実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2022/07/02 (土) 19:00
1905年にロシア第一革命が各地で労働者による暴動が勃発したことにより起きた。同年2月17日に馬車で外出中の大公を爆弾で殺害したエスエルのテロリストで、詩人でもあったイヴァン·カリャーエフに焦点を当てた、アルベール·カミュの言葉を巧みに取り入れた戯曲『正義の人びと』を観ました。
詩人で理想主義者で、甘言が上手いカリャーエフを中心に、おそらくテロ兼社会主義革命を目論む組織のリーダーアネンコフ、カリャーエフと激しく対立する現実主義者で抑圧された人々を自由にする為なら手段を選ばない冷酷感であり、正義感が人一倍強すぎるステパン、必要以上に喋らず、あまり感情を見せない爆弾作りのエキスパートドーラ、カリャーエフと同じく爆弾を実際に投げる役目と同時に、情報収集をする、極度に臆病で神経質だが、追い詰められると何をやらかすか分からない、非常に情緒が不安定で危なっかしく、危険なヴォワノフら個性豊かで、ひと癖もふた癖もありそうな面々による主にアジトの中でドラマが進行し、カリャーエフの自問自答やカミュとの対話場面、緻密で極度に緊迫したカリャーエフとステパンがそれぞれの正義感の違いによる激論を戦わす場面、信念が揺らぎ、不安に怯え苛まれ苦悩するヴォワノフとアネンコフとの対話などを通して、それぞれの正義感の違いや感覚のズレを通して、何を持って正義と言えるのか、そもそもこの世に明確な正義と言い切れる理由が浮かぶ正義など存在しうるのか、明確に何を根拠に間違っていると言い切れるのか、不正をして人々を抑圧している側の人間はテロ行為という手段を使って殺したら、それは正義の名のもとのことであるから許されるのかなど、人それぞれ、千差万別に、それぞれに正義と言う感覚があって、それにはハッキリとした答えはすぐには出せないということも分かってきたが、正義と言う問題について深く考えれば考えるほど謎が深まり、奥が深く非常に重たく、それでいて最近のウクライナ問題や香港問題、ミャンマー問題を考える上でも、切っても切り離せない重大問題だと感じた。
劇中、最後の方で、ドーラがカリャーエフが首吊り刑になる詳細をしつこく狂ったようになって、ステパンやヴォワノフに聞き、今度は自分が爆弾投げをやるんだと言うようなことを言い始めるくだりを観て、何処か他人事でなく、身体が凍りつき、すーと寒くなった。
カミュ役の俳優以外、男役も含めて全員女性だったが緊迫し、戦慄し、激しく罵り合い、激論を飛ばしか一抹の不安などの表現も含めて、自然に見え、声質も含め、宝塚の男役なんかではなく、役に入り込んでからしばらくすると普通に男に見えてきて、非常に素晴らしかった。