実演鑑賞
満足度★★★★★
ほぼ全編、三つの場面が舞台上に展開し時に台詞も被りまくる(三つ全部が被るのは避けられ観客の注意力の限界をそれなりに考慮している)。三世代に跨がる女性の話でその関係者を周囲が演じる。その事が分かるのは芝居の中盤であったが(それがためにジグソーパズルを埋めるような面白さもあった)、自分は冒頭の一場面を逃しており最初に全体図の提示があった可能性はある(この日は都心北部の電車が停まった影響で上下線とも遅れがあり、駅から猛ダッシュするもアトリエに入る路地を見失い2分遅れ。あとから客が次々と到着していた)。
だが観初めてすぐ舞台を目で追わされ、入り込んだ。自分が産んだ子を普通には愛せず砂を噛むような人生の砂漠を手探りで彷徨う母、十代からヤクにハマって地獄をくぐったその娘、さらにその娘は同性パートナーとの関係を持ちながらも自分の奥に燻る何かを持て余している。時間経過の多くの箇所は抜けており想像で補うしかないがかの想像の余地が演劇的である。彼女達が住むのは同じ庭付きの家屋であるのがミソで、そこに人の生の連鎖、反復、過去から未来を臨む視線が宿る。無色だった時間の中に希望の色が微かに灯るのを俯瞰の風景として見るラストが胸に迫る。1970年代に母となる一世代目に栗田桃子、2000年代の三世代目に熱を上げ心の扉を叩き続ける女性に渋谷はるか、が名を知る役者であったが、期待通りの演技ながら全体を構成する一つとしてはまっていた(独特な作りの劇に貢献していた)という印象の方が大きい。