夢見る無職透明 公演情報 演劇プロデュース『螺旋階段』「夢見る無職透明」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

     日本、この狂いに狂った社会の齎した破綻は、日々益々我らを苛むがその有様はことほど左様に単純ではない。

    ネタバレBOX

    いつもそうであるように、それらはやんわりと而も極めて陰険に真綿で首を絞めるような圧力や村八分的排除、執拗で陰険極まる虐め等々及び、他者性を自己認識の必須な根拠とし生存本能そのものに対する人間的批評性を取り入れることでアイデンティファイした自己の判断を前提とし人間の本質として人権を基礎に据えることを当たり前とする正常な民主主義社会を蝕んだ。結果、社会的責任も全うすべきであるとの理念をベースに思考されねばならない、社会的存在としての個人を内部崩壊させた。日本人を観察してみると、残念なことに本来自己省察が行われて当然の自己内に於ける他者性の不在乃至は無視・無効化が既に回復不可能な地点を通り越し自己増殖を始めて久しい、と主張してでもいるような馬鹿げた行為の横行の示唆するもの・ことは、枚挙に暇がないことに気付く。当たり前過ぎて指摘することすら恥ずかしさを覚えるような行為を為し而もSNSで自慢げに拡散する人間が、己の何たるかを知る為には本質的に他者を自らのアイデンティティー創成の直中に取り込み且つヴィヴィッドにその他者性と己の本能が命ずる自己保存性即ち自己肯定との間を行き来し格闘することが必須である。然しながら事大主義者が圧倒的多数を占める日本人社会に於いて現用最多の「民主的手法」として日々人々が採用する多数決という方法が、主流を占め続けている。多数決が常に正解を得る訳ではないことは、少し考えれば誰にでも分る話だ。にも拘らず事大主義者は不正解が明らかな場合に於いてさえマジョリティーの側に流れ易い。原因は、先に述べてきたようなことが原因で己の頭の中でキチンと思考するというだけのことが最早機能していないからである。結果マジョリティー側に依拠することになる。自己保存本能を肥大させ過ぎず、正常な社会参加が行えるように社会的動物としての理性を働かすことができるような条件を作り出す己の内なる他者を無視・排除してしまった必然的結果である。個々人のこのような傾向が、事大主義者の集団に根拠を与えているかの如く錯覚させ、人間という社会的存在から烏合の衆へと自ら進んで逸脱してしまう。今やそれを再び正常化する術も失った。その結果現在のような人倫の基盤そのものの崩壊を招いていると考えられる。
    おまけに極めて能力が低く、そのコンプレックスからか、矢鱈「道徳」などと宣い、己の頭脳を用いて考え行動するということのできなかった元首相は、民衆から自主性を奪い、発想の自由を簒奪し教育を改悪し続け現在の崩壊日本を創出するに功あった。A元首相である。罪は彼だけにあるのではない。彼を支えたJ党、人事権を握られていたとはいえ、唯々諾々と国民を裏切り続けた(続けている)公僕の群れ(殊にキャリア官僚)の罪は重い。当然、御用学者も同様の罪を負う。Aノミクス推進のH・K氏は散々トリクルダウンの効用を説いたが、百歩引いてあの時点での日本産業構造を概観してみればトリクルダウンを起こすことができるような、産業構造そのものを変革し先端技術を更に伸ばし発展し得る企業が日本の何処にあったのか? を観てみれば明らかであった。(在ったにしてもその可能性を潰すような施策ばかりを実行して結果的に潰した)それが起こせるような優秀な人材の多くが当の昔に日本を見限って海外で活躍する道を開いていたからという事情もある。頭のネジがどうにかしているのではないか? との疑義を抱かざるを得ぬ御仁が唱道したのがAべのみくすであった訳だが多くの日本人はこの馬鹿げた路線を信じた(少なくともその振りをした)。失敗して当然である。
     こんな具合に本来なら社会の中核を担わねばならぬ「日本型エリート」集団そのものが完全に瓦解に手を貸し見本となって世の中をミスリードしてきたのみならず、その責任は一切負わず、相変わらず偉そうにふんぞり返り、真摯に考え訴えて認められなかった無辜の庶民の真摯な意見は無視するのが当たり前。選挙の時だけ、恰も何事かを真剣に考えているかの如き茶番を繰り返す。現首相が首相になる前の選挙ポスターには本人の大きな顔写真にキャッチコピーが書かれていたが、その文言は何と“決断と実行”であった。アメリカに地位協定で植民地化されているのみならず、秋に出される要望書(日米規制改革および競争政策イニシアティブ)に隷従するのが基本という国政に、決断などという大それた決意が在ろう筈も無い。国民を舐めるにもほどがあると思っていたが、案の定である。アリバイ作りしかできないことが日々益々あからさまになっていることに内心忸怩たる思いの方々も存在する筈だ。が、日々の生活に追われ、疲れ切った多くの日本人は自分が今作を拝見して分析するようなこともすまい否疲れ切ってできまい。
     今作が描いているのは、このような日本の現実によって絶望に追い込まれ、居直ることしかできなくなった庶民のアカラサマな姿であろう。役者陣の熱演は評価するが、登場人物の内、1人か2人は、小生の指摘したような健全な人間の形成される条件そのものが破壊されているという地平から、ここで描かれているような表層の社会現象を見、内部で葛藤していることが滲み出るような演技をしてくれていたら、とは思った。

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    2023/05/30 20:26

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