元気で行こう絶望するな、では失敬。 公演情報 パラドックス定数「元気で行こう絶望するな、では失敬。」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    どこかの暗闇に忘れてきてしまったコトたちが、(個人的にも)鼻の奥がつーんとなりながら蘇る
    かつて、そういう年齢を過ごした者としての共感と、大切な記憶と、探られたくない記憶が交錯する。

    ホントに、とてもいい舞台だった。

    ネタバレBOX

    何ごとが始まるのか? というオープニングから、引き込まれた。
    よく考えれば、実際の高校生とダブルスコア近く年齢が離れている役者が、高校生を演じているのだが、どう見ても高校生にしか見えず、とてもいい(あの年代でしか出せないような)エネルギーを発していた。

    そのエネルギーは、自己意識過剰のなせるワザで、例えば、「相手をいじめないと、優しい言葉がかけられず、人とつながることができなかった」りしてしまうのだ。
    そのエネルギー(負のエネルギー含む)は、もてあまして、顔にニキビとかできてしまったりする。そんなエネルギーを舞台から感じたと言っても言い過ぎではないだろう。

    それぞれは、知らず知らずのうち、「闇」のようなものを抱えている。
    「闇」と言うほど大層なものではないとしても、「不安」という言葉では言い表すことのできない「モノ」が、鬱々と心にあり、それを「友だち」に知られたくないという、自意識と、無意識がとても困った状態を生み出してしまう。

    これって、よくわかる。
    たしかに、あの頃はそんな感じだった。

    「太宰治は永遠の高校生」なんて言う、フライヤーにある言葉は、「なるほど」と思い当たったりする。
    でも、太宰にはなれないのだ、みんな普通の高校生だもの(あるいは「だったもの」)。

    そうした「闇」のようなものを内包した男子高校生たちの前には、「森」がある。「誰かに見てもらっていないと、森に飲み込まれてしまう」という都市伝説的な設定には、泣けてくる。

    そんな伝説は、これぐらいの年代の妄想から生まれたものなのだろう。
    「内なるモノ」を「外」に求めるというのは、最もわかりやすい反応だ。

    「森」という共同幻想により、彼らの自意識は保たれているのかもしれない。
    この設定は、ホントにうまい!
    これが現実と、フィクションの狭間にあって、見事に物語を成立させているのだ。

    記憶の隙間に落ちていた、いろいろなコトが、ふと浮かび上がったり、忘れてしまっていた記憶が、蘇ったりする。
    私も誰もが、みんな「森」の中に置いてきてしまったモノが、たくさんあることに気がつく、
    この舞台では、忘れられてしまったクラスメイトのように。
    そう、まさに忘れてしまったクラスメイトは、「森」の中に忘れてきてしまったのだ。そんな記憶は、誰にでもあるのだろう。
    そういう、ちょっと柔らかい部分を刺激してくる舞台でもある。

    登場人物は、男子高校生20名。
    だけど、20名という単位ではなく、そこにいるのは、1名1名1名・・・・の20名だ。どの役者も、鮮やかな印象を、きちんと残している。

    これは、役者だけでなく、脚本も演出も素晴らしいとしか言いようがない。
    私は、『東京裁判』しか観ていないのだが、あちらは、凝縮された空間で、火花を散らしていたが、今回は、大きな空間を見事に使い切って、エネルギーを発散し、集中をもさせていた。
    シンプルなイスだけのセットも効果的だし、廊下のようなつながりのセットもうまいと思った。

    また、実年齢に近い36歳への転換(なぜか全員メガネ・笑)もよかったし、演劇をやっている2人という設定も、ちょっと泣けてくる。
    高校生までの18年間、そしてそれからの18年間その時間軸の持たせ方がナイスなのだ。
    「おめでとう」「ありがとう」のラストの台詞が憎い。
    「黄金の時代はこないかもしれない」なんていう台詞もあったけど、いつだって黄金の時代だったし、これからもきっとあるんだろうと、個人的には思うのだ。

    何も考えずに、手放しの、輝く未来を期待するのではなく、過去のしがらみと、記憶が重なって、ラストに「未来へ」と、少しだけ橋渡しをしていくところが、またとてもいいのだ(タイトルがその意味ではストレート!)。

    これは、ひょっとして個人的な感覚かもしれないのだが、男子の友だち関係って、こんな濃度だったのだろうか、と思った。もっと、表面上はあっさりしていたような気がする。多少のドロドロ感もあったとしても、意外とさらりとしていたような気がする。相手のことなんか考える余裕もなかったということもあろうが(そして無関心でもあった)。

    そういう意味で、この舞台は、「女子校版」もあり得るのではないかと思った。

    パラドックス定数、これからも目が離せなくなった。

    4

    2010/07/01 07:11

    0

    0

  • みささん

    >居を観て高校時代を振り返って、また社会人になって現在の置かれた環境を考えるとき、色んな思いが映像のように流れるのかも知れません。ワタクシ達はこうやって芝居を通して様々な想いにふけり、時には元気を貰い、時には涙し、時には己を律することも教わりながら明日への活力としてのエネルギーを頂けるのですから、劇団には本当に感謝しています。

    まさにおっしゃるとおりです。

    そういう意味でも、これは、素晴らしい舞台でした。

    2010/07/06 03:03

    >私は、そういう団体行動が苦手なタチで、素直に一体になれない学生だったので(特に高校生の頃は)、熱い人たち見て「なんやってんだか」って冷めてました(ま、当時の風潮かもしれませんが、男子生徒はほとんどが冷めていましたけど・笑)。

    同感ですね。当時のワタクシたちも「無関心」の時代だったらしく、「ひとはひと」みたいな感覚が蔓延り、冷めてました。笑
    だからか、わりに生きやすかったですよ。あまりにも関心されまくりなのも重いから。だから、未だに根掘り葉掘り個人的な事を聞かれるのは苦手です。笑

    >でも、今でもそんなふうに、一体になりたいとは思いませんけど(笑)、他人の姿は微笑ましく思います。


    これも同感ですね。

    >劇場では、ラストにボロ泣きしてるらしき人いましたね。

    人生、色々ありますからね、芝居を観て高校時代を振り返って、また社会人になって現在の置かれた環境を考えるとき、色んな思いが映像のように流れるのかも知れません。ワタクシ達はこうやって芝居を通して様々な想いにふけり、時には元気を貰い、時には涙し、時には己を律することも教わりながら明日への活力としてのエネルギーを頂けるのですから、劇団には本当に感謝しています。
    次回は11月公演とのことですが、次回も観に行きたいと思っています。

    2010/07/05 12:08

    みささん

    コメントありがとうございます。

    >全員で何かのアクションをする光景はやはり、クラスという環境でしか味わえないような気がするから、

    確かに、そうですね!
    文化祭とか体育祭とか、必要以上に(笑)熱くなって、一体になる感じですね。

    私は、そういう団体行動が苦手なタチで、素直に一体になれない学生だったので(特に高校生の頃は)、熱い人たち見て「なんやってんだか」って冷めてました(ま、当時の風潮かもしれませんが、男子生徒はほとんどが冷めていましたけど・笑)。ただし、今ならば、別の意味でそういう姿は、普通に、いいな、と思えるようになりました。

    でも、今でもそんなふうに、一体になりたいとは思いませんけど(笑)、他人の姿は微笑ましく思います。


    劇場では、ラストにボロ泣きしてるらしき人いましたね。
    私もじーんときましたが、鼻につつーんときたのは、もっとさりげないシーンや台詞のいつくかでした。

    2010/07/05 03:51

    これ、素敵な舞台でしたね。3拍子の掛け声を聞いたとき、フェスティバルトーキョー09春での「転校生」を思い出しました。

    揺れる高校生の心理描写を見事に映し出し舞台は最後の場面、
    全員で手を繋いで、繋いだ手を揺らしながら、
    せーのっ!(掛け声)ドン(飛び跳ねた音)
    せーのっ!ドン。
    せーのっ!ドン。せーのっ!ドン。
    せーのっ!ドン。せーのっ!ドン。せーのっ!ドン。

    の演出を魅せて終わるのよ。
    今回の舞台はその終わり方に似ていた。
    全員で何かのアクションをする光景はやはり、クラスという環境でしか味わえないような気がするから、あの時も泣けた。
    舞台って素晴らしいですね。
    良い舞台をみるとつくづくそう思います。
    そうすると、キャストら全員を愛しく思ってしまい、ついつい抱きしめたくなってしま~~~~う!笑

    2010/07/05 00:32

このページのQRコードです。

拡大