神遊(こころがよい)―馬琴と崋山― 公演情報 劇団扉座「神遊(こころがよい)―馬琴と崋山―」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2022/06/11 (土) 13:00

    舞台を観て、崋山という人がどういう人だったのか調べてみたくなった。それくらいこの人物が魅力的に描かれている。冒頭の厚木の場面で、少女お竹が「惚れた!」というのも無理はない。

    そんな崋山との交流を通して、馬琴という人物を描き出しているのが『神遊』だ。

    2人のやり取りが印象的な場面のひとつに、馬琴の息子 宗伯の死に崋山が駆けつけるくだりがある。

    死者を前にして「我が子であっても死ねば腐る」という辛辣な弁舌とある種の客観性を持って息子の凡庸ぶりを嘆く馬琴。

    その辛辣さに怯むこともなく、遺児のために友であった死者を描こうとする崋山は、さりげなく宗伯が「いつの日か馬琴を超える」と酒の席で豪語していたと語る。

    意外な息子の言動に驚きつつ喜ぶ馬琴。

    その場面を観ながら、その話はどのくらい本当だったのだろう、と思った。

    早世した息子の遺骸を前に、さまざま無念や後悔の念を抱いている馬琴への思いやりはあっただろう。

    酒の席で「オヤジの執筆の手伝いをさせられている」と言ったかもしれない。あるいはそれを聞いた崋山の方が「そんならオヤジ殿の技術を盗んでやれ」と唆したのかもしれない。

    嘘というのではない。若くして亡くなった友と遺された家族の心に寄り添ったのではなかったか。

    これは一観客の勝手な想像に過ぎないけれど、この物語の崋山はそういう粋ができる人物に見えた。

    快活で社交的な崋山とは反対に、馬琴は人嫌いと言われる気難しい人物である。

    崋山と待ち合わせた座敷で、酒を断り茶を所望する。絵草紙で読んだと『八犬伝』を褒める芸者に憤慨して声を荒げる。

    けれどその気難しさはある種の不器用さのように見える。

    酌婦や花魁に読ませるつもりで書いたのではない、という言い方自体は酷いけれど、聞きようによっては声を荒げたことを悔いているようにも思えた。文字が読めない人を責めるのでない。『八犬伝』の人気に便乗して草紙や絵巻物に盗用されていることに腹を立てているだけなのに、大人げない態度であったと。

    茶が熱過ぎたことを謝る女将に「自分が熱い茶を所望したのだ」という口振りはぶっきらぼうだけれど、相手を責めるつもりはないことは感じられる。

    人の欠点ばかりが目につくと自らいう馬琴は、その卓越した人を見る目と不器用さで、とっつき難い人物として描かれる。

    ことに息子の嫁 お路に対する言動は観ていてハラハラするほど辛辣だ。

    これは崋山と馬琴の物語であると同時に、2人に関わる人々、特にはな竹とお路の物語でもあった。

    12歳のときに出会った崋山を忘れられず、江戸で再会を果たすはな竹。投獄された崋山のために奔走し、馬琴の元へも殴り込み(!)に行く。その際の啖呵は切実でかつ小気味良い。

    嫁として気難しい舅である馬琴に仕え、彼が失明してからは『八犬伝』の代筆をもつとめることになるお路。夫を亡くしたのちも、子どもや姑の世話をしつつ気難しい舅である馬琴につくす。

    ことに印象的だったのは、失明した馬琴がお路に「お前のほかにおらぬ」「力を貸してほしい」という場面。

    お路が静かに泣く。その先のいっそうの苦労は目に見えているが、馬琴に頼られたことで報われたという思いもあったのかもしれない。

    人の思いというのは通じるものなのだなぁ、と思った。

    物語は、「インチキ講釈師」と名乗る司馬文耕の語りで綴られていく。

    それによって登場人物の目線だけでは語りきれない馬琴と崋山の生涯のあれこれを知ることができる。

    冒頭、旅の途中で厚木に立ち寄った崋山とのはな竹や駿河屋彦八らとの出会いが描かれる。厚木での上演はさぞ盛り上がっただろうと思うと、そこに自分がいなかったのが本当に残念だった。

    厚木での出会いだけでなく、画商や弟子など崋山の周囲には多くの人が集まる。彼らとの関わりもまた丁寧に描かれる。

    後半では、多くの人から愛された崋山が時代の波に飲まれ、投獄の憂き目を見ることになる。弟子や友人たちが奔走し、それに対して馬琴がどう対応したか、が見どころになる。

    理不尽に投獄された崋山のために弟子たちをはじめ多くの人が奔走し、崋山の登場はほとんどない。しかし病気を理由に牢から出られそうになった時、崋山自身がそれを辞退したあと、その理由を語る場面がある。

    投獄されて気づいた大切な想い。それまで気づかなかった当たり前のことを空の青さに喩えて、弟子たちに託す。

    しみじみと美しい場面。それを観ながら、この作品は山中崇史さんにとって代表作のひとつになるのではないか、と思った。

    終盤には崋山ゆかりの人々と馬琴が出会う場面がある。

    『八犬伝』を完結させたこともあって、ようやくそれまで表に出せなかった馬琴の心中が語られる。

    それを聴く人々それぞれの想い。タスキを外し、真剣な面持ちで聴く者。半ば背を向けて複雑な感情を抑えようとする者。

    満開の桜の下、ここまで描かれてきた馬琴と崋山の物語がやわらかに幕を下ろす。

    派手さはないけれど、充足感に満ちた美しい物語だった。

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    2022/12/30 10:21

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