凡骨タウン 公演情報 モダンスイマーズ「凡骨タウン」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    木下恵介の「惜春鳥」を思わせる作品
    もともと、暴力場面が多い芝居は苦手で、しかも、前作を観ていないので人間関係がよくわからない点もあったが、引き込まれ、胸を深くえぐられた。
    正装し、ご馳走を並べたテーブルにつく出演俳優たちを撮影したフライヤー。一見、公演の記念写真のようだが、この物語の登場人物たちにはまったく無縁の世界なのだということが芝居を観るとわかる。逆説だけにいっそう切なくなった。
    この芝居を観た直後に、名匠木下恵介の「惜春鳥」を観る機会があり、時代状況も人物設定もまったく異なる作品だが、非常に酷似したものを感じた。
    「惜春鳥」は会津を舞台に幼馴染の同級生の友情と裏切り、挫折を描いた作品。この映画の中で主人公の青年が悟るのは「立場が違えば心情的に理解できる部分もあるけれど、自分は自分の生き方しかできない」ということ。木下作品は救いようのない人間関係や貧困の泥沼の中で懸命に生きる人間を描いて感動を呼ぶ。蓬莱竜太のこの作品もまた、現代の「惜春鳥」だと思った。

    ネタバレBOX

    劇の冒頭、早乙女がケンに語る「もしも、俺がおまえだったら、こうするという考え方はまちがってる。その人間に生まれたら、何から何まで条件は同じ。まったく同じことが周囲にも起こり、違う考え方や生き方なんてできっこない」
    という意味の台詞。これが胸に突き刺さった。この台詞で始まらなければ、感情移入して観ることはできなかったかもしれない。この町に転校してきたケンは妹と祖母と3人暮らしで、ほとんど寝ている祖母の口癖は、「金持って来い、食べ物持って来い、男連れて来い」だった。たとえ盗んででも、ケンはそれを実行し、祖母は時にはケンを布団の中に引き込むこともあったという。
    そういう異常な生活の中でケンは早乙女兄妹と出会い、早乙女の妹キヌ子とも互いに好意を抱くようになる。早乙女は、不良少年グループを統率し、仲間のしるしとしてからだに墨を入れることを強要。少年たちはひるむが、一番最初に刺青を施すことになったのはキヌ子はだった。キヌ子は少年たち以上に兄には絶対服従で、兄の命令で人に言えないような仕事もしてきたようだ。キヌ子はきれいな仕事(スーパーのレジ?)で稼いだお金だから、これを持って町を出るようケンに勧めるが、ケンはとどまり、仲間が離れても 早乙女に抵抗し、敗北の瞬間を迎える。回想場面も挿入されるので、前作を観ていないと時系列的にわかりにくくなるところもあった。
    萩原聖人のケンは、真に迫った演技で、その説得力がこの芝居の根幹を支えている。私は萩原の舞台はこれ以前に一度しか観ていないが、そのときも妹と2人で世間から隔絶して暮らし、そこに入り込んできた男に支配される役柄だった。
    千葉哲也の早乙女は不気味で迫力があって本当に怖い。古山憲太郎の演じるハルフミが足を引きずっているのは、当たり屋をやって生活してきたという設定だからだそうだ。木下恵介も「惜春鳥」や「冬の雲」でグループの中に1人足の不自由な若者を出しているので、そこも共通点を感じた。古山のもう一役、ケンの妹カナエの同棲相手ウメオが最初、同一人物なのかと思ってしまった。寡黙で暗いハルフミは適役だが、純朴なウメオも持ち味が出ていた。客演ばかり観ていて、本拠地のモダンスイマーズで古山を観るのは初めて。ウメオのユーモラスな演技にはブラボー・カンパニーでの経験が生きている気がした。キヌ子の緒川たまきは最近は舞台の仕事が多いが、やはりモダンスイマーズに客演したことのある鶴田真由と口跡や雰囲気が似ていると思った。佐古真弓はケンの妹カナエ、祖母を思わせる老婆との2役を演じ分ける。ケンを慕うナーの津村知与史は、饒舌で楽天的な演技が逆に悲しみを誘う。ケンと早乙女を結びつけたのはほんの些細なエピソードなのだが、青年が暴力団員となるきっかけというのも、頼るものなく、世間に背を向けてずっと孤独に日陰を歩いてきた若者にとって、暴力団員のわずかな温かさが胸にしみ、その道に入ってしまうのだと聞いたことを思い出させた。
    孤独と貧困と暴力のやりきれない連鎖。ケンが抜け出す道はなかったものだろうか。

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    2010/03/23 13:07

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