした。

    ネタバレBOX

    20人の高校生がせり上がりで、勢揃いで登場する幕開けから、教室の並びが、前、横、後ろと瞬時に変化して行く様まで、目に鮮やかな演出で、冒頭から、演劇の醍醐味を思う存分、感じさせられ、ワクワクします。
    その全てが演劇的様式に満ち溢れています。

    20人の高校生の会話は鮮明に聞こえたり、逆に、よく聞こえなかったり、と、これも、現実の教室の風景そのもの。
    20人全員の思いや性格が、少ない会話や行動描写で、的確に露呈されて行く、手法も鮮やかなら、織り込まれるエピソードやストーリーの流れも、観る人の心の襞にジワジワ食い込み、皆、どこかに感情移入して、その場の生徒の誰かに、自分を投影してしまいそう。
    こうして、高校時代は、演劇であることを忘れて、見入っている内、今度は、登場人物は、18年後の36歳になって、それぞれの、それまでの人生を漂わせながら、再登場します。
    このあたりから、だんだん腑に落ちない思いが湧き上がって来たのです。
    同窓会に出席する服装が皆一律なこと。終幕には、作者の押しがやや強すぎないかと、感じ、そのため、野木さんならではの作劇手法が色あせ、何だか、これじゃ普通のありきたりな芝居っぽくないか?と、そんな思いが浮上して来ました。

    それで、アンケートには、もう少し出し惜しみぐらいで、ラストに持って行った方が、より、心に深く刻まれる芝居になった気がするということを書きました。

    だけど、岐路の道すがら、ふと思ったのです。待てよ、あんなに周到で、頭脳明晰な舞台作品を生み出す方が、そんなヘマをするだろうかと…。
    そうしたら、「東京裁判」の、あの当時にあり得ない眼鏡と、靴を思い出しました。あの舞台を観た時も、これだけ、徹頭徹尾、当時の資料を調べ尽くしてこんな高レベルの作品を書く方が、そんな考証ミスをされるだろうかと、腑に落ちなかったのを、思い出したのです。

    あっ、これって、もしや、野木さんは、「これはフィクションですよ、演劇ですよ、現実ではないんですよ」、と、あえて観客に提示しているのではと思いました。
    そのヒントとして、この舞台は、劇作家と役者をやっている2人の登場人物の創作なのだと匂わせる台詞があり、「学ランだと、黒ずくめで、舞台向きでない」という、演劇の衣装だからという見解を、台詞に織り込んだのかな?と。

    そうだとしたら、この芝居に登場する男子高校生は全員が太宰だというのも、これが芝居だからなんだと納得します。
    だって、普通の男性って、そんなに皆太宰のようではないもの。太宰のような人は、作家になったり、役者になったりするけれど、大方の一般男性は、高校時代の友人との交流を、いつまでも覚えていたりしないし、苛めたことすら忘れてしまう、もしくは、最初からそんな自覚さえない人がほとんどではないかと思うのです。男性って、とかく、加害者意識は希薄で、被害者意識が強い人、多くありません?
    この20人の登場人物は、一見リアルな男性に見えますが、よくよく考えると、野木さんによって、生み出された精巧な舞台上のキャラクターなんだと、合点が行った気がするのです。

    「真夏の夜の夢」のように、芝居が終わる時、「これは夢です」と提示されて終幕となるように、野木さんは、あえて、【この舞台は現実ではなく、芝居です。だから、現実社会は、なかなかこの芝居のように、スッキリは終われないけれど、私達は、こうして、演劇という、仮想世界で、お客さんに少しでも、元気を分けて差し上げますよ。辛い時は、芝居を観て、現実の憂さを忘れて、また明日から元気に過ごして下さいね】という、メッセージだったのではと、思いました。

    もし、この私の読みが思い過ごしでないとしたら、あの如何にも蛇足じみて感じられた、死んだ高校生の長い叫びも、野木さんのメッセージの代弁と思えて、一挙に腑に落ちるように感じたのでした。
    だから、たぶん、この芝居、星5つでも足りない方だと思っています。

    だって、あの20人の息の合ったパフォーマンスは、心底気持ち良くて、明日への勇気と元気が湧き上がり、その瞬間だけでも、間違いなく、痛烈に心を刺激してくれましたから。これは、演劇作品として、大成功!!たとえ、超現実的では、なかったとしても…。

    4

    2010/07/04 21:48

    0

    0

  • アキラ様

    そうですか!
    あー、やっぱり、戯曲買えば良かったと後悔中です。
    後で、本を読めば、見えるものがあったかもしれませんね。

    小劇場をこんなに観に行くようになって、まだ日が浅いのに、こんなに次々、才能ある劇団や、作家、演出家に出会うと、観たい舞台が,どんどん雪だるま式に増えて、困ってしまいます。

    2010/07/08 03:51

    KAEさん

    >>…ただ、1人赤い靴の人がいたような…。

    >えっ、それは誰ですか?気になりますね。

    同窓会のときは未確認ですが、スーツ姿のときだったのは間違いないと思います。
    目を引きましたから。
    映画関係の仕事に就いている設定の人で「試写室で映画見てから帰る」と言ってた人です。
    単に学生のときの靴を履き替え忘れたとは思えませんので(笑)。


    >人孤軍奮闘していた委員長の18年後の変貌

    金を借りに来た後の悪い噂があっての、真相ですから、これば「うまい」と思いました。

    2010/07/08 03:27

    アキラ様

    大変興味深いご視点に立ったコメント、ありがとうございます。
    なるほど!そういう見方もあるわけですね。

    私は、こうも思ったのです。
    あの同窓会で、死んだ生徒の話題は出なかったけれど、それは忘れていたからではなく、皆それぞれ、そのことがトラウマになっていて、わざと避けて語らなかった。だから、心の中では、彼への追悼の意味で、喪服という意味合いで、あの黒のスーツ姿だったのかなと…。
    でも、いづれの観点で捉えても、あの一律な服装は、登場人物が選択したのではなく、作者の野木さんの選択であることは間違いなさそうですね。
    アフタートークとかあったら、「あれはどういう意味合いですか?」と、野木さんに御質問したいことが山積みでした。(笑)


    >…ただ、1人赤い靴の人がいたような…。

    えっ、それは誰ですか?気になりますね。
    もしも、あの森に消えた生徒だったとしたら、私の予想も当たらずとも遠からずかなとも思うのですが…。
    何だか、いろいろ予想しつつ、もう一度観たくなってしまいました。

    それにしても、あの1人孤軍奮闘していた委員長の18年後の変貌は、胸に突き刺さる衝撃がありました。
    野木さんのキャスト選びの目の確かさにも、甚く感動を覚えてしまいました。
    こういう才能ある女性作家の台頭は、本当に同性として、この上ない喜びを感じてしまいます。

    2010/07/07 17:08

    KAEさん

    >同窓会に出席する服装が皆一律なこと。

    これは、私も最初は「あれっ?」と思いましたが、後に全員がメガネ&スーツであるとわかったときに、「そういうことか」と思いました。
    つまり、学生のときには、まったく同じ白シャツにグレーのズボン、そして赤のネクタイでしたが、それぞれにシャツの着方、ボタン、ネクタイの締め方、長さ、ズボンのロールアップなどで、「制服」という型の中にいても、自分を主張していましたが、18年後は、社会人という型で、逆に「記号化」してしまった姿なのではないかと思ったわけです。
    それは、つまり、いろいろなものを「森」に置いてきてしまった姿ではないかと。

    ・・・ただ、1人赤い靴の人がいたような・・・。

    2010/07/07 06:32

このページのQRコードです。

拡大