少女仮面 公演情報 ゲッコーパレード「少女仮面」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    唐十郎の名作と、俳優の肉体と。

    ネタバレBOX

    戯曲は説明するまでもないが1969年初演、岸田國士戯曲賞を受賞した唐十郎の代表作の一つ。まずは若手と呼ばれる団体が日本の既存戯曲に取り組むことは積極的に評価したい。日本の特に小劇場ではやはり新作上演が多く、戯作と演出を兼ねることも多い。それ自体はそれぞれの創作過程の上で選択してきたことであるのだが、やはり古典や名作の再解釈や現代的価値観との化学反応は、演出という職能を考える上で重要に思う。ヨーロッパが文化としての、あるいは市場としての舞台芸術を築けたこともそれぞれの時代の戯曲を再解釈して現代作品として提示する一貫性が観客と共有できる部分として用意されていることも大きいと感じる。大きく様式の異なる近松や南北にすぐに取り組むのは難しくとも、木下順二や宮本研、寺山修司といった近代における名作を再解釈する余地はまさにこれからであろう。どれも新劇やアングラといった枠には収まらないはずだ。

    前段が長くなってしまったが、1960年代から連なるアングラ演劇の旗手たる唐十郎の作品にゲッコーパレードが取り組むことは、まさに前述の文脈にも適うことだろう。その上で、その上演をどう評価するかというと少々難しい。ほぼ元の戯曲通りに上演された本作は、その演劇が我々が想像しうる“伝統的”アングラの作法に則っていたようにも思う。デフォルメされた動きに節のついた台詞回し、少し毒を感じる衣装やメイク。俳優達はケレン味たっぷり。特に劇場内を不規則に力強い足どりで移動していた小川哲也演じるボーイは、自分にとって春日野八千代より印象的であった。

    今回の応募にあたってゲッコーパレードは「この公演の一番の意気込みは、俳優中心の演劇を作ること」と述べ、それは演劇にとって必要不可欠である俳優が消費されず、主体的に演劇を作ることを目指しているとしていた。なるほど、それは確かに取り組まれていたのかもしれない。俳優はそれぞれ異なる演技体を持って作品に臨み、舞台美術や小道具は排除され、俳優が制約を受けるものは極力取り除かれていた。『少女仮面』の戯曲を読んだことや作品を見たことのない観客は場面が想像できない部分もあったかもしれない。それでも俳優たちは自由であったのかもしれない。では、そして、自由になった後の俳優たちはどうなるのか。舞台の上での虚構を失い、自己の肉体のまま戯曲の台詞を語る俳優は、何者になるのだろう。
    ゲッコーパレードの、特にこのシリーズの取り組みは道半ばであろう。俳優が俳優として舞台に存在することになった先に何を描くのか、それは特権的肉体論の先を描かなければならないのではないか。模索してほしい。

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    2023/06/11 18:17

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