桜か雪の散るか降る 公演情報 劇団身体ゲンゴロウ「桜か雪の散るか降る」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    公演は、タイトルと物語の内容を考え合わせると、和歌の見立てを意識した劇作のようだ。そう思うと 戦争が主で、合戦が従になりテーマがより鮮明に感じ 伝わった。同時に戦争と平和を描いているようだ。
    冒頭、平家物語と吾妻鏡を元にした内容である旨 説明があった。確かに場面の多くが源平・奥州藤原氏との合戦であるが、その戦(いくさ)を通して最悪の不条理を描き出そうとする。
    公演の魅力はテーマの明確さ、それを分かり易く観せようと工夫しているところ。発想の豊かさ、熱量ある演技は良かった。ただ演出が少し粗く丁寧さを欠いたのが勿体なかった。
    (上演時間2時間10分 途中休憩なし)

    ネタバレBOX

    舞台美術、基本は素舞台であるが、奥の幕が開くと社のような造作が迫り出してくる。役者は和装(一見 羽織と袴風)であるが、羽織を脱ぐと白シャツを着こんでいる。違和感があるのは、全場面で革靴を履いていること。出来れば源平・奥州藤原の場面は裸足か足袋で演じてほしかった。戦争シーンでは軍靴高らかに響かせ行進する。時代感覚の違いを表してほしいところ。

    物語は、落ち武者狩りの少年・泡盛が出会ったのは平敦盛。二人は奥州平泉の藤原氏を頼った。そこに登場する怪しい姫と藤原秀衡と泰衡親子。そして義経も という荒唐無稽な展開へ…。藤原家の存亡をかけた源氏との駆け引き、義経を利用した権謀術策、いつの間にか二人の若者も巻き込まれていく。泡盛は意気軒昂で好戦的だが、本当の戦は知らない。一方、敦盛は実戦し 何とか生き延びた辛い思いがあるため非交戦を願う。生きることも死ぬことも出来ない不器用な人物。二人を対照させることで戦争と平和という構図が浮かび上がる。泡盛は戦を通して、その恐ろし虚しさを知る。消えて無くなりたいは、負(戦)の連鎖を断ち切りたい思い。敦盛は砂金堀、金箔細工に逃げ込み傍観を決め込むが…しかし主体的に考えなければ解決しないと。

    怪しい姫は、戦で亡くなった死者を操り楽しんでいるよう。しかし、いつの間にか死者の怨嗟・怨念が聞こえなくなる。死者は恨み辛みの言葉さえ失い、姫が聞くことが出来なくなる。生きていてこそ言葉が聞こえる。それが聞ける=平和になるのはいつ?敦盛との鬼ごっこはそんな平和な時の表れであろう。

    舞台美術、時として 社は中尊寺 金色堂であり、靖国神社を思わせる。藤原氏が建立した目的は、戦いで亡くなった人々の御魂を極楽浄土に導き、奥州に平和をもたらすため。一方、靖国神社は、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊みたまを慰め、その事績を後世に伝えること。どちらも鎮魂を目的にしているようだが…。現代において二つの建造物を同一視して捉えることはないであろう。

    戦争シーンはキャスター付の箱馬を積み重ね高射砲のような物を組み立てる。羽織を脱ぎ洋装にして行進、敬礼する姿で合戦との違いを表す。召集令状を桜紙に置き換え=戦争、雪が消える=平和を示すか。
    靴を履いているから軍靴を響かせる。戦争時は、後幕に人影を映し多くの人が犠牲になっている様子、その阿鼻叫喚が聞こえるような照明効果。音響も、終盤はピアノが終始奏でられ高揚と鎮魂を思わせる見事さ。それだけに時代感覚、その空気感の違いがもう少し丁寧に演出できていれば…。
    次回公演も楽しみにしております。

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    2022/10/01 20:23

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