音楽劇「雨を乞わぬ人」 公演情報 黒色綺譚カナリア派「音楽劇「雨を乞わぬ人」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    音楽劇というよりも
    カラオケ劇といったほうがより解り易い。だから小鳥が囀るような上品なフルートの音色も、白いドレスを纏った天女のような女がハーブを奏でるシーンも無い訳よ。キャストの歌は要らなかったなぁ・・。むしろ太鼓と笛が良く似合う劇だと感じた。

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    好みか好みでないかというと好みの作品。
    なんだかんだいって、昔からこういった村ってあったような気がする。だって閉鎖された村特有の言い伝えって絶大な威力を持ってた訳でしょ?
    だから、人柱伝説とか捧娘伝説とか日本昔話ばりばりの「本当にあった恐い話」みたいな「日本の呪い」になるわけよね。

    で、今回の物語は巫女伝説っていう、これも日本の天治村という外部世界を遮断した閉鎖的な村の伝説という説明だけれど、実はこの物語は本当にあったお話なんだから、どっぴゃー!!って仰け反ってしまうでしょ。笑
    村の名前は違えども本当にこんな話はいくつもあって、何故かいつも犠牲にされるのは美しい生娘だけだってんだから、日本の大昔も残酷でした・・。

    さて、物語は 天治村の天治家が巫女を守って育てているということで、村全体を取り仕切り、 外部から情報や人を入れさせなかった。この村に生まれて育った者たちは外の世界を知らないから、この村で起こってる狂気が狂気でなく巫女信仰が当たり前の出来事になっていたのだ。その村に神の如く祭られた巫女を泣かせると豪雨となって山が崩れ村が滅びるという伝説を信じて村人は巫女を泣かせまいと、蔵に監禁している巫女のために 村をあげての酒池肉林の饗宴三昧をする。

    しかし、その因習を知った旅人は13歳の巫女が毎夜毎夜、男衆に犯されるのをオゾマシイと思い、巫女を外の世界に連れ出そうとするも、巫女はここから出ないのだった。トーゼンだよね。ちやほやされながら育って村の男衆の全てが巫女の夫であり僕だったなら、ここから逃げたって生きられようがないよね。巫女の使命は次の巫女を生む事だけで、その使命が完結すると巫女は殺される運命なのだから、とても哀れなんだけれど、そのことを巫女自身もうやむやに理解していて、巫女に新しい命が宿ったのを知ると、ワザと泣き喚いて雨を降らせて村をも自分をも崩壊させる。という筋。

    こういった伝説は巫女(生娘)自身の悲哀を描いたものが多いが、今回の舞台も、ソレを見せつける。昔の言い伝えとは案外、本当にあった話だから、リアル感に満ち満ちて楽しかった。余談だが、生娘を捧げる伝説も、巫女伝説も村の長者が考えた独りよがりのHな行いだった。と現代版では解釈してるが、こういった解説も解るような気がする。要は金も地位も確立された男が次に欲しがるのは美しい娘なのだ!

    最後の場面、何もかもが豪雨で崩れるシーンの演出はお見事!美しいとさえ思った。

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    2010/01/23 17:15

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  • みささま

    温かい励ましをいただき、本当に本当にありがとうございます。
    そう、手術するしかないです。手術しても治る見込みがないレベルまではいってないそうですので。
    眼病にもいろいろ種類があるそうで。

    >あれ?採点評価システムって、通信簿だって採点評価システムみたいなもんですよね?

    もちろん、通信簿は相対評価採点システムです。双葉さんが採点評価システム自体を発明したという意味ではなく、映画批評に★採点のシステムを初めて導入したという意味ですよ。それまでは、評論家各自が文章で批評していただけだったのが、双葉さんが「スクリーン」という映画専門誌上で初めて★の数で表示する方法を導入したのです。いまでは新聞や週刊誌の映画批評ページで踏襲されてますよね。当時の「スクリーン」誌の読者は★の数を参考に、観にいく映画を決めたりしたんですね。クラスメートたちと毎月、楽しみに読んでましたもの。

    2010/01/29 22:12

    きゃる>
    >映画評論家の淀川長治も双葉十三郎も、晩年はほとんど失明状態だったそうですけど。目を酷使したせいでしょうね。

    やはり、職業病なんでしょか?だとしたら、きゃるさんは、あまりPC三昧されないほうが宜しいかと思います。視力を失うというのは何よりも耐えがたいです。
    それでも、放っておけば失明するなら、やはり手術を選択せざるを得ないですよね?成功の可能性が少しでもあるかぎり。

    >悪化する前に事故死するという結末で、そのほうがラクかなーと思いました。途中失明は辛いですよね。

    それでも生きるほかないんですね。ワタクシは、自分がそんなふうになることは想定外ですから、想像もつきませんが、きっと死ぬまで生きぬいて、その生きざまを自分で誇りに感じるほかないと考えています。だって、これまでの自分を励ましながら支えてきたのは過去の自分でしょう?自分自身をもう一人の自分に励まされ、共感され、応援されながら、ここまで何とかだましだましやってきたのでしょう?そしてこれからも、そうやって生きればいいと思っています。

    >白杖、盲導犬、どちらにしても私は外出する勇気を持てそうにない。ただでさえ、出無精なのに。

    きゃるさん、失明すると決まったわけではないのですよね?・・・かもしれないですよね?
    だとしたら、ものごとは良い方に考えればいいのだと思います。もし、万が一、失明したら、その時に考えればいい。今からあれこれ悩むより、人生を歐歌したほうが楽しいに決まってる!笑

    >ちなみに、双葉さんは映画のように相対的な批評の分野において、CoRichでもおなじみの★の採点評価システムを考案したかたでもあります。当時は画期的だった。

    そうでしたか・・、あれ?採点評価システムって、通信簿だって採点評価システムみたいなもんですよね?違いましたか?そういえば・・学生のころ、中間・期末テストの結果を体育館に張り出されたなー。あれって、今考えても軍隊並の競争意識レベル!笑


    2010/01/29 01:50

    みささま

    >それって、労災は効かないんですか?職業病なら申告した方がいいですよ。

    いま、職業病認定はされてるのどうか。自分のころはなかったですね。別の会社で長期休職してる人がいましたが、休職は認められたけど治療費は保障されず、完治のメドがすぐたたないので退職は覚悟してると言ってました。VDTは人によって軽重の差があり、一定の勤務状態で必ず発症するというわけではなく、個人差があるので認定が難しいんでしょうね。職場も変わってるとどの時点という因果関係も証明できないし。電話交換手で声が出ないという深刻な喉の病気になった人がいたけど、交換手全員がなるわけではないので、会社は保障してくれなかったそうです。そのケースと共通してますね。たまたま体質的弱点がある人に顕著に出るという点で。私の場合、近眼と乱視がひどかったのでいずれ年をとればその可能性はあると聞いてたんですがまだまだ大丈夫と言われてて、あまりに早いのでビックリ。最近はOA機器の普及で40代でも発症するそうです。定期健診の際も何も言われなくて、「3年前にカルテに残ってます」と言われ、「まったく聞いてないですよ!」と言ったら、「ああ、そうですか。でも、病気はあったんですよ。症状が潜伏してたのかも」ですって。手術以外、治療法はないので、症状の軽重は関係ないんですが。手術しても失明の可能性があるというのが困ります。映画評論家の淀川長治も双葉十三郎も、晩年はほとんど失明状態だったそうですけど。目を酷使したせいでしょうね。辛かったと思います。でも、色彩覚が変わるので、ストレスが出るせいか、手術を拒む人はいるようです。先日観た映画の主人公が同じ病気で、悪化する前に事故死するという結末で、そのほうがラクかなーと思いました。途中失明は辛いですよね。白杖、盲導犬、どちらにしても私は外出する勇気を持てそうにない。ただでさえ、出無精なのに。双葉さんって99歳まで生きて昨年末亡くなったんですね。あの状態で気丈なかたですねぇ。すみません。関係ない話をして。

    ちなみに、双葉さんは映画のように相対的な批評の分野において、CoRichでもおなじみの★の採点評価システムを考案したかたでもあります。当時は画期的だった。

    2010/01/28 17:40

    きゃる>
    >OA化の初期に目を酷使して、VDT病をやったのがまずかったのかも。

    それって、労災は効かないんですか?職業病なら申告した方がいいですよ。

    >夫は事態の深刻さを理解してなくて、軽く考えているようで、まるで人ごとなのよね。「私が失明したら、困るのはあなたもなのよ」って言いたい(笑)。

    言ってやったほうがいいですよ。なぜ、軽く考えているのでしょうか?次回、通院されるときに一緒に行かれたほうが理解しやすいかも。それでも、こういった場面に伴侶がいるって羨ましいですよ。一人身でそんな告知されたら、絶望どころじゃあないです。神経が病みそう・・。

    2010/01/28 10:47

    みささま

    いまは日常生活では不自由してなくて見えてるし、一刻を争うってことはないそうなんですが、やはり近々、手術しようと決めています。
    ただ、放置すると必ず失明するけど、手術によって失明したり、失明が早まるケースもあるのでよく考えてくださいと言われて、いま、迷ってるんですよね。すでに入ってる観劇予定を除いて、とりあえず予定は入れないことにしましたが、「万一の覚悟もいるので手術の時期は慎重に決めてください」と言われてるので、いつにしようかと。左はよく見えてるのに、実は両眼ともダメだそうですよ。OA化の初期に目を酷使して、VDT病をやったのがまずかったのかも。もう少し持つかと思ったけど。わたし、読書も含め、見ることが好きだし、書くことが仕事なので、失明は痛いなー。イヤダ。職業病は怖い。夫は事態の深刻さを理解してなくて、軽く考えているようで、まるで人ごとなのよね。「私が失明したら、困るのはあなたもなのよ」って言いたい(笑)。

    2010/01/28 07:59

    きゃる>
    >何せ、ほかのところで書きましたが、最近、視力が悪くなっていて見えづらく、医者にこの先失明するかもしれないと宣告されてるもので。すみません。

    失明?!きゃるさん、呑気にPC打ってる場合じゃないじゃないですか、失明ってどーいうことですか?とんでもないです。何かご病気でも?

    2010/01/28 01:11

    みささま

    >言葉にするのは難しくてもその心があれば解ります。きゃるさんのご提案をアンケートに書いてくださったこと、ムックは喜びますよ。良かったです。ワタクシのような経験の浅い者が意見するのもなんですが・・・、きゃるさんは他者から誤解されてしまう面がありますから、ここであえて取り上げさせて頂きました。酷評を言い放しで無責任だ、と感じられるユーザーや劇団関係者もいらっしゃるでしょうから。差し出がましいことをしました。この話題はここで終結させて頂きます。

    ありがとうございます。確かにその危うさを最近、自分でも感じています。愛情あるご指摘をいただいたこと、深く感謝します。


    さて「本水」の件ですが、あれは砂だったのでしょうか。もし、砂だとしたら、「砂を本水と同じ使い方をした場面」という言い方に訂正させていただきます。実は、水にしてはしぶきよけのビニールとかが配られなかったなと、思ったんですよ。何せ、ほかのところで書きましたが、最近、視力が悪くなっていて見えづらく、医者にこの先失明するかもしれないと宣告されてるもので。すみません。

    2010/01/27 20:15

    きゃる>
    >読んでいただければの話ですが。

    読むと思います。作家は観客の評価は気になるでしょうから。また、気にしなくちゃ駄目だと思う。

    >作り手が具体的に教えてもらうという話でもないし、これは自分の経験からも言えるんですが、「もっと、こうして、展開もこうで、結末もこうしなくては感動できないよ」と他人に手法のことで言われたとしても、自分の生理や思考に合わなければ、そうしたくないだろうしできないのよね。

    ええ、それは理解できます。ただ、ワタクシが作家ならヒントは欲しいな。と思います。そして観客には忌憚のないシビアな意見も欲しいけれど、そこにちょこっとだけ愛も欲しいな。と思うわけです。そうしないと挫けてしまうから。笑

    >還暦近い私が言っても、わかってもらえない部分が大きいのではないかと思う。言葉にするのは難しいですが。ただ、逃げてるわけではなく、提案はアンケートのほうに、いちおう書きましたよ。

    言葉にするのは難しくてもその心があれば解ります。きゃるさんのご提案をアンケートに書いてくださったこと、ムックは喜びますよ。良かったです。ワタクシのような経験の浅い者が意見するのもなんですが・・・、きゃるさんは他者から誤解されてしまう面がありますから、ここであえて取り上げさせて頂きました。酷評を言い放しで無責任だ、と感じられるユーザーや劇団関係者もいらっしゃるでしょうから。差し出がましいことをしました。この話題はここで終結させて頂きます。

    >溝口健二監督の傑作「西鶴一代女」でしょうか。ズシーンと響くなら、あの映画ですね。

    いつも御配慮、有難うございます。その映画は未見です。うちの近所のレンタルビデオ屋にはないかもしれませんね。今の流行りのものは置いてありますが、古いのは処分してしまってるようです。残念です。

    >ラストのセット割れとか「本水」などはよくできていたと思いますが、

    ラストの水のシーンは本水でしたか・・?ワタクシは白い砂のようなものかと思ってました。前に座った観客はシートか何かを足元にかけたのでしょうか?

    >国会図書館に行けばあるでしょうか。「大名華族」という本です。
    みささんと直接お目にかかるようなことがあれば、お貸ししますが。

    ますます、読んでみたいですね。東大の図書館にあるような気がします。東大の図書館は世界一ですから。もし無かったらお借りしたいです。とりあえず、東大で見つけてみます。いつもありがとうございます。

    2010/01/26 13:07

    みささま

    >な、なんと・・ブログまで観ていらしたのですか。(@@!)

    私はけっこう、ブログは読みますね。特に個性的な演劇人の場合。まー、ブログも虚像の面はありますけど、嗜好とかわかるし。赤澤ムックさんについても、何年分かすべてさかのぼって読んでいます。具体的に仕事の進め方がわかるし。今回の作品についても、ここでは長くなるので省きますが、アンケートには提案的なことを丁寧に書きましたから、決して言いっぱなしにはしてませんよ。読んでいただければの話ですが。ただ、読者や観客に何言われても、考えて書くのは作家の仕事だと言いたかったのです。作り手が具体的に教えてもらうという話でもないし、これは自分の経験からも言えるんですが、「もっと、こうして、展開もこうで、結末もこうしなくては感動できないよ」と他人に手法のことで言われたとしても、自分の生理や思考に合わなければ、そうしたくないだろうしできないのよね。そういう場合、言ってもムダってところある。赤澤さんはよくブログでも「私はもう三十路」っていう言い方をされて、大人という意識が強いようですが、まだ若いし、人生経験も浅いから、もっと年をとったら違ってくる面もあるでしょう。還暦近い私が言っても、わかってもらえない部分が大きいのではないかと思う。言葉にするのは難しいですが。ただ、逃げてるわけではなく、提案はアンケートのほうに、いちおう書きましたよ。
    「性の道具」という描き方について、ひとつ、私がみささんに例を挙げるとすると、溝口健二監督の傑作「西鶴一代女」でしょうか。ズシーンと響くなら、あの映画ですね。男性の監督だから、「女の業」の立場で描いてますが、溝口の作り方は演劇的で、シナリオライターにその場で何十回も書き直させてるんです。今回のお芝居、人間描写がもっとないと、私としてはダメだったんです。もしかしたらこのお芝居は理屈ではなく、「子宮で感じる」というような作品だったのかなと。みささんの感想を読んでそういう感じもしています。感想は人それぞれなので、もちろん、この作品を全否定するものではありません。ラストのセット割れとか「本水」などはよくできていたと思いますが、歌舞伎ではよく使う手法ですね。歌舞伎十八番「鳴神」のクライマックスとよく似ています。鳴神は本水は使いませんが。赤澤さんは歌舞伎をよくごらんになっているようですから、ヒントになったのかもしれません。

    >そのような難解な芝居を通すのは唐の自由ですが、それって傲慢でしょ?って感じます。理解できないで帰宅した観客が何人いたことか・・。

    うーん、そうですね。私もみささんに問題提起していただいていろいろ考えることができましたけど、確かに、表面だけ観たら「奇妙な芝居だなー」で終わってたかも。感謝しますよ、ホント。
    以前に上演した「腰巻お仙」の記録では配役は名前や登場人物も違ってるのがありましたね。
    いちおう、唐さんも、徐々に変えてるところもあるんでしょうけど。唐さんは勝新太郎と共通するところがあり、天才肌のせいか、言動もよく意味がわからなかったりするから(笑)。

    >姫君の末裔ってのが、興味ありますね。今はどうしてらっしゃるのですか?そしてその本のタイトルはなんといいますか?ワタクシも読んでみたい。

    著者はもう何十年も前に他界されています。本は絶版になってるので普通の図書館にはないと思いますが、国会図書館に行けばあるでしょうか。「大名華族」という本です。私家版のようなつくりかたであまり流通してなかったようで。著者名は、現在の子孫のかたと「家の恥になるから、今後名前は出さないで」と約束したので言えないのですが。家で買い取らせてくれって言われたけど、お断りしたのですよ。子孫の方によると「親族に生前も迷惑かけたのに、自分に都合よく書いてる箇所がある」と怒っていて。そのかたが亡くなったときご高齢でしたが、家が認めない若い恋人がいて、当時の週刊誌にいろいろ書かれたんですよね。
    みささんと直接お目にかかるようなことがあれば、お貸ししますが。

    2010/01/26 08:05

    きゃる>
    >彼女自身、自己愛の強さをブログの自己紹介でも披瀝してますが、自分の劇団でも作・演出に徹したほうがよい場合もあると思う。自分の役に向ける愛情や労力を他の役者に注いだほうが・・・って意味でも。

    な、なんと・・ブログまで観ていらしたのですか。(@@!)
    確かに徹するほうがより良いものが作れる気はしますね。人間の能力にも限界があるでしょうから。

    >まー、ブログの感じだと何言われても動じない人みたいですが(笑)。

    いあいあ、きゃるさん、どなたも生身の心を持った人間ですから、虚勢を張ってる人ほど、そうでもないんだと思っています。むしろ、「私、傷つきやすいの」なんつって、そこはかとなく静かな天使のように見える人ほど図太いし、人生を熟知してます。きゃるさんもこの部分では、反論はないでしょう?加齢とともに見る目は肥えてきます。笑

    >ズルイようだけど、完璧な提案ができるくらいなら、人に教える前に自分で劇作家になってますよ(笑)。観客は勝手だから(笑)。

    確かに観客は勝手だけれど、ダメだしで評価されるなら、完璧でなくてもこうしては?と提案されるのも劇団に対する礼儀かと考えています。ワタクシが劇団の主宰なら、こう思います。「なんなんだよ、こっちは顔バレして表面に立って一生懸命やってるのに、そっちは隠れ蓑に隠れての言いたい放題かよ。そこまで言うなら根拠や提案を見せろよ。」と。
    要は人は立ち位置によって見方が違うわけですよ。劇団の立ち位置。観客の立ち位置。あるいは中間の立ち位置(劇団の関係者・友人・こりっち)。お互いの立ち位置が違うからこそ、相手に解り易く投げかけてやるのも礼儀だと考えています。ようは噛み砕いて教えてあげても罰は当たらないでしょ?ってことです。いつものようにきゃるさんがワタクシに教えてくださるように。

    >確かに、昨年の「腰巻お仙」なんかは難解だけど、考えれば深いものが見えてくるでしょう?

    いいえ、その難解さがワタクシにはダメでした。後日、きゃるさんが解説してくださったから、理解できたものの、きゃるさんの解説がなかったら、今でも不思議なままの舞台でした。ワタクシ、基本的に芝居とは観客に理解してもらうのが前提だと考えています。唐がそのような難解な芝居を通すのは唐の自由ですが、それって傲慢でしょ?って感じます。理解できないで帰宅した観客が何人いたことか・・。

    >本作は、性の道具にされた悲哀は感じるけど、そういう歴史的なことは知ってるので、設定だけではいまさら驚かない。自分の場合は、とにかくズシーンとこなかったですね。

    ワタクシは今回の芝居は歴史的背景とは別に深い愛も感じましたが、きゃるさんには響かなかった、ということですね?まあ、感受性はそれぞれで、捉え方もさまざまですから、面白いのですが。

    >ある大名の姫君が書いた自伝なんか読むともっとショッキングな話を具体的に書いてます。

    姫君の末裔ってのが、興味ありますね。今はどうしてらっしゃるのですか?そしてその本のタイトルはなんといいますか?ワタクシも読んでみたい。

    >いまの虎の門のあたりのあるお寺は将軍家の尼屋敷だったそうですが、代替わりで剃髪した側室の座敷牢同然のタコ部屋で、そばを通るとものすごい身もだえ声が外まで聞こえてたそうですね。

    博物館だったかな~?地図が残ってますね。
    う~ん・・。日本のシンボル卑弥呼の「性」の実像は知りたくないな~、エロ大好き卑弥呼だったらどーしよ?!魔性の女になっちゃう!笑


    2010/01/25 16:52

    みささま

    >欲張りタイプってww・・ワタクシでも言えない単語を。しばかれるからっ(笑)・・・ってか、呪われる!ムックに。そんでもって、追い討ちをかけるように「感動がイマイチ」って・・そのうち背後から刺されますぜっ。笑

    ムックさんに限らず、一般論ですけどね。私の観た範囲ではそういう人が多い(笑)。彼女自身、自己愛の強さをブログの自己紹介でも披瀝してますが、自分の劇団でも作・演出に徹したほうがよい場合もあると思う。自分の役に向ける愛情や労力を他の役者に注いだほうが・・・って意味でも。「主宰特権で、私の場面は花や金粉が舞う」というようなことをいつぞやブログに書いてましたが、そういう意識は無用だと私は思うわけで(笑)。こんなこと言われて「刺したい」と思うんじゃ、主宰には向かないですよ。まー、ブログの感じだと何言われても動じない人みたいですが(笑)。

    >そしたら、その悲哀をどんなふうに描いた方がいいのかもアドバイスして頂きますと、ムックも喜ぶかも。したら刺されないですむ。苦笑!

    巨匠・溝口健二の言い方をまねさしてもらえば、「私は作・演出家ではありません。お金もらってる人はそれが仕事なんですから、自分で工夫して考えてください」ってことかな。ズルイようだけど、完璧な提案ができるくらいなら、人に教える前に自分で劇作家になってますよ(笑)。観客は勝手だから(笑)。元子との会話が平行線なのはもっともなんだけど、それは想定内ですよね。今回はアングラではない感じだけに、もっと2人がぶつかって本音の人間性を出してほしかった。村人たちや民俗学者の描き方も添え物みたいで、「巫女の特殊性」や「村の奇習」だけが前面に出てきてるでしょう。確かに、昨年の「腰巻お仙」なんかは難解だけど、考えれば深いものが見えてくるでしょう?好き嫌いはありますが。本作は、性の道具にされた悲哀は感じるけど、そういう歴史的なことは知ってるので、設定だけではいまさら驚かない。自分の場合は、とにかくズシーンとこなかったですね。
    ある大名の姫君が書いた自伝なんか読むともっとショッキングな話を具体的に書いてます。その人の末裔に偶然出会ってその本貸したら、出版を知らなかったらしく、親戚中もう大騒ぎになって、「どうしてこの本を持ってるのか」ってしつこく聞かれた。母が戦後まもなく買って持ってたんだけど。

    >当初、傍若無人な巫女にまったく共感出来なかったけれど、よく考えてみると生まれた時から、ああいった環境で育ったならあのようになるのかと、そう感じました。犬に育てられた人間のように。
    >そんな風に考えるとあの巫女が女王のように振舞って村人を僕っていたけれど、実は村人たちに利用されてるのだから、その運命は哀れだと感じました。もっと深くエグルなら、男たちの性の処理をさせられてるのだから、体のいい娼婦でしょう?で、子供を産んだら殺される。これ以上の奴隷はないですわね。
    ですから、人間描写というよりも、もっと深い所の人間の性のようなものを感じたのです。つまりそれは人間の業のようなものだから、きゃるさんのおっしゃる女の業というよりも、むしろ、男の業を感じました。

    このくだりは大いに共感できます。そのとおりですよね。封建社会にあった「腹は借り物」と共通する考えですよね。男に都合が良い。いまの虎の門のあたりのあるお寺は将軍家の尼屋敷だったそうですが、代替わりで剃髪した側室の座敷牢同然のタコ部屋で、そばを通るとものすごい身もだえ声が外まで聞こえてたそうですね。江戸川柳にも読まれてるそうですが。「性の道具」が捨てられたときの怨念はすごかったんでしょうね。古地図を頼りに行ってみたら、そんな雰囲気がまだ残ってますね。シャーマニズムって、たとえば卑弥呼なんかも実像はどうだったのかなーと興味ありますね。「性」の部分。

    2010/01/25 05:27

    きゃる>
    ムックは今回、登場が少なかったですよね。欲張りタイプってww・・ワタクシでも言えない単語を。しばかれるからっ(笑)・・・ってか、呪われる!ムックに。そんでもって、追い討ちをかけるように「感動がイマイチ」って・・そのうち背後から刺されますぜっ。笑
    ムックって唐組の出身でしたか。確かに雰囲気は唐でした。しかし、ワタクシは前回観た唐の公演よりこっちの方が好みでした。

    >でも、強烈な設定だけではなく、男のエゴの中での女の業みたいな悲哀がもっと描かれないと私には不満だった。

    う~ん・・、難しい注文ですね。もしワタクシが脚本家だったなら、その注文には苦悩しますよ。そしたら、その悲哀をどんなふうに描いた方がいいのかもアドバイスして頂きますと、ムックも喜ぶかも。したら刺されないですむ。苦笑!

    >似たテーマでそういう秀作がほかにあるだけにね。人間描写があまりにもお粗末な気がして。

    確かに似たテーマの芝居はありますが、ってか、唐の公演ですか?
    唐以外の芝居でも、あのような世界感でした。ワタクシが観た限りでは。
    それでも今回の芝居は妖しい演出といい(なんだか地獄とこの世の狭間みたいな空気感)、巫女役のキャラクターといい、ワタクシにとっては充分楽しめた芝居でした。当初、傍若無人な巫女にまったく共感出来なかったけれど、よく考えてみると生まれた時から、ああいった環境で育ったならあのようになるのかと、そう感じました。犬に育てられた人間のように。

    そんな風に考えるとあの巫女が女王のように振舞って村人を僕っていたけれど、実は村人たちに利用されてるのだから、その運命は哀れだと感じました。もっと深くエグルなら、男たちの性の処理をさせられてるのだから、体のいい娼婦でしょう?で、子供を産んだら殺される。これ以上の奴隷はないですわね。
    ですから、人間描写というよりも、もっと深い所の人間の性のようなものを感じたのです。つまりそれは人間の業のようなものだから、きゃるさんのおっしゃる女の業というよりも、むしろ、男の業を感じました。


    2010/01/25 02:00

    みささま

    カラオケ劇というのが言いえて妙ですね(笑)。赤澤ムックさんは女優でもあり、自分が目立つシーンをしっかり確保するのよね(笑)。こういう欲張りタイプの主宰はえてして作品的に感動がイマイチってケースが多いけどなー。赤澤さんはやはり唐組の出身だから、ドロドロっぽいの好きね。このままでもわざわざ音楽劇とうたうまでもなかった気がするの。確かにこういう人柱的風習は日本各地にあったし、アジアにも多かったと思う。アニミズムというか。でも、強烈な設定だけではなく、男のエゴの中での女の業みたいな悲哀がもっと描かれないと私には不満だった。似たテーマでそういう秀作がほかにあるだけにね。人間描写があまりにもお粗末な気がして。板垣さんの役、かわいそうなのにふだんのコミカルな役どころを思い出して笑いそうになった(笑)。

    2010/01/24 21:02

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