十二人の怒れる男たち 公演情報 俳優座劇場「十二人の怒れる男たち」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    濃厚で味わい深い
    1954年にアメリカのテレビドラマとして書かれた作品。原作者のレジナルドローズ自身の陪審員としての実体験を元に描かれたお話。日本でも陪審員制度が施行されてから、間もないからとても考え深かった。こうして12人の考え一つで一人の少年の生死が決められるというのは陪審員自体も苦悩だと感じた。

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    舞台としては初見。だから他の舞台と比較しようも無いのだけれど、実に満足した舞台だった。元々、こういった心理作戦みたいな物語は好みだ。だから、陪審員8号の松橋が発言するたびに、なんだかニヤついてしまってワクワクしちゃったのだった。

    ことの筋は、スラムで育った少年が父親を殺した罪についての陪審。実のところ少年が父親を殺したという確信はなかったが、二人の目撃証言と、少年が育った環境、たまたまおもちゃ屋で少年が購入したナイフが父親の胸に刺さっていたという事実から、陪審員の12人のうち11人が有罪と主張する。しかしたった一人の陪審員が無罪を主張したことがきっかけとなって、「少年が殺したのを観た」と証言した二人の目撃者の信憑性を追求し話し合うことになる。

    無罪を主張した陪審員8号は「簡単に一人の少年を死に追いやる事はできない。もし間違っていたらどうするんです?」と説得する。ここで8号は次々と辻褄が合わない事項を説明していくが、こうした場面でも実に幼稚にだだをコネながら有罪確定を念頭に好演してたのが10号の外山だ。彼を何度か他の舞台で観ているがこういった役が良く似合うキャラクターだ。笑
    8号は周囲の愚弄にむかって一人で立ち向かっていく訳だが、コマは少しずつ変わっていく。8号の解説に共感した陪審員たちが一人、ふたりと「有罪」から「無罪」に変えていくのだった。

    老人の証言とL電車の証言の矛盾を秒単位で示した8号の説明によって、無罪を主張する陪審員が増えて、有罪を主張する陪審員が減ってくると、8号に対して「そんな針の穴を突付く様に正確でなくても」と喚きながら理屈をこねる陪審員に対して8号は「そのくらい正確でなきゃいけない。一人の人間を電気椅子に送り込むのだから・・。」とセリフる。
    事実というのは、その出所の人間の個性によって色が付く。といわれているが、本当にそうだと思う。

    「判決によって得るものも失うものもない。だからこそ私情を交えるものではない。偏見を取り除くというのは実に困難で、偏見によって真実がぼやけてしまう。陪審は確信がなければ人を有罪とすることは出来ない。」と最後まで有罪を主張していた陪審員3号を説得し、これによって3号は無罪に変えるも、3号が自分の実の息子と、この事件の少年とを重ねあわせながらの心の葛藤は実に見事だったと思う。観客の何人かは、「いつまで一人で有罪を主張してんだよ!」なんつって感じたと思うが、こういった苦悩は理解できる。「被告はあなたの息子じゃない。他人の子です。生かしてやりなさい。」と放つ陪審員の言葉が重い。

    一人一人のキャラクターは12人の個性が出ていて良かったと思う。世の中の雑多な人たちがここに集結したような感じだった。それにしても、なぜ、女性が居ないのだろうか?作者は女性を入れるのを忘れたのだろうか?
    こんな芝居を観るとやっぱ、陪審員には選ばれたくないと切実に思う。もし自分が関わった事件で被告が死刑宣告を受けたなら、夜も眠れなくなるからだ。


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    2010/01/13 18:09

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