14+ 公演情報 FOURTEEN PLUS 14+「14+」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★

    作り手の精神年齢が14歳
     宮沢章夫『14歳の国』を今なぜ上演しなければならないか、もちろんそこに意義はあるわけですが、それが観客に伝わる形で再構築されるまでには至っていないように思えます。
     原作は既に12年も前の作品で、その背景には神戸連続殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)があり、劇中でもそれを暗示する単語がいくつかつぶやかれるのですが、現代の「14歳」を中心としたティーンエイジャーの観客は、事件のことは殆ど覚えていないでしょう。彼らにとってもこの事件が「他人事ではない」と感じ取ってもらうためには、原作戯曲を現代の状況に合わせて、大胆に脚色、加筆する必要があったと思います。そうしなければ、この物語はただの「持ち物検査」の是非を問う程度のものとしか認識されない危険があります。
     いえ、大人ですら単純な教育問題を扱った物語としか受け取れていない様子を見ると、残念ながら今回の演出は殆ど失敗していると言わざるを得ません。一見、高い評価を受けているように見えますが、いずれの感想も原作戯曲のごく表層的な部分しか捉えていないのは一目瞭然で、そうならないことを演出は目指すべきであったのに、その視点が決定的に欠けていたことが残念でなりません。
     

    ネタバレBOX

     そもそも『14歳の国』が提起していた問題は、持ち物検査によるプライバシー侵害の問題でもなければ、現代教育のあり方の問題だけに留まるものではありません。ましてや酒鬼薔薇聖斗の心の闇を探ることでもありません。教師と生徒、親と子、大人と子ども、人と人、その関わり方そのものに確たるものを見出せなくなっている現代、それを「教室」という空間によって象徴させようとしたものでしょう。しかし、宮沢章夫の原作は、決して普遍性を持ったものではなく、あの1997年の事件を想起する形でなければ観客への訴求力を持たない、極めて基盤の不安定なものです。
     教師たちがそこにはいない生徒たちの問題について語り合う設定は、すでに山田太一が『教員室』で描いています。時代は「校内暴力」が問題化していた頃で、教師たちは、暗闇からガラスを割って投げこまれる石に、自分たちの力の及ばぬ「何か」を感じ取って、恐怖に怯えていました。教師たちは自分たちが「人間」だと信じている。しかし、窓の外にいる「彼ら」は得体の知れない「闇」そのものでした。
     しかし、宮沢章夫が描く教師たちは、既に人間らしい心を持たなくなった、酒鬼薔薇聖斗と同じ「透明な存在」です。誰もが神戸殺傷事件の悲惨さに怯えていた12年前、実は「彼」を生み出したものが、この社会そのものではないのか、「彼」は我々の「写し絵」なのではないか、そこまで踏み込んで書かれたのが『14歳の国』という戯曲であろう、と思われます。タイトルの「14歳の国」とは、14歳の子供たちにとっての国という意味ではなく、「この国の全ての人間が14歳である」という、そこまで冷徹に見通した上で付けられたものではないでしょうか。

     事件当時は、16歳未満の未成年は刑事罰には問われないことになっていました。14歳であった「彼」の責任能力を認めないということは、「彼」はまだ「人間として認められていなかった」ということです。精神鑑定によって「問題」が指摘されたことも、「彼」の非人間性を証明しているように思えました。
     しかし、「彼」を「特殊な存在」と決めつけて、彼の「狂気」だけに責任を負わせようとしていた「大人たち」。つまり「我々」ですが、我々もまた「狂っていたのではないか」。即ち、生徒も同僚の教師の目も盗んで持ち物検査を行わねばならないと思いこんでいた「狂人」は、我々自身なのです。
     「子どもの持ち物検査を行わなければならないのではないか」、そう考えるのが「正しい」と誰もが思いこんでいた時代、あの1997年だったからこそ、この物語は、私たち一人一人の心に、「自分もまた狂っているのだ」という事実を、冷水を浴びせるかのように感じさせてくれていたのです。

     しかし、この戯曲を、現在そのまま上演しても、それだけの効果は生まれません。ここに感想を書き込んでいる誰一人として、神戸の事件に触れていないことが、演出の不備を証明しています。何となく事件のことを思い浮かべた人もいるかもしれませんが、この戯曲を理解する「重要な要素」だとまでは思い至らなかった、それどころか、劇中の年号を聞き漏らして、これが1997年を舞台にしていることにすら気付かなかった人もいるかもしれません。
     それは全て、戯曲の改訂と適切な演出を行わなかった演出家の責任です。

     一応、『14+』には大きく三つの特徴的な演出が行われてはいます。
     一つは教師の一人を女性にしたこと。二つ目は、教師の一人に博多弁を喋らせたこと。けれどもこの二つは戯曲を現代化、現実化することにたいして寄与していません。はっきり言えばしてもしなくてもいい演出です。
     一番大きな演出は、登場人物たちがいつも舞台の側に「人形」のように立っていて、出番が来た時だけ舞台に上がるというものでしたが、これは彼らの本質が「ぬけがら」であることを表現しようとしたものか。それにしてはたまに舞台の袖に隠れて道具を取ってくることもあって、この「人形演出」が徹底していません。「何となくの雰囲気づくり」以上の効果を生み出してはいないのです。

     6年前には佐世保で少女による同級生殺傷事件も起きました。漫画やゲームを模倣するかのように未成年の殺人が行われ、ものごとを短絡的に捉えたい人々は全ての責任をそういった「非実在」の作品に押しつけようとしますが、現実感を失い、透明な存在となっていたのは、そもそも「私たち大人」ではないのか。私たちがそもそもこれらの事件をすぐに「忘れ去っている」ことが、「狂っている」ことの証拠なのではないか。
     私たちは、どうやったって「正常」にはなれないのです。では「狂った我々はどうやって生きていけばいいのか、ただ最後の崩壊を待つしかないのか」。
     現代に『14歳の国』を再生する意味があるとすれば、そこまで描いてこそだと思います。時代を現代に移し、新たに起こった事件、新たに起こりうる事件、それらを付け加え、「まだ何も終わってはいない」ことを示さなければ、これは単に教師の狂気を描いただけの、あるいはただの教育問題を扱っただけのものにしか受け取られないでしょう。ましてや現代は、「14歳以上」が刑事罰の対象となり、12歳程度でも少年院送致が可能になるように、少年法が改定されているのですから。
     ついでに言えば、劇中にあるような「生徒の目を盗んだ持ち物検査」などは、現代では殆ど行われていないでしょう。保護者に許可を得た上での一斉検査もごく少数になっていると思われます。その意味でも、この劇の設定は現代に合致していません。教師たちの存在、台詞が既に「うそっぽい」ので、彼らの狂気もリアリティを欠いた形だけのものに留まってしまっているのです。


     作品についての感想は以上で終わりですが、演出家による、一部の観客の感想に対する感情的な反発については残念としか言いようがありません。演出家が「裸の王様」になっていて、周囲の誰も「王様は裸だ」と指摘してもらえない、そういう可哀想な状況になっていることが露わになってしまいました。
     批判的な意見に対して、シンパらしい観客が、感想も書かずに星だけ五つ付けているのも頂けない。
     こういうことは「やっちゃいけないことだ」と叱ってあげる大人が、福岡の演劇界にはいない、このことが一番の問題であるようです。
    (この最後の感想は演出家氏と観客に対してのもので、作品評価の星には反映させていません)

    13

    2010/07/01 04:38

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  • [追記]
     もう書くのやめようかな、みたいなことを書いたおかげで、2ちゃんねるでは一生懸命きちがいだの何だのと私を怒らせて何か書かせようとしていらっしゃいます。けれども、もともと悪口を言われてもたいして腹が立たない性格なので(いや、今後もいくらでも言っていたただいて構わないのですが。2ちゃんねるの匿名性には意義があると思っています)、どうせなら芝居の内容についての反論をしていただいた方がこちらも書く意欲が湧きます。

    2010/07/08 02:54

    > ジャック・スパロウさん

    > 14+の方とは昔からの知り合いで応援させえ頂いています

     なんだ、「情実」で星を付けていたのか、とむしろ「悪意」よりもガッカリいたしました。
     退会されているのならもうこれを読まれることもないでしょうが、あなたの言葉を素直に受け止めて憤る人もいるだろうなと思うと、やはり福岡の演劇人や周囲の幼稚さは救いがたい、という気がいたします。


    > あかのたにしさま

    > はい、あなたの言葉など実のところ全く理解できませんし、また理解することによって得られるメリットも無さそうなので

     作品批評以外のどうでもいいところに引っかかっていた時点で、そうだろうなと初めから感じていましたので、引いていただけるのはありがたい限りです。
     そういった、自分の本心が相手にばれないと考えて応対している時点で、実は相手(今回の場合は私ですね)を侮り蔑んでいるのだということを自覚してはいらっしゃらないでしょうが、たいていの人間にはそういう底の浅さは見透かされているものですから、今後は十分ご注意して発言された方がよろしいかと思います。

     あちらこちらから批評を書いてくれと請われて、私にどれだけ苦労をさせるつもりかとうなだれながら書いた批評でしたが、結果は予想通りでした。もう、その方たちも、今後は批評を書いてくれなんて頼み事をしてくる機会もそうそうありますまいから、私も馬鹿の相手をせずにすみそうです。余塵はもうしばらくありそうですが。

    2010/07/08 00:07

    >雲間犬彦さん

    >>CoRichの私の投稿に付けられる馬鹿コメントが増殖中。覚悟していたことではあるけれども、馬鹿は馬鹿同士でつるんでお互いを擁護するもので、しかも福岡の演劇界では馬鹿の絶対数が無茶苦茶多い。優しく言ってもどうせ理解できる頭がないから馬鹿にされたとヒステリー起こすだけだし。

    馬鹿コメントでこの場を汚してしまい、本当に申し訳ありませんでした。
    はい、あなたの言葉など実のところ全く理解できませんし、また理解することによって得られるメリットも無さそうなのでここですっぱりと手を引かせていただきます。
    これからも馬鹿の相手、頑張ってください。応援しています。

    (ええ、ヒステリーですとも)

    2010/07/07 16:17

    私のコメントのために大変な事になっていると聞き拝見させて頂きました、
    私は普段演劇を観ない人間です。ただ14+の方とは昔からの知り合いで応援させえ頂いています。先日星しかつけなかったのは、私のパソコンの不具合が原因だったのか、コメント入力ができなかったまでです。(いつもは出来ていたのですが)
    おっしゃる様な「悪意」は全くございません。純粋に彼らを応援したいという思いでつけさせて頂いたまでです。どなたでも気軽に参加できる演劇サイトと思っておりましたので、このような事態に発展するとは思っておりませんでした。
    ただ私の様な演劇に対して何の知識もない人間が参加した為に混乱を引き起こし、皆様に御迷惑をおかけすることになるのであれば、劇団の方にもそう伝え、これを機に退会させて頂きたいと思います。
    演劇の世界は難しいですね。申し訳ありませんでした。

    2010/07/07 16:15

    > あかのたにしさん

     もちろん、「好意的、且つ感情優先で書かれた記事」の中に「悪意」が潜んでいることは往々にしてあります。実社会でも、「おべんちゃら」には「下心」が付きものですし、「慇懃無礼」や「褒め殺し」などは大きなトラブルを引き起こすこともあります。
     全ての誉め言葉が悪意に基づいているとは言いませんが、悪意的なものがごくわずかで例外的なものだとも決して言えることではありません。ただ、それを「これは悪意から出たものだ」と断定することも、一応「誉めてはいる」表現の上からはなかなか難しいことです。ですから、あからさまに悪意のみで書かれたと言える「星しか付けない投稿」を問題にしたのでした。

     あの投稿が、その前に書き込みされた星の低い批判的な文章に対して、「星の評価を上げるため」だけになされたことは明白でしょう。自分の好きな芝居が貶されて腹が立つ気持ちが起きるのは当然ですが、文句があるならそれこそ当該の記事のコメントに反論するなりすればよいことでしょう。何も書かずに星だけ付けるような行為は慎まなければならない。
     私が直接コメントをしなかったのは、本文にも書きましたとおり、これは必ずしも本人の責任とも言えないのではないか、と感じたからです。「そういうことをするのはよくないよ」と言われた経験がないのではないか。責任はむしろ、このような状況を看過している周囲の方にあるのではないか、と判断したからです。たかさきさんとのやりとりで、このことは概ね裏付けられたと感じています。

     あかのさんの「わざわざご自分のスペースを使って批判するべきかどうか」という疑問は、本来、「きちんと反論をせずに星だけ付けた人」に向けられるべき言葉だと思いますが、何も書いてなければかえって文句も付けにくいですよね。誰も言わないのなら仕方がない、と思って書きはしましたが、親しい間柄でもない私の言葉が「悪意の人」に届くとは思っていません。
     今後、こんな感想も批評も否定するようないい加減な書き込みがないことを私も祈りたいと思っています。

    2010/07/07 00:02

    >雲間犬彦さん

    私の発言のひとつ前のたかさきさんの書き込みで、私自身もある程度脳内解決してしまったのですが・・・

    「それがたとえ誉め言葉であっても」というくだりがあったため、このサイトに投稿されている好意的、且つ感情優先で書かれた記事まで含めての批判だと思っておりました。
    もちろん未記入の投稿は気味の良いものではありません。
    が、わざわざご自分のスペースを使って批判するべきかどうかと考えると、上記のような誤解に発展することもあり、ちょっと違うかな、と。

    それこそこういう、記事ごとのコメント欄を使って、批判されるべき当人へ向けて発信されるべきではないか・・・と考えます。

    一つの警鐘として、今回の「14+」のケースに限ることを願っています。

    2010/07/06 09:07

    > あかのたにしさん

    > ということはつまり、この「口コミ」サイトに書き込む人は皆、自分の主義主張を捨てた批評家でなければいけないということでしょうか。

     全くそんなことはありません。
     私が「これはどうか」と感じたのは、何しろ星を付けただけ批評どころか何の感想も書いていなかったからです。
     「星を付けただけでも意志はあるのだからいいではないか」という見方もあろうかとは思いますが、それこそあなたの仰る「様々な意見」を読みたい人にとっては、どうしてこのようなふざけたことをするのか、と感じるものではないのでしょうか。
     別に全ての観客が批評家でなければならないなんてことを主張するつもりはありませんが、せっかくコメントを書く欄があるというのに、何にも書かない人ばかりになっても困るでしょう。

    2010/07/04 23:41

    横槍すみません。

    >雲間犬彦さん
    >>批評は本来、自分の主義主張を断念することから始まります。感情にまかせて書いた文章や行為は、それがたとえ誉め言葉であっても、悪意が無意識に入り込むことが多いので、そこを戒める必要があるだろう、ということなのです。

    ということはつまり、この「口コミ」サイトに書き込む人は皆、自分の主義主張を捨てた批評家でなければいけないということでしょうか。

    劇団(ひいては演劇界)をよくするために愛のムチを振るう人、
    あれこれとアラを探しては知識と教養をひけらかしたがる人、
    感動した旨を純粋に制作者へ伝えたい人、
    観劇記録がわりにサッと登録するだけの人、
    さまざまな人がいて、さまざまな意見が、制作側からも観客側からも覗けるところが面白いと感じていたのですが。

    2010/07/04 22:37

    世の事象について正確に描写したご意見だと思います。後段も納得いく意見です(書かれた方は批評と思っていないと思うので、その方への意見ではないと理解しています)。

    なのですが、悪意の実体や悪意がどのような形をとって世に現れるかということと「一般的な定義」は、議論としては別種のもので、悪意の一般的な定義かやや外れていることを否定する(=悪意の一般的な定義にはまる)主張は、私にはちょっと理解出来ないようです。
    こちらは平行線ということで、いいかと思います。

    2010/07/04 22:23

    > たかさきさま

    > 自覚がない場合は悪意という言葉の一般的な定義からやや外れますよね・・・

     そんなことはありません。人の「悪意」は殆どの場合、「無自覚」な状態で表れるものです。「悪意がある自覚を持って嫌がらせを行う」人なんて、まずいないでしょう。嫌みを言ったり嫌がらせをしていても、本人は自分の悪意に気がついていないか、むしろ「善意のつもりで言っているのだ」と、自分で自分を錯覚させていることが多いものです。「いじめの心理と同じ」と書いたのもそのためです。
     批評は本来、自分の主義主張を断念することから始まります。感情にまかせて書いた文章や行為は、それがたとえ誉め言葉であっても、悪意が無意識に入り込むことが多いので、そこを戒める必要があるだろう、ということなのです。

    2010/07/04 21:32

    大丈夫です。見ておりません。予備知識無しでした。
    勉強不足とも言いますが。(^_^;)

    >自分の悪意に無自覚なだけでしょう。

    自覚がない場合は悪意という言葉の一般的な定義からやや外れますよね・・・

    2010/07/03 22:27

    > たかさきさま

     たかさきさまの神戸の事件についての言及は、その書き方から、『14+』を観劇する以前に『14歳の国』のドラマなり舞台なりをご覧になっており、予めその事件がベースになっていることをご存知だったのであろう、と判断して、考察の対象からは外しておりました。
     もしも今回初めて『14歳の国』を鑑賞されて、これは神戸の事件の直後の出来事という設定なのだとお気づきになったのでしたら、非常に注意深く今回の舞台を観察されていたことと感服いたします。
     しかし、演出力不足で、大半の観客にこの物語の本質にまで目を届かせるに至っていない、という私の結論に変化は生じません。

     それから、星五つを付けて感想を書かないような行為に悪意がないとはとても思えません。単に自分の悪意に無自覚なだけでしょう。「いじめる側の心理」と同じです。だからこそ「周囲の者がたしなめてやる」ことは絶対に必要なことで、たかさきさまがお知り合いならば、今後、あのような真似はしないように注意されるのが肝要かと思います。
     

    2010/07/01 23:09

    >ここに感想を書き込んでいる誰一人として、神戸の事件に触れていない

    ぼかしていますが、一応、書いておりまして・・・
    「神戸の事件の時代性に支えられた部分をどうカバーしたのか」

    >こういうことは「やっちゃいけないことだ」と叱ってあげる大人が

    そうなんですけど、悪意はないと思うのです・・・

    2010/07/01 12:17

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