私たち死んだものが目覚めたら 公演情報 shelf「私たち死んだものが目覚めたら」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    張りつめた中の美しさ
    絵になる「美しさ」もあるが、隅々まで神経を張り巡らし、研ぎすまされたような美しさが舞台で繰り広げられていた。

    それとは対照的に芯に「力強さ」もある舞台でもあった。

    美しさと力強さの前にあって、ただ集中して観ている私があった。

    ネタバレBOX

    最初に全登場人物が舞台に現れる。その姿、フォーメーションとも言える位置関係、構図にため息が出た。
    たぶんどの席から観ても美しいものだったのだろう。
    そして、その位置が彼らのいる位置(付け)・場所を示しているように感じた。

    物語が進行するに従って、登場人物の位置が微妙に動く様は、その時々の彼らの位置づけであり、意味であるように見える。

    当然、主人公の彫刻家ルーベックは終始ほぼ中央に位置し、彼を巡る女性たち、彼の夫人は前から、昔モデルをしていたイレーネは後方より、現れて去る。

    その動きも美しい。

    黒子役になった保養所監督の、舞台上の空気を壊さない移動や、顔のまったく見えない尼僧看護人の手の動き、角度まできちんと計算され、見事に決まっている。たぶん呼吸の1つひとつまでコントロールしないと、この表現はできないのではないかと思った。

    もちろん、ルーベック夫人とイレーネの動きや向き、位置などの決め方も美しい。
    また、ルーベック夫人は疲れた美しさ、イレーネは強く強靭な美しさを見せていた(まるで生者と死者が逆になったよう)。死者と生者を見事に示す2人の衣装の配色(血の色と死の色)もとても良い。
    そして、ルーベックの目はラスト近くまで虚ろに見えた。

    イレーネの強く強靭な姿は、療養中であるのだが、彼女の中には、まだ強靭な想いが秘められているのと同時に、ルーベックの、彼女に対する感情の反映だったのではないだろうか。

    モデル時代のイレーネの、ルーベックに対する想いは薄々感じていたものの、当時の彼にとっては、創造こそがすべてであり、イレーネの気持ちは踏みにじっていた、という「後ろめたさ」があり、それが、突然現れたイレーネに対して「怖さ」とも言える感情が呼び起こされ、彼女の強さとなって感じてしまったのではないかと思うのだ。
    つまり、ルーベックが見ているイレーネ姿を、我々も見ているという感覚だ。

    イレーネは、ルーベックが彫刻にかける想いは、自分への愛だと思って献身的に尽くしたのに。そこに、彼女の勘違いがあったのだろう。

    クリエイターが創造にかける情熱の凄さは、周囲を巻き込まざるを得ないほどのものであろうことは想像に難くない。イレーネは、ルーベックのそれに巻き込まれてしまったのだろう。
    そして、彫刻が完成し、後に残ったのは、報われないイレーネの抜け殻。そして、彼のもとを去ることになる。しかし、「私たちの子ども」とルーベックの作品を呼ぶように、まだ未練だけは抜け切っていない。

    ルーベックも、当時は、創造に対する自分の想いと、モデルに対するの想い(美への想い)と、それへの愛情が区別できる状態ではなかった。
    しかし、創造への熱意が失われたときに、最高潮にあった当時の自分を思い出し、それがすべてイレーネから発せられたものだと思い込むのだ。というより、そう信じたいのだろう。

    自分の創造の源が枯れてしまったのではなく、それは小箱の中にまだあり、また開けることができると信じることで自分の存在が正当化されていく。

    その小箱のキーは、まさにイレーネである。
    そして彼女は、再び自分の前に現れた。

    かつてルーベックとイレーネは、互いに互いを必要としていた。ルーベックはイレーネを素晴らしいモデルとして、イレーネはルーベックを愛の対象として(ルーベックの情熱を取り違えてしまって)。しかし、互いの「愛」のベクトルは一致していなかった。
    そして、今回の出会いも、互いを必要として強く結びつきたいと思っているのだが、やはりそれぞれの「想い(愛)」の対象は一致していない。ただ、一点、「あの頃に戻れるのではないか」ということだけは一致していて。

    「芸術家」という言葉に縛られてしまった男、「愛」という幻に縛られてしまった女、ともに過去にとらわれてしまっていて、今を生きていない=死んでいるのも同然であった。
    再び出会ったことで、死から目覚めることができると信じていた。

    しかし、そんな昔に戻れるはずもなく、2人の想いは永遠に同じ方向に交わることはない。
    したがって、2人を待つのは悲劇のみだった。

    イレーネの影は、黒い衣装の尼僧看護人だが、実は彼女の良心・常識であり、ルーベックとのつながりを拒むものであった。
    生きる者の猥雑さと強さは猟師が発散していた。もはや生きていないルーベックとイレーネにはない要素であることが浮かび上がる。

    ときおり、聞こえる音楽もとてもよかったし、やはり、役者の佇まいも最高だったと思う。

    台詞も美しく、古典的な太い幹を感じる戯曲だと思った。
    そして、わずか80分なのに、たっぷり感があり、とても幸福な気持ちで小竹向原を後にした。

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    2009/10/12 05:09

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  • コメントありがとうござます。

    前回も素晴らしい舞台でしたので、次回もとても楽しみです。

    オリジナルはやらないのでしょうかね?

    2009/10/12 17:06

    素敵な舞台でしたよね。女性陣の美しいこと・・、魅入りました!(^0^)

    >(まるで生者と死者が逆になったよう)。死者と生者を見事に示す2人の衣装の配色(血の色と死の色)もとても良い。

    う~ん。。美しい表現!舞台での色彩をこれほど感じた舞台があったでしょうか?
    カラーに拘った舞台でした。
    こうなってくると・・次回のshelfの公演がとっても楽しみですね。(^0^)

    2009/10/12 15:01

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