本人たち 公演情報 小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク「本人たち」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    言語の仕組みに対する意欲的な考察

     「コロナ禍の時代の上演」を前提として2020年に始動し、何度か上演されてきたプロジェクトの現時点での到達点を示す二本立て公演である。

    ネタバレBOX

     第一部「共有するビヘイビア」は出演者である古賀友樹から聞き取りを行ったテキストで上演された。古賀は客席に向けひとり語りを続けるが、なにか意味のある内容を話しているというよりは、心に留まった言葉をダジャレや連想を交えてリズミカルに紡いでいく。客席に向けて「ようこそいらっしゃいました」と語りかけ、観客とじゃんけんに興じたりと終始客席に注意を向けていた。膨大なセリフをよどみなく発しながらなめらかに動いていく様子は達者であり、作・演出が課した高い要求に応えていたことは見事だったが、舞台と客席の間に見えない壁があるように感じた。むしろひとり語りの場面よりはコンピュータの音声と対話するくだりのほうがイキイキしているように見えた。終盤になると場がほぐれてくるからか、照明が点灯したままの状態で観客に目を閉じろと促す「念力暗転」のくだりは面白いと感じた。

     第二部「また会いましょう」では二人の女性(渚まな美、西井裕美)が思い思いに発話を続け舞台上を所狭しと歩き廻る。こちらもまた客席に向け話しかけたかと思えば相手に対し好きな映画について問いかけたり犬を見つけた話をしたりする。しかし対話が成立することはごく稀で噛み合いそうで噛み合わず、基本的には延々と好き勝手にひとり語りを続けているように見える。語りの切り替えはとてもスムーズで聞いていて心地が良い。まるで発話という音楽に合わせたダンス作品を観ているような心地になった。話が袋小路に行く場面がおかしみにまで至ればなお良いのにと思った。

     本公演に貫かれているのはセリフに込められたリアルな感情の再現ではなく、どこまでも醒めてシステマティックな言語の仕組みに対する考察であると私には感じられた。第一部の雑念まみれの客席への語りかけは、人間が発話するまでに交錯する感情の流れを追体験するように感じられたし、雑念が言葉になり発話したところで他者がそのまま受け止められるとは限らない、むしろ誤解されることの方が多いということを第二部で表明していたように思う。言語でしか世界を把握できない人間の哀しさを舞台で観られたのは、他では得難い体験であった。

     ただこの試みは満場の客席を湧かせる大きなうねりのようなものにまで至っていなかったように思う。加えて、第一部で自己開示をしている割に古賀が客席に対し恐れを抱いているかのような目をしていた様子であるとか、第二部で俳優が互いにマスクを外し素顔を見せたときの恥じらいなどのリアルな表現はいかにもナマっぽく、この作品の乾いた感触からは浮いているように見えた。

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    2023/04/12 18:29

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