生きてるものはいないのか 公演情報 五反田団「生きてるものはいないのか」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    その存在が薄まってしまったか? 過去のモノになってしまったか?
    再演である。
    新作「生きてるものか」との2本立てである。
    だから、「生きてるものはいないのか」と「生きてるものか」と比べてしまうのはしょうがない。
    タイトルも似ているし。
    似ているのはタイトルだけじゃないし。

    ネタバレBOX

    「生きてるものはいないのか」は、死が怖くない。それは死に気がついて死ぬまでの時間が短いのと、誰にでも訪れるということから。
    だから、死より取り残されてしまうことのほうが恐怖である。最後の1人になりたくない。
    そして、死の理由とかはあまり詮索しないし、やけにジタバタしない。

    一方、あまり、ジタバタしないのは、新作の「生きてるものか」も同じ。ただし、そこには命の愛おしさを感じた。

    「生きてるものか」が存在している今、「生きてるものはいないのか」と比べてしまうのはしょうがない。もちろん、それは好みの問題だけど。

    新作「生きてるものか」がラストの風景に見事集約、収束されていく中で、「生きてるものはいないのか」のラストは、じんわりと広がる感じ。

    人がたくさんいるのに孤独であるというラストの哀しさ、ひよっとしたら世界でたった1人かもしれないという、底知れぬ怖さは十分に感じた

    後味は悪くないのだが、「生きてるものか」で感じてしまった後味が良すぎたので、「生きてるものはいないのか」の味が少々薄まってしまったように感じた。
    とは言え、「生きてるものはいないのか」が古くなってしまったり、過去のモノになってしまったという感覚もない。そのあたりの表現が難しいところだか。

    食べ物の味付け的には、薄味が好みなのだが、舞台は強いモノに印象が残る。それは単に「濃い」という意味だけではない、後印象。
    完全に別の作品というほどの距離感でもない、この2作品は、並べて味わうことが前提に上演されているし。やっぱり食べ比べてしまう。

    人々が訳もわからず次々と死んでいく話ということは、まったく同じなのに、こうも印象が違うのだ。
    というより、それだけ(あえて言えば)の話なのに、この2作品を作り上げた力は感動モノだ。
    1つひとつのエピソードと繋がりが見事だし、わずかな台詞なのに見事にバックボーンみたいなものを感じさせてくれる。こうしたエピソードが全世界で繰り広げられているという、広がりまでも感じることができるのだ。

    どこかの家電メーカーでは、「今自社で売れ筋の製品が売れなくなるような次の製品を生み出せ」的な意識で製品開発をしているという。
    前田さんは、そういう意味では、自作を超えて行ったのかもしれない。
    今回の2作併演は、それを明らかにするという意味では、成功だったのだろう。
    また、「生きてるものか」だけを上演していたら、タイトルとその内容で「二番煎じ」的なレッテルを、うっかり貼られてしまいそうなだけに、前作との上演は必要だったとも思える。

    モノを生み出していき、それを誰かに見せるということは、やっばり難しいものだと、素人の私は思ったのだ。

    蛇足的に書くと、「生きてるものはいないのか」は、役者間のコミュニケートがなんか、あまり良くないように感じた。変なズレみたいなものがあるのだ。なんかすっきりと繋がっていかない。ズレが面白みのような形で提示されていれば、面白かったのだが、それは感じられなかった。その違和感は何なのか気になった。
    異常事態の中で初めて出会う人と人のズレにしても何か違和感。ピンポイントでのズレや違和感なのであれば、意図しているのだともとれるのだが。
    そんな中、ナナ役の笠井里美さんが良かった。生きている実感があったし、特に都こんぶの粉にむせるあたりは秀逸だった。

    で、この2本を1本の作品にして、第1部「生きてるものはいないのか」休憩、第2部「生きてるものか」の3時間モノにするっていう手もあるんじゃないかと思ってみたり。

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    2009/10/28 04:46

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