そ ら 公演情報 奥沢スロープ「そ ら」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    私をめぐる冒険。
    心に深い傷を負ったひとたちが集う精神病棟でのお話。
    時折繰り広げられるオフビートな笑いが悩める者たちの心のなかに蔓延るシリアスなざわめきから一歩遠ざかるようで夢(楽観的な希望にも似た)があり、それが奇妙にファンタスティックな空間演出や音響とマッチして、不思議な世界観を醸し出していた、とおもう。
    本当の私を回復するために施される医学的な処置(=救い)がいつしか非科学的な祈りへと転化する視点も興味深い。

    ネタバレBOX

    ル・デコに標準装備されているイントレをL字型に組みかえた客席。柱の向こう側にもイントレが組まれ役者の待機スペースと下手側に、ちょっとした階段。その手前がベッド。

    院内では携帯電話の電源を切るようにアナウンスがあり、間を置かずにここが何号室の病室で、ここには窓。窓から見える中庭では朝と昼にラジオ体操をしていることが伝えられると背後からラジオ体操が流れだし、パジャマ姿の男がつかつかとやってきて、徐にラジオ体操をはじめる。パジャマ男は中庭でラジオ体操している人たちを「あいつも、あいつもみんなロボットだっ!そう思わないか?」と話しかけるが、アナウンサーは素知らぬ顔をして去っていく。すると今度は、下手側のベッドの上で眠っていた女の子むくりと起きて、女の子の病室無断侵入したパジャマ男を非難しつつ、ふたりのぎこちない身の丈話しがはじまる。開演前の諸注意からここまでほぼ暗転を挟まずに進行したために、フラットな気持ちでゆるやかに非現実世界へ入っていけた。

    さて、この世にも怪しげな(?)このパジャマ男、名前は宮越と言い、病院にやってくるまで某有名テーマパーク(背中に貼りついた黒く塗りつぶされたねずみのワッペンがアノ場所を想起させる)の入場ゲートで一日数万人の人々に笑顔で呼びかけていたらしい。一生懸命働き過ぎた彼は、いつしか自身がロボットになったような感覚に陥って、心まで壊れてしまった。

    ベッドに寝ていた女の子の名前は綾。医大生だが、休学中。片親で、母は進学塾を経営している。経済的にも何不自由のない生活を送っているが自傷行為をする癖があり、自分にはすべてが足りていないと言う。『私のなかのホントウの私になりたい』とも。彼女は、自殺未遂をしてしまい、3日前にこの病院へ来た。入院は今回が二度目。

    一通りお互いの事情を話し終えたところへ大庭聡子がやってくる。聡子は綾が前回入院していた時に、知りあった病院友だち。おっとりしていて人の話をよく聞くが、彼女は人から言われた言葉を理解することはできるが、感情をくみ取ることが出来ない。スキゾイドのような精神疾患がある。

    この三人に共通していることは、はやくここを出たいという意志が希薄で、社会復帰することに希望を見出せていないことだっただろうとおもう。

    物語は中盤以降、綾の担当医である小坂が自発的に行っているセラピーにはじめて参加する綾、聡子、宮越らと娘の見舞いにやってきた綾の母親に、小坂のセラピーの常連である天才ゴルフプレイヤーの相馬が参加する場面が中心となる。

    このセラピーでは相手の目を見て、相手の話をよく聞き、否定せずに受け入れることが大事だと教えられる。綾の母は娘の将来を心配していることや毎晩病死した夫が好きだった歌をうたうことを、天才ゴルフプレーヤーの相馬は女の子と話す度にすぐにその子を好きになって関係を結んでしまうことを、聡子は人の気持ちが理解できないことを、宮越は、がむしゃらに仕事をしているうちに仕事を続ける意味を見失い、自身がロボットになってしまったような感覚に陥ってしまったことを、それぞれ告白する。

    みんなの前で話したことで気持ちが落ち着くと、問題が解決した、とみなされて『悩みという砂漠のなかで、希望という水が見つかった』喜びをみんなで輪になり、マイムマイムを踊って分かち合い、心情を吐露しても尚、悩み続けるのであれば、ただひたすら祈り続けるよう指導される。祈れば答えに辿りつける。というのが、小坂先生の持論で、もしこれらの意味がわからなければ、小坂先生の推奨する本を読めば、そこに全部書いてある、という。

    綾を除く残りのメンバーは、気の抜けたマイムマイムの間抜けな音楽に合わせて概ね楽しそうに踊っている。それは、問題が完全に解決したから、という訳ではなくておそらくは、セラピーの輪を乱さぬことがベストであることが、それぞれ共通した認識として潜在しているからだろう。

    綾はそのセラピーの輪のなかに入らずに(あるいは入れずに)、孤立していた。母親が輪のなかにいることも起因しているだろうが、彼女の孤立は、きっともっと根が深い。物語は後半、綾の心情にフォーカスし、内省的な問いかけが繰り返される。その心象風景が説明書きにある、『本当の私を探して』の部分。

    私はここにいるけれども、ここにいないような気がする。感覚だとか、私とは一体何者なのか?だとか、どうして私はここにいて、ここにいない私がホントウの私なのか。とかそういう漠然とした、ナゾナゾは誰でも考えたりするものだけど、そこからどんどんナーヴァスになって、自分はダメだとか、生きてる価値がないとかネガティヴな方面へ爆走していって、アイデンティティがぐらぐら揺れるダメダメな精神状態をさ迷う姿を嫌というほど見せつけられる。

    そして、自分の力ではもうどうすることもできない限界が訪れた時に都合よく、白装束のステレオタイプな神が彼女のもとにあらわれる。この神は、ベッドの隣の本棚に置かれていたマンガ、『聖☆おにいさん』を読んだ彼女がゴーストバスターズにおけるマシュマロマン的な(願ったコトが形になって表れる)方法で呼び寄せたイメージ映像なのだな、とおもうととっても楽しかった。しかも、彼女が好きなタイプのイケメンで関西弁を喋る天使まで飛び出して。神と天使のやりとりが、オフビート感があってすごくよかった。(彼女があまりにもシリアスすぎるだけに、バランスも取れていたし。)

    彼女がなりたい人物を探すべく、セラピーに参加していたメンバーらをひきずり出して、選択し、神の手(笑)によって『器』(中身)を入れ替えるのだけども、
    セラピー参加者のなかにはwant to beな人物は勿論いなくて、結局セラピーメンバーの『器』が荒らされて、中身がちぐはぐになってしまっただけ。崇高な(?)変身願望の末路がこんな風になってしまうなんて、結構笑えた。

    この後彼女は『私のなかのホントウの自分』を知るために、もう1ランク深い、彼女のなかの精神世界をさ迷う。そこは真っ暗で、心臓の鼓動が聞こえてくるだけで、誰もいないし、何もない。ただ、永遠の沈黙と闇と同化することだけはできる、からっぽの世界。彼女は彼女の闇のなかからもがき苦しみながら自力で這いあがる。

    すると朝が訪れる。彼女は手に睡眠薬を持っていた。眠りのなか、生死をさ迷っていたのかもしれない。ゆっくりと目を覚ました彼女のもとへ、セラピーに参加していたメンバーらがねじに巻かれた人形のようにくるくる回りながら彼女の周りを徘徊し、名前、生年月日、属する組織など、各々の『情報』を機械的に繰り返す。やっぱり彼女は死んだのか?よくわからないまま、物語は終わった。

    終盤の、精神世界をさ迷い、己の苦しみを吐露するところは、この作品のなかで最も秀逸な場面だった。
    彼女がこれまで抱えていた感情が血しぶきのように溢れだし、狂ったように消えろ!と叫ぶ様には胸が痛くなった。
    ラストの機械仕掛けのセラピーメンバーがくるくる回るパートは、個人的には蛇足に感じた。
    彼女が目を覚ますところで終わる方がセンセーショナルだったのではないだろうか。
    あの場面は、何となくサラ・ケインの4.48サイコシスを彷彿とさせているように思えた。

    うつ病、リストカット、統合性失調症、境界線人格障害、スキゾイド、性依存症、ワーカーホリックなど精神疾患を抱える難しい役どころを、小さな仕草や微妙な表情の変化でみせる役者の、誇張されすぎない演技に惹き込まれた。

    ただ一点、気になったのは聡子の「私、普通じゃないですよね?」という言葉。それは言わなくてもいいのでは、と思ってしまった。透明な窓を介在させることで、狂気と正とを隔てる演出は素晴らしかった。

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    2010/06/20 23:13

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  • Hell-see様

    この度はご観劇ありがとうございました。
    又、丁寧にご感想を書いていただき感謝致します。
    今後の活動に生かし、なお精進して参りますので、また機会がございましたら会場に
    足をお運び頂ければ幸いであります。

    この度はありがとうございました。

    奥沢スロープ代表 深谷明大


    2010/06/22 01:48

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