幸せはいつも小さくて東京はそれよりも大きい 公演情報 中央大学第二演劇研究会「幸せはいつも小さくて東京はそれよりも大きい」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     衝撃的であると同時に異様な美しさを感じさせる作品である。お勧め!

    ネタバレBOX

     上演の尺、120分強。板上は下手に位置をずらして衝立を置くことで袖の効果を高め一番客席に近い衝立の客席側にパネルを置いたりして男2人、女1人の戸建て家屋をシェアハウスとして用いている中での部屋割りを現し、一番客席に近い一角をクミコを護ることを決意したユキヒトの部屋ということにして、この物語の中心となる二人の暮らしが如何様な実態を為しているのかを観客に最も分かり易く伝える工夫が為されている。脚本はアマヤドリの広田淳一氏、演出が中大二劇の師岡亮氏である。
     この半年余りアパシーを患っていた我が身としては師岡氏の期待には応えられない観方をしたようであるが、取り敢えずは自分の感じたことを書かせて頂く。一軒家をシェアしている者たちを含め、登場人物は、学生時代のハンドボール部仲間(登場男性の殆ど、但し恐らく初めにクミコを監禁していた男を除く)と居酒屋のバイト仲間(主要な女子登場人物、但し監禁されていたクミコを除く)、物語を牽引してゆくのは監禁という観念である。一方、父の体調不良等もあったということはあるが、ユキヒトは司法試験合格を目指してかなり長い間勉強していたという背景があり、監禁と主張するカズユキに対しては、クミコの自由意志を一切束縛していないので監禁という罪には当たらないと反論したりするが、これは犯罪を構成する要件として無罪を主張し得る根拠となるように思われる。こういった細部が今作をより真に迫った作品にしている。
     一方、クミコが本当は何を求め、また何を為そうとしているのか? については今作のタイトルも含めかなり穿った解釈ができるように思う。
     実際、今作でクミコの抱えている問題やそのような問題を抱えるに至った仔細については殆ど記述が無い。同時に上演時間の殆どを通じて描かれるのはクミコがシェアハウスに来てからの殆ど何もせず、締め切った部屋の窓際に一日中居て外出することも殆ど皆無であること、時折最初に彼女を監禁していた男から掛かってくる電話とその内容とが、今作に絶えず緊張感を与え続け、観客の心にも疑心暗鬼を常駐させる脚本の上手さ。ラスト寸前に明かされそうになるクミコの秘密は、結局最後迄その告白の真偽を含め明かされることが無く、彼女はふらりと来た時に履いていた汚れたスニーカーを履きユキヒトの携帯を持ち去り代わりに自分が使っていた古い携帯を置いていったこと。その携帯に最初に彼女を監禁していた男から電話が掛かって来、現在彼女は最初監禁した男の下に居るらしいことなどが示唆されるが、この結末らしからぬ結末を観るに至って改めて今作の底に脈打っている相互不信の根深さに慄然とするのである。この相互不信は最早、ヒトが自らをアイデンティファイする為に通常通ってくる自分の類的存在としての同類他者、即ち他人を己の鏡として観察し、比較し己を知ってアイデンティティーの基礎を為すような“信”そのものが最早成立し得ないまでに崩壊してしまったかのように思われたことだ。彼女の個的体験に殺人という経緯がホントにあったとしてそれが彼女に与えた影響が実は何であり、広田氏が何故このようなタイトルを付けたのか? タイトル自体がアイロニカルに用いられているのではないか? 等々、観て衝撃的な作品であると同様に様々な感興を催させる作品である。
     作品中で極めて気に入ったシーンは、クミコが味噌汁の話をするシーンであるが、このシーンに或いは解の一端があるかもしれぬ。というのは、このシーンにクミコのアンヴィヴァレンツが凝縮されていると感じるからであり、掛かるが故に彼女の不可解な行動に説明がつきそうな感じも持てるからであるが、この悲痛が同時に極めて美しくも感じられたからである。

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    2023/07/01 23:34

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