元気で行こう絶望するな、では失敬。 公演情報 パラドックス定数「元気で行こう絶望するな、では失敬。」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    応援歌を奏でるプロ集団!
    オープニングにヤラレル。ナラクからせりあがってくる20人の高校生。この登場の仕方がまるで暗闇から少しずつ浮き出でる勇者のようだ。目に入った完璧なるその画はきっとこの先記憶に残ると思う。そして椅子を巧みに使っての角度90度ずつ移動する彼らの情景の見せ方。素晴らしい演出だと思う。野木萌葱という女性、天才じゃないかと感心してしまう。当日のパンフレットには「太宰治を読んで『こいつぁ、相当、優しい、男だぞ』と思った。」とある。で、「ああ、そうか、男はみんな、どこかしら太宰治なのだな、」とも感じるのだ。そう感じる野木も相当優しい女だな。とワタクシは思うのだ。

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX



    森に囲まれた木造校舎の中の男子高校生20人。そこにはイジメもありそれぞれのポジションもあり、誰かと繋がっていたいという切なる想いもあり、自分を見てほしいという自意識もある。思春期という、大人と子供の狭間でモガク18歳の旬を描いた物語。

    ソイツを苛めることで優しく出来るという他者との繋がりを求める酒巻、気を遣われながら苛められてると察している十枝。仲間から下に見られてると更に下を見つけねえとやってけねー。というポジションを気にする輩。時には死にたいと思ったり、家族が今里の家に借金をする光景を同級生の今里に見られて毒舌を吐く高井。だけれど20人は夏の川に泳ぐ河童のように無邪気に無心に悪戯に戯れる。悪戯に興じる彼らはただただ、我侭で強情で傲慢な子供に過ぎなかった。

    しかし、一つの事件、高井が同級生の財布を盗んだことをきっかけに、ゆうやが森に入ってしまう。つまり自殺だ。ゆうやは高井をかばっての言動と、誰からも見られていないという鬱の心から森に入ったが、最後に今里と話した後に森に入ったことから、今里の心にゆうやを助けられなかったことへの後悔と闇が蔓延ることになる。19人は個々の手に懐中電灯を光らせ、闇が続く森に入りゆうやを捜索するも、ゆうやは見付からなかった。

    このことが19人のそれぞれの心に巣食い、時々尖ったナイフでちょんちょんと突かれるように思い起こされ癒されることはなかった。やがて・・・、36歳になったそれぞれは弁護士やら、医者やら、刑事やら、数学者やら、役者やら・・・とそれぞれのポジションで活躍するも、大人の世界はそんなに甘くないことをも表現し、そのことがこちらの心にもズシン!!と重くのしかかり、「そうそう、現実ってのは綱渡りのようなもんだ・・。」なんて共感しつつ、彼らは未だにゆうやの闇を拭い去ることは出来なかった。

    だからこそ、彼らは同級生を思いやり相当に優しく接する。そうしなければ、いつ、自分も彼らも上流の方にある心というダムが決壊して濁流と化すかが解らない、自信がない状況なのだ。彼らの血はそういった闇の想いと共に、三本締めで自分自身にも皆にも「ガンバロー」と励ます。このシーンと死んだはずのゆうやが登場する場面や、18年前の彼らと現在の彼らを交差させながらの演出は錆びた鉄の匂いが感じられるような懐かしい演出だった。

    最後にゆうやが今里に向かって話す場面「俺はもう祈ることしか出来ない。堂々と幸福を求めて欲しい。この先この国には俺たちの黄金時代など、ないかもしれない。だけどきっと勝てる、確信してる。俺たちが駄目になる理由なんて何もない。それまで悠然と力を磨いておけばいい。だからさよなら。命あらばまた他日。元気でいこう。元気で行こう。絶望するな。では失敬。」

    こうして今里は苦しみの淵から解放される。
    ここでの20人は全員が太宰だった。死んだものも生き残ったものにも、そしてこれを観たものへの応援歌だった舞台。
    明日に希望を持ち、もうちょっと頑張ってみるか、と思える舞台だった。素晴らしい!

    三本締めの最初に、何で「よーお!」って言うか知ってる?
    あれ「祝おう」っていう言葉から来てるんだってさ。
    そうして植村の音頭でクラス全員による三本締めで幕が閉じる。

    元気で行こう。絶望するな。では失敬。

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    2010/07/03 13:38

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