生きてるものはいないのか 公演情報 五反田団「生きてるものはいないのか」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    修羅場の不思議な透明感
    非日常の世界どころの騒ぎではない修羅場なのですが、
    時間に不思議な透明感があって
    ずるずると惹きこまれてしまいました。

    ネタバレBOX

    先に同じ色をした別の物語(生きているものなのか)を観ているので
    物語の行く先へのドキドキ感はやや薄れてしまったかも知れません。
    それでも死から浮き出してくるような
    人の根源的なものに目を見張り続けることになりました。

    突然やってくる死のシーンの驚愕から、
    次第に死が確実にやってくるように場の雰囲気が変化していくところに
    凸凹感がなく、
    エピソードが織りあげられていく中で、
    修羅場に変わっていく舞台の変化が淡々とやってきます。
    恐怖で舞台上のキャラクター達を観る観客の目を曇らせることのない、
    苦痛に達観をさらっとひと振りしたような死に方の設定が実にしたたか。
    前半と後半の死から生まれてくる感情の共通な部分と
    後半の死に付随する諦観から見える死への理性のようなもの。
    死にゆく人々それぞれが抱える
    生のトーンの違いのようなものまでがしっかりと見えてきます。

    実は結構笑ってしまった。
    思わず声が出るほどに笑ったシーンもあって。
    でも、新作側でもそうだったように
    それらのシーンは、笑いが過ぎた後、すっと心に入ってくるなにかに、丁寧に裏打ちされているのです。
    死に際して人を抱きしめようとする仕草の説得力。
    よしんばなにかを伝えたい人や支えてほしい人がそばにいても、
    死のその時には伝わらない姿がおかしく悲しい。
    喫茶店のマスターが女性との距離を測るところから生まれてくる小さな慰安も秀逸。
    その女性が首を絞めるシーンには驚きはあっても違和感がなくて。

    この世の終わりと騒ぎ立てるのではなく
    ゆっくりと崩れ落ちるように死に絶えていく世界・・。
    修羅場にある人々に漂う
    純粋な部分の不思議な透明感にやわらかく漬け込まれたような感じを、
    たっぷりと味わうことができました。

    戯曲が持つ広さや重さが、終幕の暗転とともにどーんとやってきて、愕然とする。
    たっぷりと戯曲の世界に取り込まれていることに気がついて。
    質量を感じさせずに観客の内側に積んでいく、前田作劇にやられてしまいました。


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    2009/11/01 09:04

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