海ノ底カラ星ヲ見上ゲヨ 公演情報 おぼんろ「海ノ底カラ星ヲ見上ゲヨ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★

    着想は優れているのに活かせていない勿体無さ
    タイトルにも書いたとおり、浦島太郎の物語に死神を登場させ、乙姫と太郎の悲恋、
    死神の孤独を描こうというアイデアは非常に美しく優れているし、過去と現在、妄想と現実、海の底と陸の上を錯綜させていく手法は面白いと思う。しかし、「親から愛されなかった医者」や「自殺願望を持つ女子高生」、「怪物化した母親」など、あまりに多くの要素が詰め込まれすぎた状態での「錯綜」であったため、観客としては、次から次に与えられる情報の中から、物語の本筋に必要なものを選別するのに追われているうちに、とうとう登場人物への感情移入もかなわず、どのエピソードも堪能できずに終わってしまった(プロローグであれだけフィーチャーされていた死神についてもちゃんと物語が締めくくられていなかったのが何より残念)というのが正直な感想だ。聞けば、学生演劇ではなくプロ志向の社会人集団とのこと。であれば、役者のレベルの格差も含め、チケットを売ってお金を受け取るという形式でこの完成度というのは、胸を張れる状況ではないかもしれない。前作「鬼桃伝」の際にも同様のことを述べさせて頂いたと記憶しているが・・・。

    ネタバレBOX

    どんな作品でも、観客に間違いなく伝わるようにくっきりと色分けして表現しなければ、作品そのものの価値がまったく損なわれてしまう重要なファクターがあると思う。必要な情報と、必ずしもそうでない情報を選り分けるのは観客ではなく作り手の義務であろうし、コメディやミュージカル、今回の「錯綜」などの「演出」や「劇団のカラー」等以前の問題ではないだろうか。
    この作品で言えば、①死神が胸につけた百合が、初めて出逢った時に少女からもらったものであること②海の底の住人が全て死体であること、この2点の表現がもっと明確であったなら、自らの声と引き換えにしてでも少女を側においておきたかった死神の孤独と、結果的に自らの手で怪物化させてしまった少女に恨まれるという絶望的な哀しさ、幸せを夢見て海の底へついてきたのに、実際には「民」とは名ばかりの死体(しかも彼らは乙姫を憎んで襲い掛かってくる)に囲まれたおぞましい生活から抜け出せない乙姫の怒りと絶望と、永遠に死ねない恐怖(亀のミケランジェロの笑顔に隠された強さと優しさ、後半の「恋バナはミケランジェロにしかしない!」のセリフの哀しさがどれだけ際立ったものになったことか)、つまりこの物語の持つ美しい悲劇性が、はっきりと観客に伝わっていたのでは?その上で、太郎との悲恋が描かれたのであれば、観客は思う存分これらの登場人物に感情移入ができたであろうし、後半の「錯綜」部分においても軸がぶれることなくストーリーが完結したのではないだろうか。前作の時にも感じたことだが、脚本の末原氏の、もとからある民話をモチーフに物語を作り出すアイデア自体には光るものを感じるのだが、同時に「やりたいこと」が多すぎるうえに登場人物も多すぎてけっきょく全てが埋没し、かつストーリーの構成そのものも散漫になってしまうという傾向が顕著で、あまりにも勿体無いと思うのだ。母親の怪物化(龍の子太郎へのオマージュだろうか)や、トラウマを持つ老人ホーム勤務の医師は確かにモチーフとして面白いが、それはまた別の作品で取り上げれば良いのではないか?ラストの、自殺願望を持つ女子高生の背後に佇む死神の構図も確かに秀逸で、彼女の今後の運命を示唆するかのようなラストには含みもあるけれど、これもまた、孤独な死神と死にたい少女の物語として、一本の作品として独立させれば良かったのではないか?まだまだ若手の集団のようだし、せっかくの優れたアイデアをひとつの作品にてんこ盛りにしてしまわず、ぜひひとつひとつ大切な主題として扱って多くの良い作品を生み出してほしいと思うのだ。結局のところ、2時間前後、しかも演劇というライブな状況において、観客が受け取れる情報には限界があるのだということを念頭に置くべきだろう。
    以上、私見を長々と述べさせていただきましたが、参考にしていただけることがあれば幸いです。応援していますので、頑張って下さい。

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    2009/12/28 16:39

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  • しんのすけさん

    劇団員の正宗史子です。
    このたびは、ご来場とコメントどうもありがとうございます。
    役者のレベルに関するご指摘は、正直大変胸に刺さるように感じられました。
    私たちは、お客様からチケットの料金をいただいて劇場の舞台に立って作品を上演する以上、
    その代金を頂くことを許されるような事をする(というよりは料金以上のことをする)というのは
    当然しなければならないことだと、考えていますが
    それに叶うことが必ずしも行えていなかったというのは、歯がゆく、すぐには認めにくいことのようにも思われてしまいます。
    けれど、もっとお客様にとって魅力のある作品を上演したいですし、価値のある作品を上演したいですし、そうであればそんなことをいう暇はありません。
    ホームであろうとアウェイであろうと、しっかりと勉強して成長した上で、
    しんのすけさんや他のお客様の前に立たなければならないと思います。
    明確なご意見、いたみいります。
    ご来場ありがとうございました!!

    2009/12/31 00:19

    ご来場、そして丁寧なコメント、ありがとうございます。
    主宰の末原拓馬です。

    参考になります。自分専用の参考書を頂いたような気持ちです。
    鬼桃伝のときに頂いたコメントも大変嬉しく、反省を踏まえて今回の作品に取り掛かり、さらに推敲も重ねたのですが、やはり自分で書いて自分で見直して、だと的確な情報量もわからなくなってしまいました。
    初日が開いて観客のリアクションをみて初めて、「あ、ここ、わかりにくいんだ」と判明し、千秋楽までアレコレいじくりまわすことになってしまった今公演でした。
    “わからなくていい部分”と“絶対にわからなくてはならない部分”、確かにこっちでしっかりと区分けして発しなければならないですね。そこが、今回の敗因のかなり大きな部分を占めていたように思います。正直に申し上げますと、最初は「なんでわかってくれないんだ」というような観客に対してとても傲慢な気持ちもすこしはあったように思います。わからなさで自分たちの格を上げようともしたのかも知れないです。
    “盛り込みすぎ”はよく指摘いただく欠点で、今回も気をつけては見たのですが、どこがムダでどこが必要か、よくわからなくなってしまっていました。
    しんのすけさんに具体的に書いて頂いて、ようやく理解できた気持ちです。考えてみたのですが、どうもエピソードをたくさん書いてしまうのはシンプルな物語に自信がない故の武装のような気がします。リアリティの強い演劇がたくさん上演されている中で今回のような作品を創るときに、“ファンタジー”と簡単にカテゴライズされたくない、というツンケンした気持ちが僕らにはすこしあります。そこで、どうにもムダを足して背伸びしてしまう、大人びようとしてしまう、そういう現象なのかも知れません。これじゃダメだ・・・・意味がないです。
    すいません、なんだか自己分析してみてしまいました。

    ただ、おかげでやることが明確になった気がします。
    つぎは、一本軸でとりあえずひとつ、強固な物語を書いてみようと思います。

    書いてくださったとおり、おぼんろは現在、学生劇団からの逸脱を果たしたくもがいている状態です。決して楽なものだとは思っていませんでしたが、その想定よりもずっと厳しい現実に気づき始めています。お金をもらってものを観せるというこのシビアさに、もっともっと向き合っていこうと思います。

    応援の言葉をいただけて、心から嬉しく思います。
    必死で必死で学んでいこうと思います。
    どうか今後とも、よろしくお願いします!

    2009/12/30 09:42

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