隣人の指「ほぼ全て」の人の指に触れることは無い。触れる指はかすかな人数なのだ。そしてその全部の指に触れる人数となると、絶望的に少ない。吉田小夏の描く昭和の夫婦その情景を通し、あらためてその触れられる人数の少なさを思った。あえぐような感情を覚えたのは、その寂しさと、尊さがないまぜになったからだろう。ざわついた。記憶は、過去としてパッケージされることで美化の工程を踏むことがしばしばだ。まるで夢のように、ささやかではかない。ただし、鮮明に思い出すことで、嵐のような浄化が起こる事もある。 感性に響くハイクオリティの会話劇。しかと堪能せよ。
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2009/12/10 23:10
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