瀬戸内の小さな蟲使い 公演情報 桃尻犬「瀬戸内の小さな蟲使い」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    当日は開演時刻の19:30に駆け込むため午後から職場で諸々算段をし、「えー今日はもう行っちゃうの薄情だなぁ」と交替要員に言われぬよう、余裕も見せつつやんわり退座を告げ、自転車に乗るや全力疾走(そのためか翌朝通勤時にチェーンが切れた)、目指す電車には乗れたのだが、1分余の遅れのため乗換失敗、手を尽くすも結局下北沢駅着19時28分15秒。劇場へダッシュするも1分超、既に開演後であった。
    ドア前に佇むと場内の音楽がやがて大きくなり開幕したらしい。途切れると男女の会話がボソボソと聴こえて来た。始まりが肝心な芝居だろうか・・と受付の方に開演シーンを聞けば、「ネタバレになるのですが」「私、これから観るので知りたいんですが」「(少し考えて)男女が他愛ない会話をしています」精一杯答えてくれて有難う、と言う間はなく中へ案内されると、既に「乗りづらい」会話となっている。が、シチュエーションは明白でコントが成立しそうな設定だ。以前一度だけ観た桃尻犬舞台は「具象に満ちた」セットとお話だったが、今回は過剰を排し、あるいは逆に誇張な道具で「演劇的遊戯」が勝ち、お話の方はやや綱渡りの感覚。予期せぬ二部構成など意表を突く演出、展開からの劇の収束は、やはりコント色が強かった(上演時間も短い)。
    楽しみだった俳優では、先日観たゆうめい舞台で独特キャラを演じた鈴鹿氏が、今回でも煮え切らない役どころ(だけの存在なのかどうなのか..)。橋爪女史が関西弁の喋りの場面を締める。飛び道具的なてっぺい氏の飛び具合は芝居の飛び具合と相殺されたような。。
    さて冒頭の欠落がカバーされたか否か、だが、じつはこの部分が感想を左右したのではないか?という後味が残ってしまった。そのあたりはネタバレにて。

    ネタバレBOX

    言ってしまえば、完成度の高い(安定感のある)芝居は、絵の全体に対する一部の欠落が絵の鑑賞上の大きなダメージになる事はない。凡そ想像がつくし肝心な所は味わっている。が実験度の高いそれは想像がつかない。
    この話は、縦軸に危機的状況からの脱出なるか・・というストーリー(前半)と並行して一本貫く「男女の関係の帰趨」があり、横軸には「居合わせた者たち」がこの男女(特に男)を評価する目として存在し、男が実家に戻って継ぐ仕事だったらしい「蟲使い」の意味、といったものがある。
    作り手としては、この男女がどうありたいと観客に感じてほしいと考えたのだろう(男に頑張ってほしいと思う、もしくはダメ男を突き放して見る、のどちらに誘導したいか)、と考える余地が残った。つまり、冒頭のやり取りの中に、主人公でもある「男」に観客の共感を繋ぎとめるフックがあったのではないか? という想像だ。
    「情けない」部分しか見えてこない男は当然のようにして女から愛想を尽かされたにも関わらず、後半この男の復縁への執着を物語は追いかける。
    蟲使いの術を掛けられた(男本人は誰を術に掛けたという自覚はない)前田さん(てっぺい)と遊園地の従業員(野田)が、ミニサイズにされた体で周囲の危険から逃れる後半の場面(音響で巨大な人間の足音や猫の襲撃を想像させ、笑わせる)の会話では、やがて人間の姿が何らかの虫に変ってしまう、という。これを伏線としてのオチがあるが、このオチを笑いと共に受け入れれば良いシュールな劇なのか、それとも「蟲使い」という家に伝わるよく判らん職業(ごく小さなコミュニティでの宗教的支柱のような存在)が、男にとって何であるのか(真剣に取り組もうとしているのか自分のステータスになればいいな位に考えてるのか)、女性には理解できない部分を抱え、それを伝えたくて伝え損ねた男の悲哀に何かこう人生の含蓄のようなものを重ね合わせるのが正解なのか、そうじゃないのか。男の台詞は本当に煮え切らない男である事を示しており、女はそれを正しく見抜き、見切りをつけた、と見えるのだが、芝居の作りは、もう少し男の方に寄っていると見えた。
    男の主観としての「説明不足」が、ドラマとしては「いやそういう問題じゃない人格上性格上の問題でしょ」と突き放して見せる事もできれば、「男の性格が災いしたな、可哀想」と見せるも可。後者を狙ったのだとしたら、冒頭1、2分程度の会話の間にあった仕込みを自分は逃した事になるが、その線は小さいかも。

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    2023/06/29 12:22

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