やぁ、また会ったね。
標榜される「普通」から生まれる遣り取り。あくまで日常。劇的すぎない「普通」。
始まってからしばらくは何も始まっていない様な感覚でした。やがて思い出した様に少しずつ行く末に向けてゆっくり流れ出す。結果、何処で道を間違えたのか決定的なポイントが見付からない辿り方をする。だから最後はモヤモヤ感が残ります。このモヤモヤとどう接するかが、この作品との向き合い方。この作品が持つ温もりは人のそれに近い。余韻に思いを馳せるのは人を思い遣るのと似ています。誰かと遣り取りをしていて『は?こいつ何言っての?分かり合うの無理だわ』と切り捨ててしまう人には多分この作品はつまらないでしょう。くれぐれも勘違いに御注意頂きたいのですが、この作品が面白く感じなかった人への人間性否定ではないです。要素の話。
思い遣りが絆と足枷になるから、誰かにとっての幸せが他の全ての人々にとっても同じく幸せであるとは限らない。追うべきはその部分。月に行く事をそのまま受け入れて共感しようとしたらそりゃあ無理があっても当然。未来の話です。「都会に出る」とか「外国に行く」くらいに捉えたほうが吉。
2010/03/20 01:14
2010/03/14 21:48
2010/03/14 13:59
どうも、お久しぶりです。
個人的な意見ですから是非については自分でも何とも言えませんが、「面白かったら別に意味なくてもいいじゃん」と思っています。意味があっても面白くないものは面白くないし。直接聞いてはいませんが、最初にこの本が書かれた時にも特に月である必然性はなかったんじゃないでしょうか。単純な「良いな」とか「やりたいな」が原動力。それで伝わりにくくなるリスクは当然あるけれど、分かった上でやって己で取り返す分にはそれで良いと思います。観る側に合わせてやりたくない事をやられても仕方ないし。その上で生まれた置き去りなる観客に対する姿勢がどうあるかも大切ではありますが。
結局のところ、月でないといけない理由があるとは自分も思っていません。
【KAEさん】
いえいえ、こちらこそ思い違いをさせてしまった様で。
自分は評論家ではないので好き勝手に記す事しか出来ません。今回もそうやって記したので、他の方の感想に意義を唱える気もなく。たまたま対抗する様に見えてしまっただけで、KAEさんと張り合うつもりで並べ立てた言葉ではないのです。たまたま相対してしまっただけで。
ただ一点だけ対抗させて頂くとすれば、自分も相当に偏屈です(笑)。月に行きたく見えるかどうかの部分に関して言えば自分も騙されはしなかったです。それぞれの行きたい気持ちが本物かどうかというところよりも、むしろ「行かせたくない」という思いのほうに焦点を当てて観ていた気がします。