手話裁判劇『テロ』 公演情報 神戸アートビレッジセンター「手話裁判劇『テロ』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    耳の聞こえない役者が手話、聞こえる役者が声で同時に台詞を言う。舞台上に表示されている字幕は、最初の数分間は気になったが、すぐ気にならなくなった。むしろ、役者の滑舌が悪くても何言ってるのかわかるので都合がよい。役者にとっては台詞が飛んだらカンニングできる一方、トチったら公開処刑という恐ろしいアイテムである。
    まず、取り組み、着想は本当に素晴らしい。しかし、プロトタイプだなというのが率直な感想である。
    手話の表現力は素晴らしいが、それだけでは演技ではない。台詞をただ読むだけでは演技ではないのと同じ。それだけに、宮川サキや赤鬼の田川徳子といった、関西の演劇界ではそれなりに名の知れた実力のある俳優を活かしきれていない演出をもどかしく感じた。手話者が中心で、発語の役者がただのアテレコ担当なら、それが役者である必要も、舞台にいる必要もない。
    発語と手話の二人一役という演出方針も面白いけれど、この設定も活かしきれていない。後半では手話通訳?を演じる役者まで出てきていよいよ混乱する。ここだけ通訳という設定にした演出意図もよく分からなかった。
    なにより、手話に合わせているせいか、声の演技が不自然すぎた。台詞を忘れたのかと思うほど不自然な間が空いたり、逆に異様な早口になったり。
    そもそも、台詞に無駄な間が多すぎる。特に被告人。感情を込めろと言うと無駄に間を開けるのは経験の浅い役者に多いが、間を取ればいい芝居になるってものではない。被告人の声を当てた石原は、見ていて気の毒なほどやりにくそうだった。
    手話だから仕方ないのかと思ったが、検察官役の宮川・森川はきちんと耳で聞いても違和感のない会話になっていた。声と手話の長さが違うなら、映画の字幕と同様、同じ長さに収めるよう調整するしかないと思うのだが。手話だけを見ている客には良いのかもしれないが、聞こえる客にとっては不自然でイライラする間であった。
    全盲の役者(関場)がいて、芝居全体のナビゲーターのように機能していた。最初、役者にしては立ち姿がだらしないなと思ったのだが、パンフレットには子供の頃から全盲だとあった。ただ、この関場については意図が掴めない演出が多かった。あれは撃墜されて死んだ死者の亡霊か、はたまた法廷に住む魔物か?とも思ったが結局は被害者遺族というオチ。とても良い声をしていたが、ここにもまた無駄な間が多かったのはもったいない。これは手話関係ないか。
    そして最後に被告人と被害者遺族を演じた役者どうしが抱き合う演出はややあざとく感じた。私の心が捻くれているせいかもしれないが。人はそんな簡単に他人を許せはしないぞう。

    しかし、いわゆる福祉的演劇でなかったことは評価できる。ストーリーに無理矢理、障害者の権利云々を入れ込んできたら途中で席を蹴って退席するところだった。
    カーテンコールの音楽が鳴って初めて音楽が一切無かったことに気付いた。しかし、違和感はなかった。舞台に音楽が不可欠というのは、健常者の勝手な思い込みなのかもしれない。

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    2022/11/04 21:23

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