友情-Friendship-秋桜のバラード 公演情報 友情-Friendship-秋桜のバラード」上演実行委員会 「友情-Friendship-秋桜のバラード」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    とにかく泣かされた
    観劇生活始まって以来の号泣でした。あんなに泣けたのは本当に久しぶりだったのではないかなー。鼻水まで出ちゃって鼻かみながら泣いてました。泣きすぎると頭と目が痛くなる。(苦笑!)
    他人の子供にふりまわされる教師という仕事、辛いよな。と思う。生徒との我慢比べみたいなもんだよね。相手がそれを意識していない我慢比べ。時には独り相撲になって酷く疲れる。だけれど、いつどういう形になるかは解らないけれど努力は必ず実を結ぶと思う。だからここでの教師も誠意と熱意を忘れずに生徒達に接し続ける。その接し方にも涙する。

    素晴らしい舞台でした。お勧め!

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    コスモスの花が咲き乱れる北海道から、島崎あゆみは白血病治療のため転校してきた。転校生って別の惑星から来た孤独な生き物に見える時があるよね?当初のあゆみもそんな感じ。あゆみが最初に出会った級友の森山信一はちょっと荒くれ者でクラスでは厄介者だったがクラスメイトの中には子分のように使われてる輩も居たりする。母親が日本人で父親を韓国人にもつ信一はかつて差別された経験もあることから、喧嘩に強くならなきゃいけないという意識のもと、こうやって生きてきたのだった。

    一方でみんなからネクラだという理由でハブられてる鈴木さちこは義父から性的虐待を執拗に受けてリストカットによる自殺未遂をした経緯を持つ。

    14歳という感受性豊かな、だけれど大人になりきれない不安定な彼らは個人のそういった誰にも言えない秘密を解ろうともせずにどこかでせめぎ合い、どこかで摩擦を起こし、どこかに歪みを生じながら、他人と深く関わることを避けながら過ごしていた。

    そんなある日、あゆみと口論になった信一は脅かすつもりであゆみにナイフを向けるも、ひるむことなく言い放つあゆみ、「刺せば。死ぬことなんて怖くない。どうせ私はあと1年か2年で死ぬんだから!」その言葉に動揺する信一とクラスメイト。聞けば、あゆみは白血病のために治療中で余命幾ばくもなかったのだと知る。

    そんな中、同級生達は真剣に生きるとは何か、死ぬとは何か、自分たちはあゆみのために何をすればいいのか、そうしてどこに向かって転がって行けばいいのか・・・。こう悩むことで彼らは少しずつ大人になっていく。

    一方で入院して学校に戻れなくなったあゆみの頭髪は薬の副作用で抜け落ちてしまう。みっともなくて恥ずかしい、と言いながら見舞いに来た友人達と会うのを拒むあゆみ。遅れて訪ねてきた信一はあゆみの頭を見て唖然とする。

    いつでも傲慢で気楽なものだった彼らがあゆみのために考え出した結果は・・。

    中学最後の夏休み、あゆみを励まそうと三浦三崎への旅行を計画したクラスメイトにこんな頭だから行きたくないと言い張るあゆみを説得して連れていく。参加はしたものの、あゆみは頭が気になり、打ち解ける事ができない。そんなあゆみを見た信一は、クラスメイトを集め床屋へ出かける。そうして全員がバッサリと髪を剃って丸坊主になって帰ってきたのだった。「これでみんな同じだよ。お前の髪が生えるまで俺達ずっとこのままでいような、って決めた。」この瞬間から本当の「友情」が生まれる。

    いっしょ。いっしょ。みんないっしょ。(ダンスシーン)

    その夜、信一と二人っきりになったあゆみは14歳の淡い恋を語る。そして流れ星に願いをかけるのだった。「生きたい」大人になるまで生きたいと…。

    それでも中学生のあゆみは限られた命の重みに耐えられなくなる時がある。恐怖で胸が張り裂けそうだ。だが健気にも両親にはそんな思いは言えない。そして、先生にすがり付いて泣き叫ぶあゆみ。ただただ苦しみから発せられる切り裂くような叫びだ。断末魔のような・・・、「先生ー、わーーーー!!!っと叫びたいくらい恐い。」

    やがて、あゆみは亡くなってしまうが思い出の中のあゆみはいつまでも楽しそうに笑っていた。はら・・・、と舞い落ちるコスモスの花びらが淋しくもあり楽しそうでもあった。


    舞台のセットは勿論のこと、導入音楽、演出、マッチ売りの少女を聞かせるシーン、全てに欠点のない舞台でした。中学生役のキャストがひじょうに素晴らしい。大人役のキャストなんか目じゃないくらい素敵だ。全員が本当に髪を剃って体当たりの演技だった。その熱意にも泣けた。さちこが自分の過去を告白したシーンにも号泣した。事実を知ったクラスメイトは「さちこは悪くない。今までごめんね。私たちはさちこに何をしてあげられる?」
    するとさちこは「何もしてくれなくていいよ。私の話を聞いてくれればそれでいい。そして、ずっと友達でいてくれたら、私は嬉しい。」

    オープニングも終盤のダンスも素敵だった。今回の舞台は知らない誰かに熱い手でぎゅっと心臓を掴まれ、そしてその熱い手から温度が溶け出して満たされるような感覚があった。たぶん、この芝居は今年のこりっちアワード10に入るような気がする。それ程の舞台だった。

    だから、観劇が好きで止められない。だけれどこの観劇中毒はいつもワタクシの心を幸せに満たしてくれるのだ。


    6

    2010/01/11 16:33

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  • きゃる>
    >この俳優はどんな動きをするかなーとか思ってしまう。

    きっときゃるさんの場合、目が演出家なんでしょうね。私も青年団は好きです。唐十郎の芝居も好きですが、終わり方に理解できない場面があると、なんで?が頭の中で膨らんですっきりしないんです。前作はきゃるさんに教えて頂いて、すっきりしましたが、そうでなかったら、いつまでもモヤモヤしてて、それがストレスになってしまう。笑
    観劇して、モヤモヤの残る舞台は基本的に敬遠します。後までヒいてすっきり出来ない。

    >あまりにもヘンテコな人がいっぱい出てきていかにも芝居めいてるんだけど、ヘンテコすぎて、細かいことはどうでもよくなっちゃうというか、わけわかんなくなって、浸るしかなくなっちゃうというか(笑)。

    ペニノもへんてこな人がいっぱい出てきます。ってか変態!笑
    ペニノも独特です。医者なのに変態。笑
    しかも精神医なのに。
    頭の良すぎる人は物の見方が違うんでしょか?(ペニノがここを見ませんように!)

    >私はみささまのような純粋にお芝居の世界にドップリ浸れるかたこそ、真の芝居通なんだと思い、尊敬します。

    畏れ入ります。(↑ペニノ、見るように。)

    >もっとも、「お社の先生」と言われる演劇評論家のほとんどは、芝居を裏から観てますけどね。

    あ、それ、解ります。評論家は舞台前から観ろよ!って毎回、思っています。一般観客と評論家の視点がずれてる。評論家はそのことに気がつかないみたいだけど・・。


    2010/01/14 15:01

    みささま

    >芝居が身近すぎて、乗れないのでしょうね。羨ましい環境ではありますが。

    不幸ともいえますよね(笑)。幕があくと、多くの観客同様、「どんなお芝居だろう」とわくわくはするんですね。ただ、始まると、この俳優はどんな動きをするかなーとか思ってしまう。そういう点からも比較的浸かりやすいのは私の場合、青年団と唐十郎の芝居でしょうか。前者はナチュラルで作為的な感じが少ないから芝居ということを意識しなくてすむし、後者は特殊な設定の中、あまりにもヘンテコな人がいっぱい出てきていかにも芝居めいてるんだけど、ヘンテコすぎて、細かいことはどうでもよくなっちゃうというか、わけわかんなくなって、浸るしかなくなっちゃうというか(笑)。平田さんと唐さんに感謝すべきですね(笑)。
    私はみささまのような純粋にお芝居の世界にドップリ浸れるかたこそ、真の芝居通なんだと思い、尊敬します。芝居の世界では昔からよく「芝居を裏から知った人は不幸」って言いますものね。
    私は、母にも、先輩にも言われました。芝居は表から観るものだって。もっとも、「お社の先生」と言われる演劇評論家のほとんどは、芝居を裏から観てますけどね。

    >なんだか、そうなるとやっぱ、損した気分になりますね。客入りのためにワザと公表しなかったのでしょうか?なんか酷いですね。暴れてやりたいくらいですね。笑

    そうでしょう?良い脚本なんだから、映画公開時にもTVでやったことを隠さないでほしい。TVで観て覚えてる人や、映画観て思いだす人だっているはず。映画会社が映画のネタ元がTVの2時間ドラマってことを恥じて、観客動員を気にしたとしか思えないです。

    2010/01/14 09:56

    きゃる>
    >客観的にしか観られない。そばでだれかが泣くと、客のほうに意識が行ってしまいます(笑)。

    そうでしたか・・、ワタクシはどっぷり浸かってしまうのかも・・。
    確かにワタクシより先に号泣しちゃう観客が隣にいたりすると意識が行ってしまいます。この時もワタクシの今にも死にそうな号泣ぶりを見て、隣に座ったご婦人2名は、ワタクシの様子に気をとられていました。苦笑!
    高校のとき、脚本・演出や演出助手をやられたのですね。素晴らしいです。ワタクシは楽して人様のを観るばかり。今でも、その性根は変わっていません。笑

    >よけいに「お芝居は俳優のお仕事」という日常感覚ができてしまった。

    芝居が身近すぎて、乗れないのでしょうね。羨ましい環境ではありますが。

    >明日もあさっても、彼らは生き返ってまた同じことを舞台の上でやってみせるんです」

    面白い言い方ですね。笑った!(^0^)

    >夜9時からの2時間のスペシャルドラマ枠だったんですよ。つまり1回こっきり。

    なんだか、そうなるとやっぱ、損した気分になりますね。客入りのためにワザと公表しなかったのでしょうか?なんか酷いですね。暴れてやりたいくらいですね。笑

    2010/01/14 02:33

    みささま

    >えっ!(・・!) マジですか?それって泣ける芝居を観てないってことなんでしょうか?映画では泣けるんですものね。

    泣ける芝居に出会っていないというより、映画だと、たとえ虚構でも、自分は完全部外者って感じでジワーッとその世界に入れるんですが、芝居は生のせいか、「俳優がお芝居をしている」という意識が抜けないから、一歩引いて見ちゃうようです。客観的にしか観られない。そばでだれかが泣くと、客のほうに意識が行ってしまいます(笑)。
    子供のころから学芸会でも演じるのが苦手で、役になりきる子がいると、稽古中でも自分の芝居を忘れて「どうしてそんなに切り替えられるの?」って見つめちゃう。高校のとき、脚本・演出やって、俳優としても軽い役で出たけど、俳優はすごく負担でした。相手の芝居が気になってしかたない(笑)。演出助手をやったときも、全部の台詞を覚えてたのに、代役で舞台に立ったとき、台詞が出てこない。根かっら俳優に向いてない。だから俳優さんを尊敬しますねぇ。
    感動はしても、芝居そのものに感情移入して泣けないんですね。グッとくることは何度もあるんです。でも、それはその俳優の生き様とか、姿勢に感動できたり、スタッフワークに感動したり、そのときの自分の心情的なものとかいう次元で、お芝居の世界に自分を同化できないというか。かなり小さいときに、あるお芝居を観て、主人公の生き方に感動していいなー、って思ったんですね。で、そのお芝居は昼の部だったのですが、夜の部もあると知って、夜、もう一度、あれと同じことを劇場で演じるのかと思うと、スーッと気持ちが冷めていっちゃったんです。そのあと、劇団のお稽古場とか舞台袖をウロチョロする環境に入ったから、よけいに「お芝居は俳優のお仕事」という日常感覚ができてしまった。中、高はプロの俳優が学校の部活に指導に来たり、行事に来たりするし、大学生になってからも、町内会に舞台俳優のかたがいて、来月の芝居の話聞いたり、お茶の飲んだりしてると、やはり「仕事」ととらえてしまうんですね。
    昔、「湯葉」という浜木綿子の芝居があって、その中でヒロインの浜が生まれて初めて芝居を観て帰ってくる場面があり、連れの男性に「あの人たち、本当にあのまま心中してしまったんじゃないんですか?」と質問し、男性が「違いますよ。あれは俳優が演じてるんです。明日もあさっても、彼らは生き返ってまた同じことを舞台の上でやってみせるんです」と答え、「まあ、そうなんですか。わたし、本当に死んでしまったのかと思ってかわいそうで泣いてしまいました」と浜が言うんです。面白い台詞だなーと思って聞いてましたが、「本当に思って泣いてしまった」というのに近い感覚が私には持てなくて、この男性に近い感覚で観てるんでしょうね。映画はフィルムなので、同じ虚構でもまた自分の感覚が違うようです。
    芝居だと、人形劇のほうが感情移入できますね。人形劇で泣いたことはあります。歌舞伎より文楽のほうが感動できるという人がいるのも何となくわかる。私の曾祖母がそうでしたが。

    >TVドラマは毎週一回放送するドラマだったのですか?

    夜9時からの2時間のスペシャルドラマ枠だったんですよ。つまり1回こっきり。だから台詞も山場もほとんど映画と同じでした。主役の橋爪功、吉行和子も同じ。連続ドラマなら原案が同一なら映画化のときプレスリリースにもそのことに触れないわけにはいかなかったと思うんです。TVドラマのほうを観た当時、視聴率の統計を職場でとってたのですが、そのドラマ、10%前後で低かったんです。誰も覚えてないと思ったのかなー(笑)。もしかしたらまったく違う作品かも、と期待して映画館に行ったので、ガッカリしました。あそこまで同じならTVも布施さんの脚本だと思います。で、ないと、映画公開時に話題になったから、シナリオライターから訴えられちゃう。それならTVで放送したことを隠さず、公表してほしかったなー。良いシナリオなのだから、TVが先でもかまわないと思うのですが。映画界の事情があるんですかねぇ。

    2010/01/13 13:04

    きゃる>
    >みささまは、ときどき、「泣いてしまった」と書いていらっしゃいますよね。本当にお芝居が好きで、感受性が豊かなかたなんでしょうね。

    良く泣くし、良く笑います。基本ウルサイのかも。(失笑!)
    お芝居好きな人って、みんな感受性豊かだと思っています。男性でも感動の場面でついつい涙してしまう人は好きです。

    >私は映画ではよく泣くけど、お芝居で泣くことはほとんどないですね。名優の舞台も数々観てるはずなのに、感心はするんだけど、虚構を離れて泣けた作品っていまだ記憶にないんですよ。

    えっ!(・・!) マジですか?それって泣ける芝居を観てないってことなんでしょうか?映画では泣けるんですものね。

    >布施さんは最近TVより舞台の脚本書いてるみたいですね。「友情 Friendship」という映画の脚本も書いてるけど、同じ内容なのかしら。TVのヒットメーカーだったけど、もともと演劇科出身だから。

    たぶん、映画と同じ内容なんだと思います。この舞台は初めて観ましたが、何度も再演してるようですし。骨髄バンクの宣伝も兼ね、売店の売上の半分を寄付してるんだそうです。

    >布施さんは「お日柄もよくご愁傷様」という映画の代表作があるけど、実は映画公開の数年前、まったく同じ内容のTVドラマを観たことがあったので、映画も観にいったら、配役もTVと一部同じで、ストーリーと台詞もほぼ同じだったんですよ。

    TVドラマは毎週一回放送するドラマだったのですか?だとしたら映画は2時間ものでしょうから、ドラマと別の括りになるんでしょうか?脚本も2時間ものに書き換えるんでしょうから。


    >映画館で正味50分弱のTVドラマを見せられるって何か損した気分でした。ちゃんと都内の映画館でロードショーだったのに。

    あははh--(^0^)
    確かに料金払ってTVドラマはないですね。これはもう笑うほかないですな、奥さん!(^0^)


    2010/01/13 01:14

    みささま

    >観劇生活始まって以来の号泣でした。あんなに泣けたのは本当に久しぶりだったのではないかなー。鼻水まで出ちゃって鼻かみながら泣いてました。泣きすぎると頭と目が痛くなる。(苦笑!)

    号泣できるって素晴らしい作品だったんでしょうね。
    みささまは、ときどき、「泣いてしまった」と書いていらっしゃいますよね。本当にお芝居が好きで、感受性が豊かなかたなんでしょうね。
    私は映画ではよく泣くけど、お芝居で泣くことはほとんどないですね。名優の舞台も数々観てるはずなのに、感心はするんだけど、虚構を離れて泣けた作品っていまだ記憶にないんですよ。

    布施さんは最近TVより舞台の脚本書いてるみたいですね。「友情 Friendship」という映画の脚本も書いてるけど、同じ内容なのかしら。TVのヒットメーカーだったけど、もともと演劇科出身だから。
    布施さんは「お日柄もよくご愁傷様」という映画の代表作があるけど、実は映画公開の数年前、まったく同じ内容のTVドラマを観たことがあったので、映画も観にいったら、配役もTVと一部同じで、ストーリーと台詞もほぼ同じだったんですよ。でも、当時のプレスリリースにもTVドラマのことはまったく触れておらず、構想○年の書下ろし作品ってなっていたんです。Wikiにも載ってない。当時はTVドラマが映画になることはあまりなく、(その逆はあっても)まずいと思ったのかなー。でも、たぶんTVの脚本も布施さんだったと思うんだけど。すごく面白かったので覚えていたわけで、いまでもとても気になっています。スッキリしたい(笑)。
    昔、原田知世の「早春物語」を映画館に観にいったら、なぜかもうすでに少なくなっていた2本立てでもう1本が薬師丸ひろ子と三田佳子のTBS東芝日曜劇場のTVドラマそのものを放映していて、こちらはさすがにクレジットが出ましたが、映画館で正味50分弱のTVドラマを見せられるって何か損した気分でした。ちゃんと都内の映画館でロードショーだったのに。

    2010/01/12 17:04

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