生きてるものはいないのか 公演情報 五反田団「生きてるものはいないのか」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    ぽっかり空いた、無の世界
     大味にみえて、とっても繊細なお芝居だと思った。

    ネタバレBOX

     ちょっとしたひな壇があるだけの舞台の上で、17人、次々と意味なく死んで行く話。

     周りで人が死ぬ。最初はびっくりして、大声だして逃げたりしてたのが、段々慣れてくる。自分も助かりそうにないと分かると、誰と死ぬとか、何を言い残そうとか、なんとなく寄り集まって、みんなで日常に逃げ込むようすが、日本人の僕らそのままな感じ。

     ……と、ここまでは戯曲で読んでも同じ。でもここで、ト書きに一言「死ぬ」と書いてあるところに、どったんばったん七転八倒して必死の形相で死んでいく目の前の俳優さんが加わると、もう、なにも考えられなくなる。オーバーすぎる演技に、頭をごっつんごっつんする様子に、真っ赤になって血管浮き出た顔に。つられてけいれんしながら、こちらもただただ笑って笑って、お腹を抱えて笑っているうちに。ふと気づくと、なんだかわからない、なんにもない感じにとらわれて、ものすごく怖く、かなしくなった。

     どんどん死んで、最後の5・6人くらいになると、こちらも慣れて、笑わなくなる。でも、なんだかわからない怖さのなか、生きることをあきらめていく人々の間で、看取る看取らないでちょっともめるシーンがでてくる。

     「ちょっと、あれだけど、ちょっとわがままなんじゃないかな」
     「は? だって、僕死にそうなんですよ」
     「いやわかるけど、俺だってあれじゃん、いつ死ぬかわかんないじゃん、その時間をさ、ていうか、命を? 命っていっちゃうとちょっとあれ、あれかも知んないけど、そんな誇張してないと思うんだけど」

     「命」っていっちゃうとちょっとあれなところが、この作品、とっても高貴だな、と思った。「命」とか「運命」とか「魂」とか、そういう大きな言葉を使うことに対する、とてもデリケートな感覚がある。大きな言葉を、表現する人は使いたがる。簡単に心が動いたような気にさせるからだ。でも、それを使わない。

     「命」という言葉や、「死」というイメージの持っている、大きな意味とか理由とか、そういうものの価値が、慎重に疑われて、解体される。死体以外に何ものこらない最後のシーン。すべての価値をはぎとられて、ぽっかり空いた虚無の世界で、僕らはただ呆然とするしかない。

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    2009/10/23 18:57

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