老獣のおたけび 公演情報 くちびるの会「老獣のおたけび」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    昔雑遊あたりで観た切り、と思っていたら割と最近吉祥寺でも観ていたくちびるの会。どちらも中々イケる舞台だった感触のみ記憶に残ってい、期待値やや高で観劇。

    役者力に頼んだ芝居、とは言え、不条理な設定がじわじわと効力を発し、花開いたと感じた。日本の不条理演劇の開祖別役実の作品に肖った訳ではなかろうが、、チョイスは正解。子供に好かれるキャラ、しかし害獣、の二面を備えた存在に頼んだ芝居、とも言えるか。
    終始目に映っていたのは認知症老人という「困った存在」で、そのデフォルメされた表現としてのそれ。「困り」つつも理解に努め、「共生」を模索している所へ排除主義が介入してくる。安全を掲げ、遵法精神を発揮して(法の奴隷)、正義面して人の弱みを突く(コロナが増産した、否見える化した)何とか警察的な人間共を自分はつい重ねて見ていた。
    ひいては、そうした大衆の反知性化を歓迎し「何もしない」政治で「やってる感」の演出だけに勤しむ、我が国の統治者たちに身を預けておる現状へのやるせなさも。(まァこれは個人的な、投影ではあるが..。)

    父権的で一方的に価値観を押し付ける父、であれば結婚は双方の合意のみで成り立つ、父無視で良いではないか。実家を出て10年間近寄ってもいないのだし・・とはならない所は、現今の何でもありな風潮にはそぐわぬが、慣習は内律的なもの。どこか韓国ドラマを思い出させる(かの国では家父長制が強いがこの理不尽な代物と「付き合う」事を良しとしている所がある・・映画等の印象だが)。
    役者力に頼んだ、と書いたが、とりわけN氏の設定を体になじませ「認知の揺らぎ」を無言で見せる演技に感服な一時間半であった。

    ネタバレBOX

    今回も出演陣はノーチェック。登場のつど嬉しい瞬間が訪れた。開幕ノートPCに向かう主人公らしい青年(明利)。と、そのパートナーらしい女性(千春)。おや橘花梨(見てすぐ判らず声で認識。そう言えばくちびるの会常連であった)。深夜連ドラの脚本の締切が迫る中、恋人はいつ父親に自分の事を話してくれるのかと彼に言い募る。と、兄からの電話で一人暮らしの父の変調が知らされる。「私も行こうか」と彼女。断る青年。彼の側にも理由があり、父は父権的な男で今の自分の状況では結婚を納得させられないと踏んでいる。相思相愛ではある。
    所変って実家の居間。あれ中村まこと?そうだっけ(そんな大事なキャスティング見落としたのけ)。象になった、というのは後の台詞と衣裳とを重ねて徐々に理解される。中村氏の痒い所に手が届く気持ちの良い演技(=声の威力はデカい)を味わう。兄登場。木村圭介、間違いなくどこかで見ており、後で調べるとゴジゲンのアゴラ公演、そうあのへんな気がした。が他にも前回のくちびるの会、劇団献身でも二度、少なくとも4回見てるとは...(脳の老化)。
    「象になっている」の演劇的表現は、「長い鼻」のついた衣裳の他、上半身の仕草、歩き方で。父権的な態度が一発で知れる。「ああこの父なら逡巡するな」と即座に思わせる。
    ピシッとスーツを着込んだ兄(雅史)は、父(徹)の「稼げる職につけ」に従い銀行員になっている。それが嫌で弟・明利は家を出た。実家に近い兄と違い、久々に帰郷した明利には、近所の者も冷たい。父の土地を耕作地に借りている隣の農家の父(大村)と、息子(タカシ)。父が小うるさく、自治会だ何だと顔を出しているが、打算的な裏面が次第に露呈。息子はマイペースで叱られキャラだが、徹とは馬が合う。「象」になった徹にも気づかない(気づいても気にしない=徹と認識しているので)。この息子タカシ役は名に覚えのある藤家矢麻刀(青年団系のユニット、ジエン社、東京夜光で実は見ていた)。不知は大村役の堀晃大のみであった。
    残る主役・明利役の薄平広樹は、鮮明な記憶はなかったが、調べれば新国立研修所出身、しかも花の第8期生(私が勝手に親しみを抱いてる)であった。荒巻まりの、滝沢花野、西岡未央、坂川慶成の居た期のメンバーであり、卒公の「親の顔」にも出ていたのだ、と個人的に大いに懐かしむ。若い作家志望の等身大、と思える姿を演じていた。
    絵に描いたよなハッピーエンドに、なぜかやられてしまった。

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    2022/09/09 08:59

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