目が明く藍色 公演情報 くロひげ「目が明く藍色」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    きみのこえがききたいよ。
    サカナクションの『目が明く藍色』からインスパイアーされたコンテンポラリーダンスを随所に散りばめながら、ある少女たちが大人になって目の当たりにした現実を、点描的に追想していく作品。
    女の子のオトモダチ同士にしかわかり得ない、秘密めいたあそび。時にはケンカをしたりもするけれど、夕陽が沈むまで手を繋いで遊んだあの頃を思い出させてくれるような息づかいが心地よく、甘くて美味しいお菓子とほろ苦いカクテルも美味しくいただき、懐かしいお友だちとお喋りをしに来たような、ゆるりとした時間を過ごせました。

    ネタバレBOX

    サカナクションの『目が明く藍色』が収録されている、kikUUiki(汽空域)というアルバムタイトルは汽水域の造語で、空と海、とか善と悪とか、朝と夜とかそういう相対的なふたつがひかれ合い、混ざり合い、でも反発するような違和感を持つ言葉として用いられている。
    また、この楽曲は『切なさ』『ジレンマ』『ぬくもり』の3つのパートに分類されている、と一般的には言われており、この公演では、それらをなぞらえるようにして2人の女の子が実演する。

    冒頭は楽曲のイントロからはじまる。フライヤーのイラストに描かれている、両目を塞いだポーズ。ひとりの女の子はセーラー服で、もうひとりの女の子は淡いパステル色のカジュアルな服。ふたりのダンスは楽曲からインスピレーションを得て構成したというよりも、楽曲のPVに忠実なものであり、既視感が否めなかったが反面、演劇の方は、詩の世界からイマジネーションを膨らませたモノであり、こちらはなかなか見応えがあった。

    舞台は7分の楽曲をこまめに中断させながら、演劇とダンスとを交互にみせていく。

    第一パート『切ない』ふたりの演劇は、少女時代の女の子たちの儚さを連想させる。暗がりのなか、彼女たちは目をつむり”永遠のかくれんぼ”をしているらしい。夢のなかで交信しているのだろう。かくれんぼは、目が覚めたら、もうおしまい、だという。夢から覚めてしまわぬように、駆けまわったり、だるまさんがころんだをしたり、手遊びをしたり、糸電話でお話したりする。その所作がなんだかあどけなくて、私自身の子どもの頃の記憶がよみがえってくるようで、懐かしいような、それでいて新鮮な感覚だった。

    第二パート『ジレンマ』は、大人じゃないけど子供でいたくもない、高校生くらいのお年頃の女の子たち。ひとりの女の子は、もうひとりの女の子を、首に鎖を繋いで監禁してしまった。そんな歪んだ友情をセンシティヴな青春として描き、はじめての恋心を盛り込みつつ、大人になることへの不安の色をにじませる。ミシェル・ゴンドリーの映画に出てきそうな浮遊感のある「行ってきます!」の時間の使い方がすき。このパートは私の一番のお気に入り。

    第三パート『ぬくもり』は、母と娘のあれやこれ。
    洗濯物をたたむ母と、そんな姿に苛立つ娘。田舎に住む彼女は自身のルーツを嫌い、東京へ行くから、と宣戦布告をするように言い散らす、娘の夢を受け入れる母とのやりとり。

    この3つを通じて描かれるのは、あなたと私。というどうしたって相容れないふたり。はなればなれになってしまったふたりだから最後の「君の声を聞かせてよ」は、あまりにも切ない。
    なんねんも会っていないあの子になんだか無性に会いたくなった。

    0

    2010/06/08 23:42

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大