実験シリーズその2 (なまえ) 『   』 公演情報 劇団夢現舎「実験シリーズその2 (なまえ) 『   』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    名前にまつわるエトセトラ。
    ”名前”に対して多角的にアプローチをしていき、人と名前がどう関わりあって来たかを探る―例えばその名前のルーツや名前からイメージされる何か、あるいは”名前”そのものの概念を、寸劇をしながらオムニバス形式で分かりやすく解説していきます。ストーリーテラーは実験シリーズの名を裏切らないいでたちの研究員4名。我々観客は一般特別研究員の一員として参加する形になりますので、協力的な姿勢で参加することが望まれますが、アットホームな空間ですのでリラックスして楽しめます。終演後は、劇団の方々が手作りされた特製エコバッグが配布されます。更に30分間の反省会&意見交換会(自由参加)があり、ジュースやビール、お菓子が劇団員の方々の奢り(!)で用意されています。私はひとりで行ったのですが、お誘いの上行かれた方が断然楽しめると思いますよ(もちろんひとりでも充分楽しめます!)。それから劇中は、名指しで指名されることもしばしばありますが、質問された答えを間違えてしまっても叱られることはありませんので、心配御無用です。演劇に参加する1時間45分。

    ネタバレBOX

    いやはや恐れ入りました。一歩会場に足を踏み入れるとそこには、白い紙が御札のようにペタペタ貼られた花瓶、カウンターチェア、ごみ袋、樽など謎の光景が目に止まります。そのどれもが既存の名前とは明らかに違う、しかしながら妙に納得できる、非常にナンセンスでナイスなネーミングセンスなのです。これはひょっとして私も名前を頂けるのかしらん。と思っていたら、受付を済ませると間もなく名前を頂けたのでほっと一安心。その名前は一枚のリストの中から好きなものを選ぶことが出来、海外のミステリー作家の名前だったり、フェリーニの映画に出てくる登場人物の名前だったりするのです。(ちなみに私は海外児童文学作品の主人公の名前を選びました)そして研究員の方から実験中はその名前で呼ばれるとの説明があり、ツァラトゥストラはかく語りきが流れ、影絵を用いたアクトから実験がスタートします。

    ※以下、内容をおおまかに。


    「父と子」(”名”は体を表す→”名”は体を表さない)

    横道という名の父親に正道という名の子供が説教されている。
    正道はイケナイ妄想で頭がいっぱい。
    正道の妄想を天井からスーパーのビニール袋に”犬” ”女”などと書かれているものを天井から吊るすことで具現化し、横道はそれらを掃除機で吸い取り(このシュールさがたまらない。)
    ”なまえ”のように正しい道を行く子になりなさい。と説教するが、正道は血まみれの包丁(マジギレと名前が与えられている)を振りまわし、狂ったように暴れまくる。
    名は体をあらわす。とは昔からよく言われるが、6月に生まれたからジュンコ、長男だから一郎というように、人の名前が願いを込められた何かではなくて、その時々の事象、都合として用いられる場合も多々ある。

    その例えとして出てくるのがミロのヴィーナス。
    ミロのヴィーナスはミロ島で発見されたからミロのヴィーナスと名付けられた。では、発見された場所がミロでなくミト(水戸)だったら?ミブ(壬生)だったら?ミコ(巫女)だったら?とだんだんナンセンスになっていくものの、それぞれ検証した結果、そう言われてみれば、見えないこともないとのことで終止する。


    「取り調べ」(”名前”の認識)

    ふたりの男が出てくる。ひとりは犯人。ひとりは警官。犯人の男は、取り調べを受けている。男は自分の名前には愛着がなく、故に自分が誰だかわからないのだと言う。警察官はお前は相田 初だというが、男はそれを信じようとしない。


    「外科医」(”名前”のイメージ)

    藪という名前の医者に対し、ポリープを切断されるよう言われた患者は懸念を抱く。藪は当て字であるが、ひとは概念として藪を腕の悪い者だと信じて疑わない。


    「私の叔父さん」(定義がよくわからない”名前”)

    チェーホフのワーニャ叔父さんのラストシーンを引用しながら、
    おじさんの定義はよくわからないが、あじながおじさんにしろ、風船おじさんにしろとにかくおじさんは胡散臭いという言い分を検証する。


    「列車にて」(”名前”なんて何だっていい)

    自殺志願の男のところに牧師が来て、自殺を止めようとする。
    男は牧師の説得によって自殺することを止める。
    牧師は、お布施を要求する。更に聖書を売りつけようとする。男は持ち合わせがないと言う。
    肩を落としその場を立ち去ろうとする牧師に男は
    「あなたの名前は・・・?」と聞く。
    牧師は適当な名前をいくつか言って立ち去る。
    牧師にとって、名前なんて何だっていいのかもしれない。


    「荒木又衛門」(”名前”に意味はない)

    百姓であることにコンプレックスを持っている七郎次はある日、伝説の武士、又衛門に弟子入りを志願する。
    七次郎は一通り刀を使いこなせるようになったが、又衛門は大切なのは強いことではなくどれだけ自分を無にできるかであり、身分を使い分ける”名前”など無用だ。と七次郎に諭す。


    「ブランド」(”名前”だけで選ぶ怖さ)
    ヴェルサーチのスーツにアルマーニのネクタイ。ロレックスの時計を身につけた男、成田金蔵(略して成金)が女と連れだってブランドショップに入ってくる。
    男は女はGUCCIの指輪を買い与えるためブラックカードで支払いを済ませる。ここまではよかった。
    問題はショップバッグ。店側はエコと称し、コンビニやスーパーで使われるレジ袋に黒いマジックで”GUCCI”と書いて渡そうとする。男は、金はあるから、ショップバッグをよこせという。女もこーいう所はエコなんてどうだっていいのよ。とご立腹。が、店側はエルメスなら”H”、ヴェルサーチなら”V”と書いたお粗末なものしか渡さない。店と客のやりとりは、ドリフっぽくコミカルだが、ネームバリューだけで物を選ぶ人間の怖さを露呈していた。


    「市民土木課の一日」(不可解な”名前”)
    朝、出社した課長は今日から自分をたーくんと読んでほしいという。
    部下たちは不審におもうがスルーする。
    市民土木課という名前が頂けないとの事で次々と考案していく部下たちはやがて、無数の”名前”の中に埋もれていく。


    実験シリーズに参加したのは今回がはじめてだったが、性質の異なる”名前”を考察する過程はたくさんの小さなアイデアで散りばめられていてとても楽しく、また非常に興味深かった。それから役者が、想いを前に飛ばそうとするエネルギーに満ち溢れているのが良かった。しかも役者が全員、芸達者。古典演劇のワンシーンを演じるにしても、ちょっと刀を振り回す仕草にしてもそれが何かの真似事ではなくて、”技”の域に到達しているのである。劇団のHPに役者は週5でレッスンに励んでいると書いてあったが、確かに素晴らしい身のこなしであった。
    それからもう一点、この劇団の素晴らしいところは、観客をもてなす心があること。それは一枚のチケットを送ることにしてもそうだし、客入れ時の挨拶ひとつにしてもそうなのだけれど、観るひとたちをわくわくさせ、楽しんでもらおうという心意気がひしひしと感じられる。特記すべきは終演後、アンケート記入に協力を呼びかける団体は一般的だが、夢現舎の場合は、違う。80円切手を同封した封筒が終演後全員にもらえるエコバッグの中に入っており、”実験レポート”と称したそのアンケート用紙を送ると、返信が送られてくる仕組みなのだ。そして更に、観劇日の夜にお礼のメールが届いた。それも、実験に参加した時の私の名前入りで、だ。たった一度の公演を観ただけでこれほどまでのことをして頂いたことははじめてだったので、ちょっと驚きもし、恐縮もし、感動もしてしまった。

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    2009/11/10 18:32

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