蛾とドリルに成り代わり若者なのになぜわかる?の?と思ったのです。蛾がくるくる回って死ぬ電動ドリルのガー若者・末原拓馬氏の脚本演出に自分の感情がリンクした多分 蛾もバッテリーも本人は無意識の内に生きてるでも美しく描いてくれてありがとう。欲をいえば、もうほんのちょっと大きい空間で見たかった。あとユリの花ほんもの使うの無理?byジンロの水の方
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2009/12/23 22:24
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2009/12/24 10:47
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主宰の末原拓馬です。
蛾が回るのを見ていたのは僕の実体験で、薄暗い灯りの中で、数時間ずっと見ていたのを覚えています。“死”なんてものは日常にはいくらでもあるわけで、例えば食材も、死で構成されているものですし、動物や昆虫の屍骸だっていくらでも目にする。けれど、その瞬間と言うのは、自分にとっては衝撃だったわけです。
僕はものを擬人化するクセがあって、効果がなくなる瞬間が哀しくてホッカイロを使えないタイプ人間ですし、動揺に、インパクトのバッテリーの電気を抜く作業も、なんだか涙が出そうに嫌いでした。
あと、たまに宇宙人ごっこをしてみるのですが、
例えば宇宙人から見てみれば、我ら崇高なる人間の死も、インパクトも、蛾も、現象としては同じなのだろうな、と思うのです。
だから愛も友情も意味がない?主の存続のための機能に過ぎない?
と考えてみると、異様に寂しい・・・。
生きるというのは、それ自体が本格的な孤独です。
もちろん、作品を見ていただいたらわかるかと思いますが、僕の結論はもうすこし複雑です。
ユリの花・・・
やはり気になりますか(><)
考えて見ます!ありがとうございます!
うちは、本番中は僕も舞台裏にはいってしまうためお客様からのご意見ご感想がなにより助かります。
ありがとうございました!
今後とも、ぜひぜひよろしくお願いします!