「ヒッキー・カンクーントルネード」の旅 2010 公演情報 ハイバイ「「ヒッキー・カンクーントルネード」の旅 2010」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    笑うよりも考えさせられました
    「経験者組」を鑑賞。
    岩井さんは「外に出る」という点に着目し、「自分も外に出ろと周囲から盛んに言われた時期があるけれど、はたして単に外に出ればよいのか。外に出て生活していても、引きこもりの人はいる。この劇に出てくる登美男以外の人物にも引きこもりの面がある」とアフタートークで語っておられた。興味深い視点だと思う。それゆえ、このお芝居で起こる笑いには戸惑いも感じた。

    ネタバレBOX

    以前、TVで、「引きこもりの子はとにかく外に出して治す。この道?十年の経験に自信がある」と主張する女性と、「外に出すとかえって状態が悪化する」と主張する引きこもり経験者でカウンセラーの男性の主張が真っ向から対立し、議論が平行線だったことを思い出した。
    確かに一口に「引きこもり」と表現してもいろいろなケースがあると思う。この劇に出てくる人たちは外見の状態より、むしろ内面のほうに問題があると私は思う。
    妹の綾(成田亜佑美)とプロレスごっこに興じる登美男(岩井秀人)は楽しそうだ。自分の興味のあること、得意げになれることをやっているうちは機嫌がよいが、妹が登美男のビデオ「巌流島」を友人に貸したと聞くや否や、「どうしてそんなことしたの」と火が付いたように怒り出し、執拗に綾を責める。
    母親(平原テツ)がカウンセリングのような感覚で、“出張お兄さん”の圭一(坂口辰平)のところに息子の相談に行き、「こういうお仕事(引きこもりの子のケアをする)はどれくらい経験があるんですか」と質問すると、圭一はたちまち、その質問のしかたを経験差別だと受け止めて、理屈を並べて反撃する。圭一は吃りはじめ、言葉がうまくしゃべれなくなる。ここでドッと笑いが起きたが、笑えるところなのだろうか。精神的な症状であり、私は笑えなかった。
    家にやってきた圭一は環境適応症(?不適応症は聞いたことあるが・・・)のため、登美男と意気投合して家に居ついてしまう。
    今度は母親から事情を聞いた“出張お姉さん”の黒木(チャン・リーメイ)がやってきて、登美男のほうを外に連れ出そうとする。対処法をめぐって、母親と黒木が言い合いになるが、この黒木もまた、相手の言い分がまったく耳に入らず、自分の主張だけを繰り返す人なのだ。
    綾は母親に対し、家とスーパーとボウリング場を往復してるだけではないかと痛烈に批判する。唯一の趣味のボウリングについてとやかく言われたくないと、この母親もまた、異常なまでに猛烈に怒り出す。
    「相手の意見に耳を傾けられず、自己主張だけを執拗に繰り返す」「こだわりが強いことに対しては些細なことでも怒りが爆発する」、これは性格と言うよりもむしろ精神的な問題ととらえたほうがよいのではないか。つい先日も、「周囲が性格的な問題だととらえるために、社会に適応できず、引きこもりになってしまうケースがある。先天的な病気の要因が考えられる場合もあるので、医師に相談し、周囲にも理解してもらう必要がある。そうすれば特技を生かしてうまく社会に適応できる」という精神科医の講演を聴いたばかりなので、この劇を観て複雑な思いだった。

    リビングルームのウォールポケットを裏返すとお母さんが使う公衆電話になっている。小道具が家庭の内と外の表裏一体の関係を暗示している(ウォールポケットにはつり銭などの小銭がたまっていく)。

    平原テツは母親を好演しているが、「おぅ」と返事をするときだけ、まるで男になってコントめくのが気になった。わざとそうしているのかもしれないが、違和感があった。

    「外国で公演しても引きこもりが理解してもらえるかどうか・・・」と岩井さんはおっしゃっておられましたが、外国でもこのお芝居は理解してもらえると思います。部屋に引きこもる行動をとるかどうかよりも、人とコミュニケーションがうまくとれない、という精神的な問題を扱っているから。

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    2010/05/22 22:42

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