鏡花讀「草迷宮」 公演情報 劇舎カナリア・劇団だるま座「鏡花讀「草迷宮」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★

    環境が悪いうえに長すぎ!
    リーディングで2時間。しかもアゴラ特有の幼稚園児が座るような低いベンチ椅子での観劇。いやはや、拷問でした。後ろ2列はパイプ椅子席を設置する配慮があっても良いと思う。芝居というのは目の前で公演されてる演劇だけでなく、観客が心地よく観られる環境作りも重要なポイントです。ベンチ椅子での観劇の忍耐所要時間はせいぜい90分です。ご参考に。


    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    粗筋・・あきらは、死んだ母親の口ずさんでいた手毬唄の歌詞を探して旅をしている。小学校、寺、遊廓などで歌詞を訪ね歩くが、誰もその内容を知らない。あきらが旅の途中で想い出すのは死んだ母親のことであった。

    彼の姿はいつしか生きていた母と暮らす15歳の自分と重なっていく。彼が住んでいた裏の土蔵には淫乱狂女がおり、その女に近づくと母親にひどく叱られた。人の話では女は父が手込めにした女中で、怒った母が十年も閉じ込めているという。

    ある日あきらは美しい手毬少女に出会うが、彼女を追いかけているうちに、ある屋敷の中に入りこむ。その屋敷には妖怪たちがおり、大小の手毬が飛びかい首だけの母親もいた。そしていつしかあきらの葬いに変ったが、それは夢だった。

    あきらはまた、旅を続けるのであった。父親不在の家庭、妖艶な母、性の目覚め、土蔵で男を求める狂女、兵士と心中した少女、青年を翻弄する妖怪たち…。現実とも空想ともつかないイメージが繰り広げる、めくるめく草迷宮の世界。(なはずだった!笑)


    この筋に尺八を奏で手毬少女には8人を起用する。この手毬少女のセリフが大半を占め原稿用紙をめくりながら、その裏には習字で書かれたものを詠みながら描写していくという手法だった。その詠みは巻物やカルタを連想させ情緒があるものの、少女の衣装は童特有の着物のほうが良かったような気がする。なにしろ手毬少女なのだから・・。好みの問題だとは思うがワタクシはこの現実味を帯びた少女らが障害となって黄泉の国と現実の世界の狭間にもぐり込めなかった。今一つピンとこないで終盤を迎えた公演だった。

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    2010/06/13 17:08

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  • KAE>
    >何だか、あそこの観客になると、「舞台を拝見させて頂く」といった気分になるんですよね。(笑)

    ワタクシもそれほど精通してませんが、上記のご意見はごもっともだと思います。
    あそこは独特の雰囲気がありますし、またアゴラ会員制度の普及のお陰で、そこに関わる事務職員らの給料も賄っております。つまり「観ることが育てる」のは素晴らしいことなのですが、一歩間違えると、その制度に胡坐をかいて鎮座してしまうことにもなりかねません。

    >私は、まだまだ、小劇場初心者なので、とてもみささんのように、体を張って抗議するような勇気は持ち合わせてはおりませんが、それでも、観劇の祭、感じた不満や希望は、その都度ここの場を借りて、訴えて行きたいと思っています。

    勿論、ここで訴えることは有意義なことだとは思いますが、直接話さなければ相手に真意が伝わらない可能性だってあります。やはり、相手の目と表情を確認しながら交渉していくのが最善であり、大人の交渉術だと考えております。
    特にこりっちなどのサイトでは「あまり辛辣にモノ申すと次のちけぷれに当てて貰えなくなるのでは?」などと恐れをなして大したことない公演でも☆4つ、なんてユーザーもちらほら、居ますね。
    ですから、他の演劇○○○ではちけぷれに関係ないユーザー(たぶんこりっちで当選していても)が辛辣に正直に評価しますので、こちらは甘く、あちらはシビアな評価となります。

    で、どちらを信じるかは発信者による訳ですが、劇団の今後の向上を願うなら、やはり苦言は呈するべきと考えます。それがワタクシ達観劇者と劇団を更に密着させることに繋がるのですから・・。

    2010/06/14 16:48

    みさ様

    あー、何から何までお説ごもっともです。痛み入りました。
    私など、幼少時からの観劇オタクとは言え、小劇場にまで手(足かな?)を伸ばすようになったのはここ数年の新参者ですから、みささんのように、小劇場事情にはまるで精通してはいませんが、それでも、アゴラと青年団には、何か、特権意識的雰囲気があるように感じていました。
    何だか、あそこの観客になると、「舞台を拝見させて頂く」といった気分になるんですよね。(笑)
    発信側が、「お客様に観ていただいている」のではなく、「客に見せてあげてる」意識なんじゃないかと感じるんです。ちょうど近くの国立大学生的に、青年団ブランドに胡坐をかいている感じがしなくもありません。私の中では「駒場アゴラ劇場」ではなく、「東大駒場アグラ劇場」的な…。

    きゃるさんへの返信にも、青年団感を別の視点で、ちょっと書いたのですが、確かに、観客対応に関しても、みささんの御指摘通りだと、大変同感致しました。

    私は、まだまだ、小劇場初心者なので、とてもみささんのように、体を張って抗議するような勇気は持ち合わせてはおりませんが、それでも、観劇の祭、感じた不満や希望は、その都度ここの場を借りて、訴えて行きたいと思っています。
    コリッチ先輩として、今後も先陣に立って、御奮闘下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。

    2010/06/14 13:43

    KAE>
    以前のアゴラは幼稚園席が殆どだったのですが、ここのブースでなんやかんやと文句を言ってからというもの、椅子席を必ず設置するようにはなっていたのです。ですから、当然のごとく椅子席があるのだろうと勝手に思い込んで行ってしまったのです。

    アゴラは特有の会員制度があるために割に観客が年配の方が多いのです。中には足が悪く杖をついて来られる方もいらしゃいますので、やはり椅子席は必要だと考えます。

    しかし、ニンゲンという奴は特に日本人は面とむかって劇団に抗議をする方はおりませぬ。面と向かえば「良かったですよ、素晴らしかったですよ。」と腰をさすりさすり今生の社交辞令を放ちます。その放った口が駅までの帰り道では「まったく腰が痛くなっちゃったよ。2時間は長すぎ!」なんつって連れと文句を言うのですから、日本人ほど解りづらい民族はおりません。苦笑!

    更にワタクシ思うのですが、芸術劇場での公演チケット3000円と同レベルの公演を、アゴラで公演するのに同じ3000円はどうかな?とも思います。キャパが違い過ぎるし環境も違う。観客として「観る」とき、芸術劇場で5000円くらいの公演をアゴラで3000円なら解ります。
    KAEさん、どう思いますか?

    更に更にアゴラは特有の会員制度がある為に、青年団に属する、または関係する役者や劇団は他の劇団ほど金銭的にも苦労することなく稽古場から公演まで保証されています。そうしていざ、公演が始まりますと、会員らがワラワラと押し寄せ、とりあえず拍手され成功したかのように錯覚します。
    この錯覚が落とし穴なのですね。特に日本人はしょもない公演でもとりあえず拍手喝さいしますから、観客は満足して帰ったと、劇団側は思い込んでしまう。間違った思い込みは切磋琢磨されることなく、悪いまま増長されます。
    そうするとスタッフやら役者らに奢りが出るのですねー。

    芸術家(芸能人)はお客様に泣き笑いを売って、生活する商人なのだと思います。そして急坂を上がるよりは下る方が楽です。甘やかされれば奈落の底まで低下するのがニンゲンですから、ワタクシ達観客は上手に糸を操ってやらなければなりません。特にアゴラの制度は、他の劇団ほど苦労を強いられないばかりに、いつのまにか大海を知らぬ「井の中の蛙」になって我が田に水を引くことばかり考えるようになってしまい、どうしたら集客できるか?どのようにしたら観客に居心地良く観てもらえるか?という観客本位の立場が逆転してしまう場合もあります。

    ですからワタクシなど貧しい脳みそをかき回すようにして、気が付けばどんどこどんどこ、劇団に抗議してきます。他の劇団から観れば「青年団」という甘水を吸ってる団体ほど羨ましい存在はないのですから・・。
    苦労は苦労の為にするのではなく、明日という先明に向かっての下塗りだと思えば役者も劇団も苦労は惜しまないはずでしょうから、ワタクシ、鬼になって苦言を放ってしまいます。
    後日、オリザさんにもこのことは話しておきます。

    2010/06/14 11:44

    みさ様

    アゴラ耐久時間、全く同感です。
    アゴラは、自宅からは遠いし、その上、座り心地が悪いので、よっぽど観たい作品でないと、足が向かないのですが、以前、青年団で、久しぶりに観たい作品があり、せっかくチケットを買ったのに、腰痛で、断念しました。
    他の劇場なら何とかなりそうな軽症の腰痛でしたが、アゴラでは絶対悪化すると思ったので…。

    みささんのご提案のように、少しはパイプ椅子を設置して頂けるといいなあと、私も常々感じています。

    2010/06/14 01:28

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