実演鑑賞
満足度★★★
漱石と妻の夫婦喧嘩の最中に、突然転がり込んできたボロだらけの浮浪者風の青年。青年がエキセントリックに漱石の「坑夫」に食いつき、「他人の話ででっち上げただけ、己を掘れ」とツルハシを置いていく(らしい。少しうとうとしたので不正確)。
4年後、彼岸過迄を書いている漱石のもとに、再び青年がやってくる。「己を掘ってきた」という漱石に、青年は「狭苦しい話」「妻の本心とか、友だちとの仲違いとかどうでもいい」と、もっと深くて広い話を書けと批判する。青年は田中正造を尊敬し、この4年、行動を共にしてきたという。「谷中村には紫の炎がある、文学がある」。その正造が死んだと、臨終の言葉「鉱毒問題の本質からすれば、(正造の臨終の席に人々が集まった)ここもまた敵地」を繰り返し、その言葉に受けた衝撃を広げる…。
身の入らない支援者たち、言葉だけの同情者への「ここもまた敵地」の正造の言葉の刃を、漱石に突きつける作劇のポイント。青年が幻視する「紫の炎」に、たった一人でも自分の道を突き進む生き方、情熱、真実の人間の心を託す。
言葉は理屈っぽくて、核心になかなか触れずに仄めかしが多い。その分、消化しにくいが、要は書斎対現場、文学対行動の対立ということになる。1時間35分