ふたりの女 公演情報 SPAC・静岡県舞台芸術センター「ふたりの女」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    野外劇の新鮮さ
    アングラ=テント芝居のイメージが強い唐十郎の戯曲を開放感のある野外劇場で観ることがまず新鮮な体験だった。
    テント芝居の持つある種の息苦しさとは無縁で、傍観者として俯瞰するような位置に身を置くことができ、それは能を観るときの感覚にも似て、唐十郎の戯曲を先入観なく新しい視点で追体験できたように思う。

    ネタバレBOX

    開幕時、舞台正面の4つの銀色の戸板返し式回転ドアに浮かび上がる手が蠢き、ロックの大音響と共に8つの人影がもがき現れる。この点がノスタルジックな曲と共に始まる通常のアングラ劇と異なり、期待感を誘う。人
    影はあたかも地獄の亡者どもの象徴のようでもあり、これから始まる男女3人の恋地獄の苦悶をも暗示している
    ようだ。
     原作の『源氏物語』から現代へと抜け出した六条御息所は<六条>、光源氏は<光一>、葵の上は<アオイ>として登場する。六条は昔出会い、忘れられずにいた医師光一の妻に間違われたことがきっかけで光一の妻にな
    りたいと思い始め、光一と婚約者のアオイの間に入ってくる。原作の車争いの場が富士サーキットであり、六条が化粧品セールスをしたり、アジ演説を行う学生運動家風の男が登場するなど70年代当時の風俗をさりげなく描
    いている。演者ではなく寝かせた小袖で表現される能の「葵の上」とは違い、アオイは生き生きと能弁で、1人の男を巡って女2人が争い、互いに引き剥がそうとして命を削るのが傷ましい。六条が渡した髪油を媒介にアオイは六条の情念に取り憑かれていくのだが、原作の生霊現象というより、光一が2人の女を愛した時点で2人の存在が表裏一体となって引き剥がすことができなくなってしまう皮肉が描かれている。
    アオイと六条は1人の女優が演じ分けるが、たきいみきは初演の若き日の緑魔子を彷彿とさせ、妖艶で美しくはかなげでありながら力強い。2人が別人に見えながらも1人の女性に重なっていくように見せた点で成功だ。光一の永井健二は恋愛のカリスマ・光源氏ではなく、等身大のナイーヴな現代青年を明晰な台詞で演じる。官女風の大きな髪型に派手なビーズカーデガンを着た木内琴子の「母」が歌舞伎の生世話物風にくっきりと演じ、目を惹く。看護婦の三木美智代、老人の三島景太らもいかにも唐十郎の世界らしい雰囲気を醸し出していた。
     今回は舞台美術と衣裳の果たす役割が大きく、潮騒や「鍵」の澄んだ音などの音響効果も印象的だ。俳優の衣裳は平安貴族の夏の装束である紗の薄絹を思わせ、医師の<是光>(原作では源氏の家来・惟光)の着る白衣も
    光一の着る黒のジャケットも透けたオーガンジーのような素材である。この衣裳が、この芝居を現代劇の写実性から離れ、ドラマそのものの夢物語のような虚構性を観客に強く植え付けている。アングラ芝居で多用される白
    塗り化粧もこの芝居では違和感がない。また、薄紫色の髪に白の下着姿の狂女の六条は砂浜に打ち上げられた人魚にも見え、突飛な言動と共に浮世離れした女を表している。
     俳優は舞台の屋根部分の高所に上るほかは主に格子状に木を渡した床の上を行き交うが、格子によって形作られた道が人々がさまよいながら行く冥府魔道を思わせる。交わるかに見えても決して交わらない男と女の生をも
    表現している。六条と光一が平均台のように、正面を向いたまま細木の上を後退する動きなどは、俳優の肉体の使い方として面白い。本物の能舞台もこのような格子が組まれた床下に足拍子が響くように甕が置かれているの
    だ。さらに能舞台に描かれた松のごとく、自然の木々が舞台背後には聳えている。
     野外劇場というロケーションが生んだもうひとつの視覚効果は、「闇夜に舞う蛾」である。蛾は照明を受けると、あるときは青く、あるときは緑色に、金色に光り輝きながら、ヒラヒラと浮遊する。それがあたかも劇中の砂浜に浮かぶ漁火のようにも、鬼火のようにも見えるのである。また、アオイが転落死した瞬間、背後の木が照明によって真紅に染まる。アオイの血しぶきとも情炎ともいえる強烈なシーンに崖の高度が活きるが、その直後、金色の蛾がアオイの化身さながらに舞台下方から舞い上がっていった。炎に群れる蛾を描いた速水御舟の名画「炎舞」を想起させるような自然が生んだ巧まざる劇的効果だった。

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    2009/11/11 21:36

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