舞踏 天狗藝術論 公演情報 大駱駝艦「舞踏 天狗藝術論」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    江戸時代初期の禅僧・沢庵宗彭(たくあんそうほう)が柳生宗矩に宛てた手紙、『不動智神妙録』には“剣禅一如”が説かれている。人殺しの技術論が思想に至る“武士道”への転換点。殺しの技術と禅の目指す仏の道を同一と論じた。田村一行氏は「水上の箶蘆子(ひさご)のごとく」の一節に衝撃を受ける。
    同様に江戸時代中期の戯作者・佚斎樗山(いっさいちょざん)が記した『天狗藝術論』、今作はそれをモチーフに創作。
    『不動智神妙録』には「稽古は四季のように巡る」と書かれている。螺旋のようにループしながら少しずつ先へと歩を進めていくのか。

    「空っぽになり、外側に目を向ける」
    「自分は外側のもので作られていて、外側に実態がある」
    「自我ほどつまらないものはない」
    「動くんじゃなくて動かされるんだ」
    「いかに空っぽになって動かされるか」

    例えるならタイムスリップした先が古代日本の山奥の集落。篝火に照らし出されたこの宗教的祝祭を、夜風に吹かれ大木の陰から怯えながら覗き見てガクガク震え上がっているような興奮。
    凄くいろんなことについて考えさせられた一時間余り。白塗りの彼等は愛すべき白猫を思わせる。
    これを観れる歓び。

    松田篤史氏は肩などに入墨があるので判別し易い。谷口舞さんの呆けた笑顔。
    夢を見ていた男は小田直哉氏か?痙攣ダンスは観ているだけでどっと疲れる。自分は整体に通っているので鋳態(出演)の方達の身体が心配になった。相当な酷使。

    ネタバレBOX

    美しい竹林、ポカンと宙空を見上げる人々。侍が刀を振り上げて人々を連れ去る。首を掴まれた子猫のように連れて行かれる面々。一人だけ言いなりにならない男がいて、侍はそいつを気に入って刀を振らせてやる。

    修行が始まる。禅で云うところの魔境を表現しているような。魔境とは、禅の修行中に神仏と一体化したような陶酔感を得て、自我の肥大により悟りを錯覚した状態。麻原彰晃なんかのイメージ。煩悩を打ち払い打ち払い魔境に到り更に打ち払い打ち払い。ビートたけしの痙攣ダンス。ゾンビが踊るEXILE。『少林寺』のような光景。宙空からの縄を掴んでブランコのように回転する侍。
    兎に角退屈をさせない工夫に満ちている。常に何かをしていなければ。常に何かを表現していなければ。安っぽい世俗との結託が逆に力となる。

    盥で水浴びをする女達を竹林から覗き見る男共。
    女達が赤子のように抱きかかえる金の玉、胡蘆子(コロシ)=瓢箪。生々しいエロスの表現、悦楽。
    情欲の煩悩を乗り越えた男達は自分達の境地に高笑い。もう胡蘆子には何の価値もない。
    そこに現れる天狗、皆怯えて逃げ去る。一人逃げなかった侍は天狗の面を剝ぎ取ってみせる。正体は剣術に明け暮れていたあの男だった。
    逆に背後から無数の天狗が湧いてきて男は慄く。
    クライマックスの曲がTHE MAD CAPSULE MARKETSの『TRIBE』のイントロっぽくてカッコイイ。

    ふと気付くと全ては男の見ていた夢であった。金屏風に描かれた竹林。
    すると皆がポカンと宙空を見上げる。天狗が現れた。冒頭に繋がるループする世界。

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    2022/10/22 17:59

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