余命1時間の花嫁【ご来場ありがとうございました】 公演情報 Aga-risk Entertainment「余命1時間の花嫁【ご来場ありがとうございました】」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    シチュコメの王道
    このところ、シチュエーション・コメディに恵まれなかったので、久々に楽しい
    作品に巡り会えた気分です。とても楽しめました。
    誰もが普遍的に笑える喜劇をめざしているとのことですが、まさにそう思いました。何かとひねりをきかそうとして面白くなくなっているコメディの多いこと。
    下手なひねりなんかいらないんです。
    何でもひねりを入れないと凡作のように言う風潮は嘆かわしい。そう考えるのは本当に喜劇の楽しさがわからないからではないかと思います。
    シチュコメは素直に笑える作品が一番。私は素直に☆5つ進呈します。

    ネタバレBOX

    そもそも容態が急変してICUに入れられた患者が普通に会話できるはずが
    ないのであって、そこがこの劇の最大の矛盾です。
    しかし、それには目をつぶって観ましょう。
    花嫁がパジャマにスリッパのまま登場するところから、このドラマのワクワク
    が始まっていて、それは往年の藤山寛美が花道から登場したときのような
    高揚感がありました。ありえない姿で登場するのだから。
    生真面目な牧師や器用で頼りになるバイトくん、いかにもな先輩の司会者、南海キャンディーズの山ちゃんのような見るからにオタクっぽいストーカー的な花嫁の幼馴染、職務に忠実な医者、みんな大マジメだからおかしかった。
    幼馴染がブーケトスを「形見に!」と所望したり、映画「卒業」の名シーン
    よろしく(最近の若者にはこれが通じないらしいが)花嫁を連れ去ろうとしたりする場面は面白かった。
    配役の妙というのはありますね。父親役の俳優が「素人」とか「大根」と酷評
    されているようですが、ハタと思い出したことがあります。それは私の父が「喜劇は全部巧い役者で埋めると面白くないんだ。脇に1人くらい大根が混じっていたほうがいいんだよ」と教えてくれたことでした。この役者が登場したときは私も「あまり巧くないな」と思いました。しかし、礼服一式を持たされてて座り込み、呆けたような父親の表情を見た時、「これだ」と思いました。
    巧い役者なら、いろいろ芝居をしようとするでしょう。でも、彼の演技しない表情こそがむしろ、花嫁の父の途方にくれた放心状態の感じがよく出ていたのです。なぜか。技術でなく、役を照射していたからです。この役がいかにも父親らしい深みのある俳優(たとえば志賀廣太郎のような)では、かえって浮いてしまうのですよ。それはサンシャインボーイズのときに小林隆を大根と言う人が多かったのに三谷が意に介さなかったことや、演技にうるさい溝口健二が棒読みに近いセリフを言う浦辺粂子を気に入って使い続けたことでもわかります。2人とも当時は大根だったかもしれません。でも、役への照射は下手な役者ほど愚直にできるとも言える。
    芝居らしい芝居をする人だけで濃密な芝居を組み立てようとするとかえって破綻してしまう。抜けをひとつ作ることも時には必要で、この役は彼でよかったのだと思えました。喜劇に詳しく見巧者の父だから教えてくれたことなのだと思います。
    最後に、この作品で感心したのは、やけにきれいなお嬢さん2人が友人代表
    だったこととサークル時代の「貞子」の余興写真です。
    だれしも結婚式で主役になりたいと思います。でも千恵の場合は、「貞子じゃなく目立ちたい」「みんなを見返したい、うらやましがらせたい」と言っています。「貞子の余興をやらされていたこと」と美人の女友達を並べたことで、
    そのセリフが生きた。スライドコーナーを大笑いして見ていましたが、あの写真にはそういう千恵の思いがあったのだなーと。
    ただ笑わせるだけでなく、うまい演出だなと思いました。
    観劇の場そのものを結婚式仕立てにしていたが、
    ボールペンを落としたという女性の声に、係員からサッと差し出された懐中電灯。手際のよいこと。サービス業そのものでした。
    終演後くらい、普通の挨拶をして「アンケートにご協力ください」と言っても
    よかったのではと思いましたが。

    6

    2009/11/08 05:14

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  • きゃるさん、そして、冨坂友さん

    本当に、本当に嬉しいです。
    まずもって、こうした意見の交換が出来ること自体、コリッチへの感謝とともに、自分には至上の喜びです。

    何故なら、これまた一般論ですが、日本人って、よく「ええ、そうですよね」と裏腹な返事をして、他を尊重しつつ、自分の考えはしっかりと述べ、それに対する真摯な応答があれば、またそれを尊重するというような行動が私は大好きなんです。いつも、自分もそうありたいとも思っています。

    それを前提に、きゃるさんの思い、胸にジーンと迫りました。演劇を、喜劇を愛してるんだ、と確信しました。

    >私も「喜劇は本来こうあるべき」とか思ってるわけではありません。言葉足らずで申し訳なかったのですが。ただ、率直に言って、昔、子供の頃に観た浅草や新宿コマの喜劇人まつりに来てた客のほとんどは「ここはひねりがあったほうが」なんて考えて観ていなかっただろうし、単純に面白いか面白くないかで客は反応してたということです。
    >父は喜劇の研究家でもあったのですが、喜劇を見るとき、私はこの幼児体験をいつも思い出します。まったく笑えない作品ならともかく、観終わって楽しければよしとします。

    よく分かりました。それにしても、いいなー、お父さんとそんな経験を小さい時から出来たなんて。私には、まったくない経験です。まあ、たまに女房を観劇に連れて行くくらいです(笑)。そうした経験の上での喜劇への愛情、感動しました。

    >私は喜劇に関しては「ひねりがあればもっと面白くなるのに」とか踏み込んで考えると、楽しめないんじゃないかと思うんです。

    そうですよね。基本的には私も同感です。楽しんじゃった方が勝ちです。お金を払って楽しみ、爽快感、元気を得ようとしているんですから。きっと、この作品は、何度も観ている結婚式もの、そして、映画もあれほどヒットした作品だけに、私も期待とともに雑念が入り過ぎていたかもしれませんね。

    >同じことは娯楽映画にも言えることで、幼児のころから親に連れられて大人に混じって毎週のように映画館に行って観てたんですが、普通の観客はもっと気楽に楽しんで観てたプログラムピクチャーと言われる作品にまで後年「アングルがどうの、テキストがどうの」と評論家が書いてるので、当時の映画関係者に話を聞いたら「昭和30年代の客があんなこと考えて観てるわけない。
    ナンセンスで腹が立つ。彼らには娯楽映画の本当の面白さがわかってない」と怒ってました。
    >東宝の社長シリーズも軽演劇の映画版です。ひねりもないマンネリ喜劇で、わかっているけど可笑しい。この映画、最近の若い人は映画館で笑わないですけど。

     うん、これも同感です。せっかくの機会ですから、正直に書きますが、私も小学生の高学年のころから、3歳上の姉の影響で、映画(おもに洋画)が大好きになり、お小遣いの大半を映画に使っていました。親なんか連れて行ってくれいないので、もっぱら一人。で、すごく好きになってしまったのが加山雄三の若大将シリーズです。中でもモスラ対ゴジラと2本立てだった「エレキの若大将」は感動で3回も観てしまいました。小学生でした。実は大学を選んだのも、この影響が大きかったのです。で、初めて自分で買ったレコードが「君といつまでも」と都はるみの「涙の連絡船」。はい、ちっさな頃からロマンチストだったのです(笑)。「ローマの休日」とか、「風と共に去りぬ」とか何回観たか分かりません。でもって、今から考えると、ひねりとかは関係なく、自分は感動していました。今は、加山さんが好きということはありませんが、でも、若大将シリーズを単純だとか、捻りがないと言われると、たしかに「ちょっと待ってよ」と一言申したくなる気持ちは変わっていません。単なる喜劇として、そして、誰もが憧れるハッピーエンドものとして、超マンネリと言われようが、私には、大切な青春(いや幼少)次代の宝物なんです。
     大学時代、一番の希望は映画評論家になりたかったんです。いや、ホントです。評論したいんじゃなくて、映画をしこたま観られて仕事になるなんて……と、せこく考えていただけです。
     それが、仕事がら、映画はフリーで何でも試写に行ける今、年に数本しか銀幕のスクリーンとは対面しません。舞台芸術の素晴らしさにはまり、その時間がありません。皮肉です(笑)。
     脱線しましたが、そんなことを思い出しました。

    >この作品も観る目のあるかたから観たら、ひねりがないかもしれないけど、ひねってなくても
    成功してる作品ではあると思います。

     そうですね。私も成功していないとは全く思っていません。面白くなかった訳でもありません。だからお薦めマークも付けました。「ただ、もっと…」と欲張りたくなってしまったのも事実なんです。

     まあ、きゃるさんもお分かりでしょうが、私も基本的には、分かりやすさ好み、ハッピーエンド好み、上品さ好み、自然さ好み、現在口語演劇も好み、コメディも大好き、情感ある悲劇も好み……反対に、不条理はすごく洗練されていないとダメなほうで、やたらキンキンのハイテンション絶叫劇は嫌い、どことなく観る側そっちのけの作り手自身だけが満足するようなマスターベーション的演劇はもっと嫌い、エロスやバーレスクは好きだけどポルノは肌に合わない、といった単純なタイプです。あと、いいなぁーと思うと、すごく感動し、応援したくなってしまう方です。

     なんか今回のやりとりで、やっぱり、その気持ちを大切にしていこうと改めて感じました。ありがとうございます。

     ◆□◆

    さて、冨坂さん

    わざわざ私にまで、メッセージを頂き、感謝です。

    >その中で、tetrapackさんがピンチの連鎖していく様を見つけてくださったところは嬉しく思います。そしてまた、予想の範疇でおさまってしまったことに関しては、正直もう「おっしゃるとおり」で、そこも超える笑いに繋げられればよかった、という反省ですね。

    いえ、たまたま私は、そう感じただけです。でも、受けとめていただき、なんらかの今後の糧になれば、それに過ぎたる喜びはありません。ただ、この作品は、マチネで観ましたが、ちょっとアルコールでも体内に入れて、よりリラックスして観ればよかったかな、なんて……。やっぱり楽しさを五体いっぱいに感じた方が「お得」ですものね。

     でも、よかった展開もありましたよ。私のレビューに書いた通りです。それに舞台と使い方、接客態度も心地よかったのを今も覚えています。

     こうして劇団の主宰さんまで参加されてのコメントの双方通行、いやー、いいですよね。反応って、すごく嬉しいものなのです。私にとって。そして、きっと、きっと冨坂さんにとっても。

     今後も大いに期待しています。ぜひ頑張ってください(わざわざ言われなくても、頑張って下さると思信じていますが=笑)

    2009/11/10 02:53

    >冨坂友さま

    主宰のかた自らご意見をいただけて嬉しい限りです。私の言葉足らずのカキコミと
    喜劇の初心者ということで勝手な解釈のために、tetorapack様にも作者の富坂様にも
    失礼な印象を与えてしまったかもしれません。お詫び申し上げます。
    「いろいろあっても花嫁は死ぬ」と言う悲劇の前提の上に組み立てるコメディは
    難しかったと思います。ラストシーンがどうなるかと思って観ていたのですが、
    急にお涙頂戴になるのでもなく、くどくもなく、なかなか洒落た終わり方だったと
    私は思いましたし、カーテンコールでも新婦の遺影はあっても、女優本人は出てこないことで観客にはっきり死を意識させることができたのではと思います。
    私は今回の作品が「単なる軽いお笑いに終わった」とは決して思っていないです。
    ただ、作り方が昔のコメディのようで好感を持ちました。父が幼い私に教えてくれた喜劇の
    面白さを思い起こしたのです。
    まったく場違いなかっこうでヒロインが登場したときは、これが昔の劇場ならドッと拍手がわくところなのに、なんて思って観ていました。
    私はきょうまでたくさんの喜劇を観て来たはずですが、どうやら初心者らしく、喜劇についてこちらの思うところを伝えることも難しいようです。
    最近、全体の95%は結婚式から始まるシチュエーションコメディなのにラスト5%が尊属殺人の悲劇で終わると言う「勲章」という古い邦画を観ましたが、まったく古さを感じさせず、DVDになっていないので若いかたに観て頂けないのが残念ですが、話をしたら興味をもってくれた若い女優さんもいました。喜劇にはまだまだ宝の山がたくさんあるような気がしています。その一角を見せてくださった冨坂さんに感謝しています。
    若手のかただけに、才能に目を見張り、頼もしく思っています。
    戦争の記憶がまだ残っていた「嫌戦」の戦後のほうが多くの戦争コメディが生まれました。
    兵隊物がそうですし、防火訓練、戦死者の取り違えをテーマにしたコメディもありました。
    戦争の歴史が風化しつつある最近のほうがともすると「不謹慎」と思われそうで、
    難しい挑戦だと思うのですが反戦メッセージのこめられたコメディに期待していますので
    勇気を持って書き進めていただきたいと思います。

    2009/11/09 21:01

    きゃる様、tetrapack様、ありがとうございます。「余命1時間の花嫁」脚本演出の冨坂です。
    本来、作品で回答するべきだという思いはあるものの、あまりに面白かったので書き込みさせていただきます。

    本作は、前作の「死チュエーションコメディ」と比べて、伏線が回収される、ネタがリンクしていくタイプの笑わせ方よりも、よりくだらない出来事が単発で起きていくような笑わせ方の作品だったと自分でも思います。
    その中で、tetrapackさんがピンチの連鎖していく様を見つけてくださったところは嬉しく思います。そしてまた、予想の範疇でおさまってしまったことに関しては、正直もう「おっしゃるとおり」で、そこも超える笑いに繋げられればよかった、という反省ですね。

    今回は、「くだらない部分をよりくだらなく、そしてその裏にある『でも花嫁は死ぬんだよ』をしっかり見せる」というのが脚本の意図でした。そしてきゃるさんが「くだらなく」の部分をキャッチしてくれたのだと分析しています。自分は、「シチュエーションコメディというジャンルを純粋に笑える喜劇に戻したい」との思いもあるので、喜劇としてみていただき、楽しんでいただけて幸いです。そこの評価を頂いたので、逆に『でも花嫁は死ぬんだよ』も伝えたかったところではありますが。

    CoRichの書き込みが「口コミ」や「劇団へのアンケート」を超えて「場」になったという点が(きゃるさんのお父様の言葉など、とても面白くて嬉しい話がきけました)、作品が公共のものになったのを目の当たりにした気がして、とても興味深く、ありがたかったです。

    次回作については、喜劇として「ひねくらない」ものでありながら、公演全体では「戦争」「空襲」から逃れないものを考えております(おそらく構造としては死チュエーションコメディと似たような連鎖系のコメディになると思います)。
    皆様の意見を受けての次回作にご来場いただければ幸いです。

    長文失礼いたしました。これからもよろしくお願いいたします。
    アガリスクエンターテイメント主宰 脚本・演出:冨坂友

    2009/11/09 18:58

    >tetorapackさま

    補足させていただくと、喜劇の中でも軽演劇については「みささん」へのコメントに
    書いたのですが、私は軽演劇の感覚で本作を観たんですね。
    TVの草創期、益田喜頓さんが1人で何役も演じる喜劇の番組があって(コントではありません)、
    私は面白くてずっと笑っていたのですが、脚本は意外性もなく予定調和でそれでも
    面白かったです。彼は父の話ではTVで出身のムーランルージュの喜劇をやりたかったのでは
    ないかと。で、私はたぶんムーランルージュの軽い喜劇が好きなんだろうって言われました。
    その類の喜劇に「余命~」は近かったと言うか。現代はあまり、単純な喜劇が少なくなっていて、
    軽演劇というと、吉本新喜劇だと思う人が多い(吉本と私の言う軽演劇は少し
    違う)ですが、昭和には単純に子供でも理解し、笑える軽演劇がいくつも上演されていました。
    東宝の社長シリーズも軽演劇の映画版です。ひねりもないマンネリ喜劇
    で、わかっているけど可笑しい。この映画、最近の若い人は映画館で笑わないですけど。
    わざとらしいし、予定調和だと言って。これが現代の感覚なんでしょうね。
    藤山寛美の松竹新喜劇も脚本より、彼の芸の深みで笑わせた。
    あの当時の喜劇をいまの感覚で観て「ひねりがない」とか言ったら、全部そうなって
    しまいますが、それでつまらないという評価になるのは残念だと思います。
    昔の喜劇人にも失礼です。
    私が「喜劇のおかしさがわからないのでは」と言ったのは個々の鑑賞眼のことではなく、
    同じ喜劇でも笑いの質の違い、時代の尺度からくることです。
    私が述べた感想は、この劇団のありかたとか、作家性とかは置いといての話です。
    私と同世代の人と話しても、ドリフか、大人になって観た高尚なコメディかの両極端
    しか観ていない人がほとんどで、その尺度で喜劇を評価しています。
    普通の軽演劇をあまり観ていないんですね。
    だから「ひねりのない軽演劇の笑い」についてはなかなか理解してもらえない。
    私が「ひねりなんかいらない」と述べたのはそういう意味で、ひねりのない
    軽演劇的な良さももっと見直されてもよいのでは、またそういう楽しみ方ができたら
    喜劇の楽しみ方の幅が広がるのでは、という意味です。
    私の父が生きてたら「余命~」を観てきっと好きになったと思います。
    でも、これを観て笑えるのは初心者ということになるわけですね。
    だったらわれわれ親子は初心者です、たぶん。
    私は決して、軽演劇を低く見ているのではなく、むしろ逆です。
    また喜劇の脚本を批判せずに観るべきと言う意味でもありません。
    それは人それぞれですし、笑いの感度も人によって違うし。

    前作は観ていないのですが、ドグサレ一番星さんの感想が興味深かったです。

    >シチュエーションコメディなら
    人の出入りは情報によって支配されるべき。
    舞台は必然が支配します。
    「たまたま忘れ物をした」ことに由来する
    できごとは排除されなければなりません。

    となると、この作家は現代のシチュエーションコメディとは
    少し違う系統のものを書いている人なのかなと思いました。

    >なぜ探偵はいろいろな指示をマスターにあおぐのだ?
    マスターは他人じゃん。自分で決めろや。

    そもそもそもそも

    なぜ秘密の会合をバーでする必要がある?
    「あがさ組のもんだが、腕っこきの探偵を
    事務所までよこしてくれや」でいいじゃん。
    秘密の依頼なら、誰が聞いてるかわかんない
    バーでやんなきゃいいじゃん。
    それに、対象の顔を知らない探偵ひとりより、
    対象の顔を知ってる組員で手分けした方が効率いいんじゃん?

    現代的ですごくまともな批判ですよね。この批判も読んでて楽しい。
    情景が眼に浮かぶ。
    でも私はそういうこと無視して書いてるから面白かったのではと推測します。
    初心者なので。

    そういう意味からも、若い作家さんなのに、こういう懐かしいコメディを書く
    人に私も期待します。
    みなさんと逆で「あまりひねくらないもの書いてください」ってお願いしたい(笑)。

    tetoraさんにはやはり、クロカミショウネン18をお薦めします。
    脚本に「ひねり」もあるし、大人が楽しめる上質なコメディだからきっと
    気に入りますよ。ぜひ。

    2009/11/09 17:17

    >まあ、芝居は極論すれば、自分が楽しめたら、他人がどうであろうと、それが幸せというのが私の考えです(単純=笑)。

    これはおっしゃるとおりです。感想は人それぞれで自由だし、私も「喜劇は本来こうあるべき」とか思ってるわけではありません。
    言葉足らずで申し訳なかったのですが。
    ただ、率直に言って、昔、子供の頃に観た浅草や新宿コマの喜劇人まつりに来てた客のほとんどは「ここはひねりがあったほうが」なんて考えて観ていなかっただろうし、単純に面白いか面白くないかで客は反応してたということです。
    狂言は日本の喜劇やコントや4コマ漫画のルーツみたいなものですが、展開が単純でひねりなんかなくてもじゅうぶん可笑しいですし。
    私が4歳くらいのころ、初めてアメリカのコメディ映画を父と2人で観た帰り、渋谷駅のホーム
    のベンチで父と話して天井を向いて大笑いしていると「どこが一番面白かった?」と聞かれ、「靴の裏にくっついてしまった切手をとろうとしてうまくいかないとこ」と答えると、父は「そうだね。喜劇って面白いだろ」と言い、「きょう面白かった、楽しかった気持ちをずっと忘れないでいるんだよ。喜劇は難しいものじゃないんだ。子供が笑える喜劇が一番面白いのだよ」と言いました。
    父は喜劇の研究家でもあったのですが、喜劇を見るとき、私はこの幼児体験をいつも思い出します。まったく笑えない作品ならともかく、観終わって楽しければよしとします。
    私は喜劇に関しては「ひねりがあればもっと面白くなるのに」とか踏み込んで考えると、楽しめないんじゃないかと思うんです。観客としての個人的な意見ですけど。喜劇役者や作家や評論家のスタンスならそれじゃダメなんでしょうね。たぶん。
    チャップリンの映画についてもおとなになってから映画評論家がいろいろ難しい評論を書いるのを知って「こんなこと考えて観たら楽しくないだろうに。チャップリンは庶民の娯楽として
    作ったのでは?」と思ったことがあります。
    同じことは娯楽映画にも言えることで、幼児のころから親に連れられて大人に混じって毎週のように映画館に行って観てたんですが、普通の観客はもっと気楽に楽しんで観てたプログラムピクチャーと言われる作品にまで後年「アングルがどうの、テキストがどうの」と評論家が書いてるので、当時の映画関係者に話を聞いたら「昭和30年代の客があんなこと考えて観てるわけない。
    ナンセンスで腹が立つ。彼らには娯楽映画の本当の面白さがわかってない」と怒ってました。
    評論家はお仕事ですからそれでいいと思いますが、観客にそれを求めるのは酷かと。
    もちろん頭のよい観客はいろいろお考えになるんでしょうし、それは自由だと思います。
    tetorapackさんのことではなく、最近、やたらメディアで「ひねりがない」という意見がふりかざされてる気がして、「ひねりって何?」って疑問に思うのと、ひねろうとした失敗作にも多く出合ってているのでそう書いただけですけど。
    この作品も観る目のあるかたから観たら、ひねりがないかもしれないけど、ひねってなくても
    成功してる作品ではあると思います。
    一般論として最近、「ひねり」って便利な言葉に使われすぎてるような気がしません?
    具体的に「こうすればもっとよくなる」と説明があれば納得するのですが。
    事実、説明している評論家もいます。エライです。
    こりっちのレビューにそれを求めているのではないので誤解しないでくださいね。
    お金をもらってるプロの評論家全般に対してそう思うという意味です。
    tetoraさんの言われる「劇団への愛のムチ」や、みささんがおっしゃっているように「今回は作家がラクしたんじゃないか」というご意見はあって当然だと思っています。
    それを私は否定するものではありません。
    ちなみに私個人的には、ひねりよりも、この間の「駆け抜けない球児」で説明しましたように、つじつまの合わないほうが気になるんです。そこが引っかかるとシチュエーションコメディはぶち壊しになると思うのです。自分の場合に限れば気持ちがついていかなくなるので。

    2009/11/09 02:52

    きゃるさん
    これは割れましたね(笑)。
    「観てきた!」全体としても、今現在も評価というか感想が割れているようで。まあ、これも自然で、逆に、これだから芝居は面白いし、それぞれの評価や感想があっていいのは当たり前ですから。

    >何かとひねりをきかそうとして面白くなくなっているコメディの多いこと。

    たしかに、それは言えますね。でも、捻りが効いていて絶妙な作品もまた多くあります。

    >下手なひねりなんかいらないんです。何でもひねりを入れないと凡作のように言う風潮は嘆かわしい。そう考えるのは本当に喜劇の楽しさがわからないからではないかと思います。

    下手なひねりは、たしかに無い方が素直かと思います。
    ただ、「何でもひねりを入れないと凡作のように言う風潮は嘆かわしい。そう考えるのは本当に喜劇の楽しさがわからないからではないかと思います」との記述については、私は少々、考えを異にします。もちろん、そうした考えもまた尊重されるべき見解と認めた上で、私のレビューにも関連している点もあるかと思いますので、少々、私なりの考えを述べさせてくださいね。

    まず「何でも」ではないという点です。「ひとくくり」にはできないのではないかと。そして、「ひねりを入れないと凡作のように言う風潮は嘆かわしい」との思いは、きゃるさんの演劇に携わる側への親心のような思いを感じますが、同時に、けっして風潮などではなく、というか、私にとっては風潮などどうでもよいのですが、「素直でよかった」という感想もあれば、反対に「捻りがほしかった」という感想も、ともに観た側が率直に感じたことであり、ともに認められるべきものであると思うのです。
    そして、「コメディとは本来、こうあるべき」というような「くくり」ではなく、あくまで「この作品」に感じた感想が割れているという次元の話ではないかと思うのです。
    その上で、この作品については、私は「もう少し、脚本として練り上げられた何かというか、捻りがほしかったなぁ」と、これまた素直に感じたということなのです。

    従って、「そう考えるのは本当に喜劇の楽しさがわからないからではないか」という点については、少々、考えを異にします。喜劇であろうと、悲劇であろうと、また、演劇であろうと、映画であろうと、そうなのですが、基本的に、何を楽しいと思ったか、面白かったか、そうでなかったか、満足できたか不満足だったか、これぞ秀作、いやそうではなく凡作、といった感じ方は「観た人」それぞれに自由・平等に委ねられる感覚であっていいと思います。だから、両者の感想が混在すること自体はそれで全くよいと思うのです。コリッチでも大きく評価が割れる作品もありますよね(笑)。

    ただ、、「そう考えるのは本当に喜劇の楽しさがわからないからではないか」とまでなると、「本当の喜劇の楽しさを分かる」とは、定義づけるべきものなのか、という点も含め、私は難しいことは分かりませんが、私は、ちょっと違うかなと思いました。

    まあ、芝居は極論すれば、自分が楽しめたら、他人がどうであろうと、それが幸せというのが私の考えです(単純=笑)。少し前に舞踏における玉石混交の現状について、きゃるさんと問答させて頂きましたが、どんなにお偉い評論家さんたちが「石」と言おうが、自分にとって「玉」であれば、それが自分にとっては最高かと。と同時に、「石」と見る方々の見解もまた認められて当然かと。芸術への感想とか評価って、そういうものなのではと思うのです。私はモネの絵は大好きですが、エゴンシーレは興味あるものの、あまり好みではありません(そのくせ、よく観に行きます=笑)が、モネは嫌いだけどシーレは最高と言う人もいて当然なのです。つまり、他の人は良いと褒めていても、自分はこうあってほしかった、というのも、これまたあっていいと思うのです。私は、そこまでで止めておいていい話ではないのかなと思うのですが……。

    私の「観てきた」は、よくコメントを頂いた中で書かれていることなのですが、一般のコリッチ・ユーザーに読んでもらう角度で書く部分だけでなく、劇団側への感想という角度が主となるものもあると言われますが、この劇団側への感想では、相当に厳しく書くこともありますが、あくまで「率直」
    な感想を旨としています。ここを曲げたら、劇団側にも返って失礼だと思っています。また、せっかく時間を使って書いているのですから、私にとっても意味がありません。と同時に、一般の他のメンバーのレビューについては、すべてを尊重致しています。同感だった場合は、素直に嬉しくて、よくコメントを入れたりもしますが。

    コリッチにおいて、私は、今回のような意見を交換できるのも、また嬉しいひと時です。
    長くなってすみませんでした。では、またです。


    2009/11/08 14:28

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