オルガ・トカルチュクの『宝物』 公演情報 シアターX(カイ)「オルガ・トカルチュクの『宝物』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    ポーランドとの所縁を温めるシアターX独自の上演企画。
    ノーベル文学賞受賞(2018年)の女性作家オルガ・トカルチュクの作品との事だが、アフターミーティング(シアターX主催公演では上演後会場との交流を行なう)で知った所では、この作品はかつて発表した小説(連作短編の一つらしい)ではあるが、本国で近年これをTVドラマ化するために脚本化したものをプロデューサー上田美佐子が入手、伊在住の井田邦明が演出した。
    戦後間もないポーランドのある地方の一家の日常。が、主人公の娘クリシャが夢の中で自分に呼びかける男を探して旅に出る・・。占領から解放された人々の貧しさと酷薄な現実をベースに、寓話性を粉末でまぶした味わいがあり、短編小説らしさがある。ストーリー自体よりも、人々の生活風景と心象風景に、何か惹かれるものがあった。
    美術が簡素ながら作品世界を過不足なく満たし、ピアノの生演奏は場面を象徴するクラシック曲を印象的に提示して、作品にマッチしていた。

    ネタバレBOX

    余談。ポーランドと言えば・・と自分との接点を探してみると、まず何と言っても映画。まず名作と言われるアンジェイ・ワイダ初期、抵抗三部作の一つ「地下水道」(モノクロ)は鉄板として、リアルタイムで観た「悪霊」に心酔。当時若手だったクシシュトフ・キエシロフスキの「殺人に関する短いフィルム」「トリコロール」三部作のどれか一つを公開当時に。そしてロマン・ポランスキー。本国で撮った「水の中のナイフ」「袋小路」等は割と最近になって観たが、わが映画鑑賞史的には「チャイナタウン」が断トツ。古い名作「尼僧ヨアンナ」は名のみで鑑賞の機会がない。小説では勅使川原三郎を通してブルーノ・シュルツを知った程度であった。私の中で大きかったのはある論考で、地勢的に大国の干渉や占領時代を経験したポーランドは朝鮮半島と共通するものがあり、底辺から物を見つめる目線が人間社会の本質の理解に影響し、それらは芸術作品に反映している、といった趣旨が記されていた。私のポーランド観のベースになった。
    境遇が人格や思想を規定する、という事であるが、今ふと思い出したのは沖縄辺野古の座込み運動を揶揄した某氏(これはひどいというしかないが某氏の信奉者は意外に多いようで)。氏の言動には「下から見る目線」というものが全くない事に思い当たる。結果、偏狭と言うしかない思考の中で、論拠と言えるものは突き詰めれば「好き嫌い」しかない、という状態に無自覚になる(主張の根拠というものは究極「好き嫌い」の次元でしかないと思うが、論者ともなればそれなりに説明できる論拠を持とうとし、それが普遍性に近づく担保となる)。正邪より好き嫌いが優位に来た場合、「議論の無意味化」をもたらし、多様な意見の衝突の場は、いつしか同一意見を確認する場(少数意見の持主は少数派である事を忌避して沈黙する事になる)へと変質して行く。これはファシズムそのもので、日本はその完成形まで折り返し地点を超えたと私は思ってるが、権利意識の減退は若い世代になるほど加速している感がある。美徳のはき違えは身体感覚に刷り込まれ、改良には彼らの人生の長さをかけるしかない(私も親と時代から受けた洗脳を脱するためには長い時間が必要だった)。従って教育を変え、次世代に託す態度が必要だが、この教育の方向性も数十年かけて「権利より義務」「公権力への絶対視」「管理主義」へ一歩ずつ漸進して来た。押し返した試しがない(新しい教科書をつくる会編纂の歴史教科書の採択運動が地方自治体で起きたりもしたが、これは科学的知見の問題で自然な流れで採用例希少となっている)。
    沖縄に対する本土人の差別意識が解消される契機は、国が沖縄に手を差し伸べ態度を改めること、以外には考えにくい(自ら認識を改めるなんて事は教育の現状では起こり得ない)。
    話は飛躍しまくったが自分の中ではなぜだかさほど違和感がない。ご静読感謝。

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    2022/10/22 08:59

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