月並みなはなし[2010] 公演情報 時間堂「月並みなはなし[2010]」の観てきた!クチコミとコメント

  • やぁ、また会ったね。
    標榜される「普通」から生まれる遣り取り。あくまで日常。劇的すぎない「普通」。
    始まってからしばらくは何も始まっていない様な感覚でした。やがて思い出した様に少しずつ行く末に向けてゆっくり流れ出す。結果、何処で道を間違えたのか決定的なポイントが見付からない辿り方をする。だから最後はモヤモヤ感が残ります。このモヤモヤとどう接するかが、この作品との向き合い方。この作品が持つ温もりは人のそれに近い。余韻に思いを馳せるのは人を思い遣るのと似ています。誰かと遣り取りをしていて『は?こいつ何言っての?分かり合うの無理だわ』と切り捨ててしまう人には多分この作品はつまらないでしょう。くれぐれも勘違いに御注意頂きたいのですが、この作品が面白く感じなかった人への人間性否定ではないです。要素の話。
    思い遣りが絆と足枷になるから、誰かにとっての幸せが他の全ての人々にとっても同じく幸せであるとは限らない。追うべきはその部分。月に行く事をそのまま受け入れて共感しようとしたらそりゃあ無理があっても当然。未来の話です。「都会に出る」とか「外国に行く」くらいに捉えたほうが吉。

    ネタバレBOX

    自分が観た5パターン目の「月並みなはなし」でした。黒澤演出としては時間堂07年版と朋友版に続いての3パターン目。それぞれに違う在り方。その違いは更なる成長があったからではないと思うのです。同じ親でも子供の育ち方には違いが出るもの。どの子供の出来が良いかなんて比べても仕方がない。
    けれど。今回ならではに思えたのは「ほんのり」感。月移民グループになぁなぁ感がありました。舞台から降りた時の役者同士の関係も友人として良好なのでしょうが、それが演技をなぁなぁにさせていたとかではなく。登場人物に明らかな上下関係があればその擦れ違いで物語の生まれどころは分かり易くなります。しかし今回はそうせずそれぞれにお互いを同じくらい思い合うなぁなぁな人々だったからこそ、ゆくゆくの『なんでこうなっちゃたんだろう』感が色濃く。業を背負って当然なんて人はあの中にいなかったはずなのに。願いが叶ったのに幸せになれなかった人々と、願いが叶わなかったけど新たに別の幸せの可能性を得たコウドウ。これまでは能力を持ちながら選ばれなかった彼の遣る瀬なさを感じていたラストが、今回はかなり明るい未来を示唆していたかと。ただし彼以外は微妙。誰かの幸せは誰かの犠牲の上に。幸せになる事への責任。感謝よりも深く。しっかり「いただきます」と言って動植物を口にするのにも似ているかも。
    個人的には音響と照明が豪華すぎました。07年版はシネマプライスシリーズで、朋友はアトリエ公演だったからそれらが簡素だったのかな?初演はどうだったのか。目の前に役者がいる事、人の遣り取りから生まれるものこそのみを体感していたかった。

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    2010/03/14 01:04

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  • 【アユムさん】
    どうも、お久しぶりです。
    個人的な意見ですから是非については自分でも何とも言えませんが、「面白かったら別に意味なくてもいいじゃん」と思っています。意味があっても面白くないものは面白くないし。直接聞いてはいませんが、最初にこの本が書かれた時にも特に月である必然性はなかったんじゃないでしょうか。単純な「良いな」とか「やりたいな」が原動力。それで伝わりにくくなるリスクは当然あるけれど、分かった上でやって己で取り返す分にはそれで良いと思います。観る側に合わせてやりたくない事をやられても仕方ないし。その上で生まれた置き去りなる観客に対する姿勢がどうあるかも大切ではありますが。
    結局のところ、月でないといけない理由があるとは自分も思っていません。

    【KAEさん】
    いえいえ、こちらこそ思い違いをさせてしまった様で。
    自分は評論家ではないので好き勝手に記す事しか出来ません。今回もそうやって記したので、他の方の感想に意義を唱える気もなく。たまたま対抗する様に見えてしまっただけで、KAEさんと張り合うつもりで並べ立てた言葉ではないのです。たまたま相対してしまっただけで。
    ただ一点だけ対抗させて頂くとすれば、自分も相当に偏屈です(笑)。月に行きたく見えるかどうかの部分に関して言えば自分も騙されはしなかったです。それぞれの行きたい気持ちが本物かどうかというところよりも、むしろ「行かせたくない」という思いのほうに焦点を当てて観ていた気がします。

    2010/03/20 01:14

    どうやら、思いが伝わらなくて、誤解されたような気がするので、自分のレビューを編集し直しました。
    私は、月に行くという設定に難色を示したわけではなく、月に行きたいという必死な思いを、観客に信じさせてほしかったと思ったまでです。いくら、解説でこれは近未来の話と説得されても、目の前の舞台だけで、観客は、その舞台の世界を感じ取るものですから。
    私が、偏屈な人間だから、Dさんより、騙されにくいだけかもしれませんが、少なくても、私には、あの登場人物達の、是が非でも月に行きたい感が感じ取れなかったのです。
    私の拙い文章のせいで、あの作品を愛するDさんの心象を害してしまったようで、申し訳なく思います。

    2010/03/14 21:48

    お久しぶりです。瑣末なことで申し訳ないけど気になって、

    >月に行く事をそのまま受け入れて共感しようとしたらそりゃあ無理があっても当然。未来の話です。「都会に出る」とか「外国に行く」くらいに捉えたほうが吉。

    だったら「月」にする意味無くないかな?
    それに引っかかるお客さんって居て当たり前だと思うんだけどなあ。

    2010/03/14 13:59

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