親の顔が見たい 公演情報 劇団昴「親の顔が見たい」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    色んな「親の顔」を観て来るとついその比較を語りたくなるが、まずは封印して...。
    畑澤氏が書き下ろした昴の初演は15年前、狭小な小屋で上演されたとの事。私が観たTV放映はNHKの特設ステージなので幾分広く(演る方も観る方も)新劇モードに?(録画画像観賞を最後まで完遂できなかった理由の一つと記憶するので..)今回は芸劇イーストで十分な広さでの「親顔」である。これが私立中学の一室らしさに十分で、冒頭から来訪者が席を選んで着座する動きからしてナチュラルなのは強みである。芝居はリアリズムに寄っているが、「中学生の自殺」ではあっても余裕を醸す序盤から、証言により示される自殺者といじめたグループの実態を「飲ませる」人物らの演技が、秀逸で、地味に迫力があった。
    終盤、私の記憶にある台詞でないものが混じっていた。省略気味な台詞に判りやすい説明が補足され、台詞の語尾の言葉も会話の流れのニュアンスを変える変更がなされていた、というのが私の印象である。(記憶の新しい内にテキストを見てみたいが・・) 
    その結果、最後に「改心する」「厳粛になる」ものの、保護者それぞれのトーンは異なり、必ずしも態度を明確にせずにおいた(作り手に委ねた)畑澤氏のテキストが、整理されたのでは?と思える所があった。特に最後に残るいじめっ子グループの中心人物の両親が、「生きていかなきゃ」と、「反省」以上に大事な事のために未来を探って行く表明をして、幕を閉じる。すなわち決定的にシニシズムに振り切ったラストである。
    この戯曲で難しいのは、序盤の緩い認識=「事実」を問題視しない・あるいは事実とは認めない態度が、なにゆえ取れているのか、そしてそこから「決定的に認めざるを得ない」瞬間をどこで迎えるのか・・微妙~に選択の余地があることだ。
    ら「本当の事だとは思わなかった」という顔で、最後はしおらしくなる同窓会会長の夫婦は、「偽善」の要素が(過去見たどのバージョンでも)残ってしまう。うまく逃げ切ったな、と思える。「本当だとは思わなかった」事実が、この夫婦の態度の全てをエクスキューズしきれないにも関わらず、いかにもイノセントな顔で出て行く。その齟齬の遠因は、夫人が序盤で読まれる自殺生徒の「遺書」に目の色を変え、焼いたり食べたりしている事。真実を確認する姿勢とは対極にあったにも関わらず、覆さなくなった局面で、「ええ?じゃ、これって本当だったの?」と言う。(ポストトークでこれを演じた女優と夫役の俳優の話を聞くとどうやらこの夫婦をイノセントで通しているらしい。無論演じる側はその主観に立って演じる訳だろうが、その人物の主観に偽善が滲む事を批評的に演じる事もできる所、イノセントさを見せると前のことを覚えてられない観客は「感動」に心が傾くが、僅かながらであれどこか釈然としないものも残るはずだ。「知らない」事は強みと言われるが「知らなかった」事も同じく強みになる。鋭い嗅覚で有利な立ち位置に立つための振る舞いができる人間、それがあの夫人である、とすると真実スッキリする。)
    そんの態度にいい気なもんだ、と思う一方、社会的には「下」に属する、自殺した側の、人生と社会の敗者たる位置からは脱し得ないだろう母親の事も、重く残る。
    「いい話」にして終えてはならない戯曲だと、毎度思う。

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    2023/09/03 03:53

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