空気ノ機械ノ尾ッポvol.15~キカイ~ 公演情報 空気ノ機械ノ尾ッポ「空気ノ機械ノ尾ッポvol.15~キカイ~」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    ほっこり不足。
    踊るように、歌うように物語を紡いでいこうとする独特のリズムとテンポがあり、とてもワクワクしたのですが、途中から、いつやって来るともわからない列車に乗り遅れてしまったようなやるせない気持ちになり、現在地を失いました。それが地上から3センチくらいフワフワ浮いているような、適度に現実味のある浮遊感として受け取っていいものか、イマイチ確信が持てないのですが、フライヤーから想起される、月と太陽がとりとめのない話をしているような抽象や、陽だまりの庭でぼやんとしているようなほっこり感というか、充足感はあまり得られませんでした。
    ひょっとしてこの時の私の頭のなかのなかが、執拗にねじくれていたことが原因だったのかもしれません。

    ネタバレBOX

    キーワードも関係性もすべて「ベンチ」から水面に波紋が広がるように形成していく。

    背後から照らされた照明が、木陰を照射している。
    ベンチは通常公園にあるものだ、という固定観念があるからだろう。
    そのような場所で、サンバ調の軽快なBGMに合わせて俳優たちが、舞台上の捌け口だけでなく、開放された客席扉からも出入りし、自由に美しい対角線を描きながら行きかう。
    行きかう人々は、化粧をしながら通り過ぎるひと、新聞を読み一瞬立ち止まるひと、子どものようなひと、音楽を聴いているひと、妊婦さんらしきひと、などさまざまだ。時折、風そのものであったり、サーチライトであったり、擬人化された何かが通りすぎることもある。

    このシーンは場面転換をする際に時折登場するのだが、非常にスタイリッシュだ。しかしそれだけでなく、ノスタルジーや、ぬくもりが自然とこぼれ落ちる不思議な感覚があった。きっと、この作品に携わっているひとたちの関係性のよさ、なのかもしれない。
    それが非常に良い空気感をまとっており、私はこの1シーンがずっと続いたらいいな、とおもうくらいとても好きになった。

    けれど、音楽が鳴り止み、仕事の合間にぶらり公園に立ち寄ったような身なりのふたりの男性があらわれて、なんでもない会話がはじまってからというものの、これまでのふんわりした心地よさがするりと消えてなくなるような気持ちになった。
    舞台が公園のベンチだとすると当然、公園に住んでいる浮浪者が出てくるものだと期待していたからなのだろうか。
    抽象的な冒頭のシーンとはかけ離れた男性らの具体的なある意味リアルすぎる会話が異質すぎて、上手に連結していないようにおもえて、フリーズしてしまったのだ。
    しかし、そうこうしている間にもふたりは何かについて会話をしており、人生に疲れたことがないから、ベンチには今まで座ったことがないという貧血気味の男のひとのつぶやきや、そんな男性にチョコレイトを強く勧める工場勤務のハツラツとした声の男のひとのやさしいおせっかいなど、何とか耳をダンボにして会話に集中するのだけれども、私は結局、会話の多くを掴み損ねてしまったとおもう。

    ふたりのシームレスな会話のなかで、いつだったか擬人化されたベンチが登場し、ベンチの”フォーム”について尺の長さや用途、適切な場所をプレゼンする場面において、ソファーはベンチに対抗して己の座り心地の素晴らしさを強調し、ベンチVSソファーの熾烈な戦いが勃発した時、私がこの作品に求めているのはこちら側なのだなぁ、と痛切におもった。
    だもんで、度々挿入されるあの、陽気なサンバ調のリズムに合わせたあの雑然と人々が行きかうシーンになると楽しくて仕方がなかった。

    やはりあのシーンをみてしまうと、コンテンポラリーダンスのような独創的な動きとベンチを取り巻く環境をベンチ自身の視点からキャッチするやり方に絞るか例えば男性のひとりが疲れないからベンチに座ったことがないのは彼の前世がベンチだったからだ、と仮定したうえで今現在ベンチとして存在している女性と、かつてふたりはベンチ夫婦でもあった、などという突拍子もない方向性から切り開いていく方がこの作品には合っているように思えてならなかった。

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    2010/05/31 00:28

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