ガラスの動物園 公演情報 新国立劇場「ガラスの動物園」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     フランスのオデオン劇場による「ガラスの動物園」(演出=イヴォ・ヴァン・ホーヴェ)を観た(10月1日[土]夜公演)。本来であれば2年前に来日予定だったものが新型コロナウイルスの流行により2度流れ、3度目にしてようやく上演の運びとなった。チケットカウンターのキャンセル待ちの列と満場の客席が、上演を切望する熱気を伝えてくれた。

    ネタバレBOX

     幕開きで客席後方から語り手である長男トム(アントワーヌ・ レナール)がやってくる。最前列の客と手品を興じてから舞台に上がると、そこに広がる穴蔵のような舞台美術がまず衝撃的である。いたるところに顔面を模した模様が描かれた土壁に囲まれる様子は、逃げ出した父親の幻想と世間の目を恐れ隠れるようにして生活しているウィングフィールド家の息苦しさを端的に示していた。部屋の仕切りをあえて作らず、キッチンと階段以外はほとんどセットがない空間設計は、このあとのアクティヴな展開に最適であった。

     イザベル・ユペールの母アマンダは期待以上の大出来。凋落を受け入れられずかつての生活を夢想しながら周囲に当たり散らす凄まじい芝居である。粗雑な手付きで料理を作り、言うことを聞かない子どもたちを叱り飛ばし、来客のためにとまるでゴスロリファッションのようなフリルのドレスを着て少女のように駆け回るなど、さまざまな表情を見せてくれた。ポール・バーホーベンの『エル ELLE』で見せた強さや、逸脱行動に取り憑かれていく狂気ぶりを想起した。細身ながら肉感的で官能的なアマンダであった。

     ユペールの独壇場で進むかと思いきや共演者たちもじょじょに健闘してくる。ジュスティーヌ・バシュレのローラは原作の脚が不自由な設定をそこまで強調せず、多少は内気だがごく普通の女性として描いている。こうすることで自分たちが勝手にコンプレックスだと思いこんでいることが、じつは世間からするとさほど気に病むものではないという、普遍的かつ現代的な解釈を提示していたように思う。ガラスの動物たちを自分の子どものように扱う幼稚さや、コンプレックスと抑圧ゆえの狂気が感じられればなおよかった。

     ローラの相手にと招かれたトムの同僚ジムを演じるシリル・ゲイユは、原作のアイルランド系ではなくアフリカ系の意外な配役。アマンダが南部にいた頃に黒人の召使いがいたことを回想する様子を聞いていたり、劣等感にとらわれず上昇志向をもつことが肝要であるとローラに語りかける様子を見ていて、人種間の権力関係の一側面を提示していたように感じた。これもまた現代的な解釈といえるだろう。

     ところどころテキストを端折りながらあっという間の2時間。数度に渡るカーテンコールと熱狂する観客たちの姿は、これからも折に触れて思い起こすことになるだろう。

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    2023/01/21 15:12

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